寒い、サムーイ、一日で、しかし陽光が降りそそぐ時間があって、羽化する時期を間違えたチョウのように、少し、明るい光の中を歩いて来た。チョウの中には、大人のチョウのまま、冬を越すものもかなりあって、そうゆうものはなかなか見ることもないが、しかしこれは本当のこととしか言いようがない。
冬こそ、星を眺めるに適した時季といえる気もするが、幸か不幸か、この辺りは冬に曇りの日や、あるいは雪の日が続いて、星の見える時間も少なく、ほとんどないと言ってよく、これを別な角度から捉えると、お日様が出ている時間帯というのも少ないようで、これからの、あるいは、あからさまに、最も安全で有効といわれる、今も含めた次世代エネルギである、一番期待される太陽光発電が、有効に働かないという、ある意味での欠点を持つが、
さらに、しかしながら、雪が山に積もれば、これはポテンシャルとしてのエネルギが期待できて、実際に水力発電として、ずいぶんと昔から、現実のものとなって使われている。寒さに耐えて生きる、この言葉は、ここよりももっと厳しい、雪と低温の世界に住んでおられる方にこそ該当すると思われるが、その寒さに耐える代償として、水とエネルギが蓄えられるとも言えるのではないか。
なかなか、二つのエネルギを両方溜め込むことはむつかしい。そうは、うまくはいかない。
星の世界の話しであった。冬に晴れると、寒いこともあるが、雪の降らない地方では、星もきれいに見える。ただ、空気中の水蒸気の量も減るから、このことも忘れてはいけなかった、地表がせっかくお日様で暖かくなったのに、夜になればエネルギは、夜空向かって、より冷たい、寒いほうへ放射される。どんどん地表のエネルギは、空高く逃げていって、冷える。空気中の水蒸気こそ、この地表のエネルギの放出を防いでくれるものであって、よく晴れた翌日は、湿気がないから、放射冷却で一気に気温が下がり、パリパリ氷が張る。
星の話しであった。色々なところで、色々な難儀なことがあっても、星の好きな人は、寒いと言いながら星を眺める、凍えながらも星を見る。さらに、観察では済まずに、観測ということにもつながってゆく。なんとなく、宇宙飛行士の方々にも似ている。かなり覚悟がないと、この寒い夜に、星を見たいがために、あるいは、星の明るさの変化を観測したいがために、寒いところで、じっと寒さに耐えつつ、星の観測をするのは、しんどいしくたびれる。ぐったりもするだろう。これが高じると、さらには、より高い、より空気の澄んだところへと旅立つ。
星の世界に注目する。まずは、月や惑星などを眺めてみたいと思う。それらをさらに細かく眺めて、個体の惑星、ガスで出来ている惑星、その周りをまわる衛星に注目し、さらには、惑星に環があることもわかって、それを観測したりする。それから、これらの動きがどうであるか、どのように空間を動くか。それも興味の対象になる。摂動といわれるものがあることがわかって、力学の問題に突き当たるが、こうゆう方はすでに、2体問題の解についてはマスタしていて、3体問題についても、その一般解は存在しないことも知っておられる。
どうも問題がむつかしい方へ、傾いてゆく。星空を眺める楽しみは、まずは、その美しさで、次には、太陽系が存在する銀河系と同じような天体が、この宇宙にたくさん存在することを知ることであって、太陽の大きさとか、太陽までの距離は、さほど大きなものではないことも知る。さらに人口に膾炙している、アンドロメダの大星雲も、太陽系の存在する銀河系の、兄弟みたいな、近い距離にあることを知って、しばらく驚く。が、そのうち高々、200万光年か250万光年かと言い、その距離も大した事でもないな、など思うことになる。さらに、銀河系と、アンドロメダの大星雲は、互いに重力を感じあっていて、かなり先のことであるが、これらの兄弟のような星雲は、銀河は、やがて一緒になってしまうかも知れない、と言うことも、それをポロリと、口から出してしまうことにもなって、ちょっと回りの人から、煙たがられることにもなってしまう。
もう少し、この辺りでも、星が冬に見えたらいいと思う、そうゆう話しが、かなりな方向へ発散してしまった。現実の話しとして、この辺りが夜に晴れると、星こそきれいであるが、翌日は放射冷却でパリパリ凍ってしまい、とてもじゃないがやっていけない。特に寒がりの人は、困ってしまうし、危なくていけない。よって、寒いと言いつつ、ほどほどに雲が出て雪も降り、たまには、ある時間晴れて、それでは外に出て、少し日光浴をしたいと思う、その程度で世の流れが推移していることに、ありがたく思わなければならないだろう。
もう何度も見たものが再登場する。
南風!が吹いて、この山茶花も揺れた。しかし後から気温を見ると、せいぜい4℃である。背伸びして、カメラだけこの花に向けた。
南側に、建物があって、ここは日向になって、この花が温かそうな、毛布に包まれているかのように見える。しかし、この花も、ちょっと大きくなったと思うも、また、かじかんでいる。小さいまま、消えてゆくのかも。
左がイチョウの木で、右側はスギである。スギを今日よく見てみたが、少し茶色がかった黄色いものがたくさん付いているようであった。屋根があって、その雪が溶けていないことも注目に値する。低温で、溶けないまま、光り輝いているのである。
明るい光り、暖かくはないが、早春の証拠といえるような気がしてきた。
冬こそ、星を眺めるに適した時季といえる気もするが、幸か不幸か、この辺りは冬に曇りの日や、あるいは雪の日が続いて、星の見える時間も少なく、ほとんどないと言ってよく、これを別な角度から捉えると、お日様が出ている時間帯というのも少ないようで、これからの、あるいは、あからさまに、最も安全で有効といわれる、今も含めた次世代エネルギである、一番期待される太陽光発電が、有効に働かないという、ある意味での欠点を持つが、
さらに、しかしながら、雪が山に積もれば、これはポテンシャルとしてのエネルギが期待できて、実際に水力発電として、ずいぶんと昔から、現実のものとなって使われている。寒さに耐えて生きる、この言葉は、ここよりももっと厳しい、雪と低温の世界に住んでおられる方にこそ該当すると思われるが、その寒さに耐える代償として、水とエネルギが蓄えられるとも言えるのではないか。
なかなか、二つのエネルギを両方溜め込むことはむつかしい。そうは、うまくはいかない。
星の世界の話しであった。冬に晴れると、寒いこともあるが、雪の降らない地方では、星もきれいに見える。ただ、空気中の水蒸気の量も減るから、このことも忘れてはいけなかった、地表がせっかくお日様で暖かくなったのに、夜になればエネルギは、夜空向かって、より冷たい、寒いほうへ放射される。どんどん地表のエネルギは、空高く逃げていって、冷える。空気中の水蒸気こそ、この地表のエネルギの放出を防いでくれるものであって、よく晴れた翌日は、湿気がないから、放射冷却で一気に気温が下がり、パリパリ氷が張る。
星の話しであった。色々なところで、色々な難儀なことがあっても、星の好きな人は、寒いと言いながら星を眺める、凍えながらも星を見る。さらに、観察では済まずに、観測ということにもつながってゆく。なんとなく、宇宙飛行士の方々にも似ている。かなり覚悟がないと、この寒い夜に、星を見たいがために、あるいは、星の明るさの変化を観測したいがために、寒いところで、じっと寒さに耐えつつ、星の観測をするのは、しんどいしくたびれる。ぐったりもするだろう。これが高じると、さらには、より高い、より空気の澄んだところへと旅立つ。
星の世界に注目する。まずは、月や惑星などを眺めてみたいと思う。それらをさらに細かく眺めて、個体の惑星、ガスで出来ている惑星、その周りをまわる衛星に注目し、さらには、惑星に環があることもわかって、それを観測したりする。それから、これらの動きがどうであるか、どのように空間を動くか。それも興味の対象になる。摂動といわれるものがあることがわかって、力学の問題に突き当たるが、こうゆう方はすでに、2体問題の解についてはマスタしていて、3体問題についても、その一般解は存在しないことも知っておられる。
どうも問題がむつかしい方へ、傾いてゆく。星空を眺める楽しみは、まずは、その美しさで、次には、太陽系が存在する銀河系と同じような天体が、この宇宙にたくさん存在することを知ることであって、太陽の大きさとか、太陽までの距離は、さほど大きなものではないことも知る。さらに人口に膾炙している、アンドロメダの大星雲も、太陽系の存在する銀河系の、兄弟みたいな、近い距離にあることを知って、しばらく驚く。が、そのうち高々、200万光年か250万光年かと言い、その距離も大した事でもないな、など思うことになる。さらに、銀河系と、アンドロメダの大星雲は、互いに重力を感じあっていて、かなり先のことであるが、これらの兄弟のような星雲は、銀河は、やがて一緒になってしまうかも知れない、と言うことも、それをポロリと、口から出してしまうことにもなって、ちょっと回りの人から、煙たがられることにもなってしまう。
もう少し、この辺りでも、星が冬に見えたらいいと思う、そうゆう話しが、かなりな方向へ発散してしまった。現実の話しとして、この辺りが夜に晴れると、星こそきれいであるが、翌日は放射冷却でパリパリ凍ってしまい、とてもじゃないがやっていけない。特に寒がりの人は、困ってしまうし、危なくていけない。よって、寒いと言いつつ、ほどほどに雲が出て雪も降り、たまには、ある時間晴れて、それでは外に出て、少し日光浴をしたいと思う、その程度で世の流れが推移していることに、ありがたく思わなければならないだろう。
もう何度も見たものが再登場する。
南風!が吹いて、この山茶花も揺れた。しかし後から気温を見ると、せいぜい4℃である。背伸びして、カメラだけこの花に向けた。
南側に、建物があって、ここは日向になって、この花が温かそうな、毛布に包まれているかのように見える。しかし、この花も、ちょっと大きくなったと思うも、また、かじかんでいる。小さいまま、消えてゆくのかも。
左がイチョウの木で、右側はスギである。スギを今日よく見てみたが、少し茶色がかった黄色いものがたくさん付いているようであった。屋根があって、その雪が溶けていないことも注目に値する。低温で、溶けないまま、光り輝いているのである。
明るい光り、暖かくはないが、早春の証拠といえるような気がしてきた。