光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

今年のお正月は寒い。

2008-01-04 18:55:53 | 散策
  お正月は、寒い。それから、お正月を過ぎると、なおのこと寒くなる。お正月は、従って、少し暖まらないといけないが、これも度が過ぎるといけない。ほどほどに暖まる。暖まりすぎてもいけない。これは昔に経験した。
  今年のお正月は寒かった。特に寒かったように思う。
  元日に入った新聞は、結局第一部を見て、それでおしまい。残りの多くのものは、そのまま新聞入れにというか、新聞の最後の所に収まってしまった。いくらかは、今後も雨風雪でそれを必要とするときがあって、再びある面が上になって、濡れた靴の置き場になる。新聞社というと、これはそこに向かうこともなく、恐らく一生、新聞記者の方と話すこともないようであるが、その紙面の内容と、一旦配られたあと、お金は払っているが、その後の新聞というもののあり方は、無残といっていい感じがする。何かの役に立つ、その一番いい方法は、綺麗に資源回収ゴミとして出すことのようだ。

  お正月は少しだれる。ダラっとするが、これも少しはそのお正月の気分を味わわないといけない気もするからで、何となくだが、年々これがひどくなる。それまで溜まっていた、世の出来事に対する不満とか、反発心がなくなってしまう。すると、どうゆうわけか気弱な感じにもなってくる。感傷的になり、朝のTVを見ていると、ほんのちょっとだけど、その、古い石畳や、古刹の映像に涙腺がゆるむ。それにしても、辛気臭いものを流すものである。どこから、こんなものが出てくるのか、これもお正月であるからで、しょうがないかと思う。
  その少しあとに、北アで雪崩で何名行方不明、どこどこのなになに町で火事、一家は無事、何町の交差点で交通事故、病院に搬送されるも生命に別状なし、となるわけであるけれど、この感覚は、いかにも不自然であると思える。

  お正月というと、こうゆう面では、ある人にとってはガス抜き状態になって、何だか、ご先祖様に近づいた気分にもなるわけだけど、すでに書いてしまったが、ある種のお仕事をされている方にとっては、まさに稼ぎ時となるわけで、寝ずの、徹夜の、仕事が待っているわけで、こっちの方は、そういえば、TVで見ただけで、そのある種の合戦に参加する意思というものも持ち合わせてなかった。
  どうもいつもと同じような感じで過ごしていると、気分としては、ヨタヨタという感じになって、このままだと、ホントにこの先どうなるかわからない感じにもなるが、ようやく4日になって、ニュースの時間も平常に戻り、TVも、いつもの感じに戻ると、俄然こんなものはとてもじゃないが見てはいられないという気になる。日ごろの、欲求不満やら、反発心やらも湧いてきて、どうやらいつもの自分に戻ってゆけるような感じにはなってきた。まったくもって、お正月の過ごし方というのも、年々難しくなる。いつもの少しピリピリした自分にうまく戻れるか、もうすこし、辛抱がいる。

  寒さに関していうと、ずいぶんと寒いことを書いたのでそれで十分だが、付け加えるとするなら、衣服というのも、年々薄くなって来ていることがあげられる。これは繊維そのものが薄くなってゆくことがあり、それから、おしゃれのセンスがごく普通のものにまで浸透して、やけに薄めに作られている、ということもありそうだ。




  今日は少し日が出る状態のときに、このキカラスウリのところにいて、これを眺めた。なかなか渋い色に出来上がっている。元日以外は、ずっと見ている。その前もほぼ見ているが、キカラスウリよりも、この実が絡まっている、梅の花の芽がずっと気になっていた。この寒波で少し色が落ちたが、梅の花芽に目がいってしまう。




  全体を出すために少しバックすると、こんな感じである。このままだと、今年も梅の開花は早いかも知れない。喜んでいいのかどうか、わかりません。  

水面の上下

2008-01-04 16:28:38 | 散策
  日が出てくると、暖かさが違う。
  寒い冬はいやだが、お日様さえ出れば、
  だいぶ感じは違う。他にゆくところなく、
  暖かい春を待つ。ここに棲む鳥もいる。不思議である。

  ぶっちゃけた話し、何でも流れてくる用水の様子。




  渦が出来ている。これをしばらく眺めるが、何がそれをつくるか、
  石くらいしか思いつかない。



  その上に、中空に、枯れアジサイがある。アジサイしかないが、
  アジサイはなんにでもよく合う。誉めておかないと。
  切られても、凍っても、また生えてくる。
  こんな生命力の強い植物も知らない。

新年の月

2008-01-04 07:18:53 | 散策
  朝のお天気、曇り。晴れ間もあって、小雨も降っていそう。風は弱く、穏やか。室温5℃。アメダスの積雪、11cm、外気温2℃台。
  きのうと同じような朝の天気だが、意味不明の夢をみていて、目覚ましのベルの音で救われた。毎度よくこんな夢を作ってくれると不思議に思う。富士とか、鷹とか、そんなものが出てきたことはない。最も、富士山を見ることの出来るところなら、話しは別のようだが。

  それで、窓から外をのぞくと、新月になろうとする、細い月が、南東の空に浮んでいて、最初はうまく焦点が合わず、何度か瞬きをした。私の目も、機械のように迷いつつ、像を結んでくれた。細い月は、瞬きをしてしばらくして、また雲に隠れる。きのうの朝、そういえば、もう晴天の空に、白い月を見ていているが、煌煌と輝く月を見るのは今年初めてである。
  月が出たついでに、今の惑星の位置というのを考えてみる。水星と金星は太陽に近い。これは、簡単である。火星は、あの辺り、夜もふけてしばらくすると、東の空に見える。木星と土星は、これは、夜中に出てきそうだが、位置ははっきりしない。天王星があった、海王星もあるが、これは、まだ見たことがない。惑星でなくなった冥王星は、見ることはないであろう。これで、今日の運勢を占うのは無理のようである。

  小惑星が、恒星と同じ位置に来る現象はときどきある。恒星と言われるものは無数にあると考えられているが、どこにでも存在するというわけでもなく、よって、数はずっと少ないが、小惑星が、その恒星の位置と一致する、掩蔽という現象を起こすことも、そう回数はない。これを予想するということを、しかし、ちゃんとやる方がおられる。その予想通り、掩蔽が起こる。これは、恒星とそれから小惑星の、両方の影響が考えられるが、その時の光度が、通常より微妙に変化することで、掩蔽が起こったことが確かめられるようで、しかし、詳しくはわからない。小惑星は太陽の光を反射している。恒星は自身で輝いている。ちょうど、恒星を覆うように、小惑星が通過してゆく。このときのその辺りの明るさというのが、何がどうなって、こうなるという、明確なものは、頭には浮んでこない。

  この小惑星というものに、衛星がくっ付いているというのもよく聞く話しで、これには理由がある、と思うが、説明は出来ない。大小二つの小惑星が一緒に運動をしているともいえる。恒星も、互いに重力的な結びつきを感じつつ、互いの周りをまわりあう、二重星といわれるものが多い。これにも、理由がある。

  朝に月を見ると、なにか昔の記憶がよみがえってきた。それ以外に、特に効能はないようである。寒い。