お日様が出ていて、また風もそんなに強くもないけど、ずっと寒い感じがしている。まだ、寒さに慣れていないのかも知れないし、年々、新陳代謝というものも悪くなる一方だから、まずは体が、燃えない。それから、ある温度に対して、寒いときは、熱を多めに作って、暑い、熱いときは、そんなに熱を産生しなくてもいいから、どっちかというと、汗を出してくれるように働いてもらう、こうゆう調節能力も弱いというか、うまく働かなくなっているようである。まったく、困ったものだ。
体が燃えるということ。まずは、ドンド焼きのようなもの、ドント焼きというふうに記憶しているが、辞書を見ると、「ドンド」と出ている、を、竹やら、紙やら、その他燃えやすいものをメラメラと燃やすことを想像するが、これと同じようで、ちょっと違うようで、体の場合は、炎が出たり、煙が出たりはしないことになっている。めらめらと燃えて、黒い煙が大空を駆け巡る光景は、熱気というか勢いを想像させてくれるが、これと同時に、このドンド焼きに、炎に当たっていると、暖かく、さらに長く当たっていると、体の中までがホカホカしてくる。が、限度はあって、そこで止めておかないといけない。
それで、新陳代謝で出る、体が燃えることによって出る熱というものも、このドンド焼きで感じる熱と同じもので、しかし体の中で、炎は出ないし、また、黒い煙なども出ないし、加えて、ヤケドをすることはない。一体、ものが燃えるのと人の出す熱は、どこがどう違うのか思案するわけだけど、ここは、物質の持つエネルギというものが、熱と等価であるということで、さらりと受け流さないといけない。
体の中には、細胞にはそうゆうシステムが出来ていて、あるものは、体を構成する成分となり、あるものは、ある反応を行なわせるエネルギとなり、あるものは、そのまま熱に変わるかも知れないし、また、反応で使われなかったエネルギが熱の形で効果を表わすこともあるだろう。この辺りは、かなり曖昧な表現だが概ね誤りではないと思う。
また、これ以外に、インフルエンザなどの病気で、高熱を発することがある。これで、ヤケドはしないが、体にはよくないことは当然であるが、ここは、そうゆう話しは除いて、ほどほどに健康といいつつ、なぜか、寒い、年々寒く感じる人の体について、考えているわけである。
自分の体が、どうもうまく燃えてくれない、そうゆうことに対して、不満があるというか、どうにかならないかと、思うわけだけど、ただ、暖かい場所というのはある。これは、まー手で触って、ここは暖かいなというところであるが、その第一番は、お腹である。お腹だけは、間違いなく暖かい。無論、何重にも衣服で包まれているけれど、このお腹の暖かさはなぜだろうか。衣服以外に、脂質がたっぷり溜まっているから、体の中の熱が逃げにくいのかも知れない。息をはーっと吹きかけるのも暖かいが、ちょいと両の手を、お腹にやるとその暖かさは、温かさは、天国のようで、それに比べて、背中、というか、お腹の反対側の冷たいこと。
これはちょっと違うかも知れない。背中も、お腹の反対側も暖かいのだが、だが脂質は、脂肪は少ないか、ほとんどないから、ここが冷えるのはすぐにわかる。背中がやけに冷たく思えるのも、もっともな気がして、肩と背中に、携帯用暖房品をくっ付けるのも、なるほどと思う。
何だか、書いてることがぼけてきた。それでいいのであるが、もうちょっと、お腹とまではいわないが、その他のところも、もう少し暖か、温かであって欲しいと大いに思うわけだが、それを期待するなら、もっと運動しろ、ということになりそうで、今日も、問題はぐるぐる回っておしまいになった。
せめて、花だけは少し萌え色のものを。
ちょい雪でも、もえるような、赤い色。寒さに耐える、遺伝子を獲得した?。
氷の世界から、起き上がって、しかしクシャミをしているよう。耐寒仕様に変更中というところか。
今朝の、日の出前の空。この後の、山々の稜線からの日が出る景色は荘厳ともいえたが、この写真の右上には、珍しく金星が写っている。金星の表面の温度というものも、ものすごく高い。大気は、炭酸ガスの深い海で出来ている。
体が燃えるということ。まずは、ドンド焼きのようなもの、ドント焼きというふうに記憶しているが、辞書を見ると、「ドンド」と出ている、を、竹やら、紙やら、その他燃えやすいものをメラメラと燃やすことを想像するが、これと同じようで、ちょっと違うようで、体の場合は、炎が出たり、煙が出たりはしないことになっている。めらめらと燃えて、黒い煙が大空を駆け巡る光景は、熱気というか勢いを想像させてくれるが、これと同時に、このドンド焼きに、炎に当たっていると、暖かく、さらに長く当たっていると、体の中までがホカホカしてくる。が、限度はあって、そこで止めておかないといけない。
それで、新陳代謝で出る、体が燃えることによって出る熱というものも、このドンド焼きで感じる熱と同じもので、しかし体の中で、炎は出ないし、また、黒い煙なども出ないし、加えて、ヤケドをすることはない。一体、ものが燃えるのと人の出す熱は、どこがどう違うのか思案するわけだけど、ここは、物質の持つエネルギというものが、熱と等価であるということで、さらりと受け流さないといけない。
体の中には、細胞にはそうゆうシステムが出来ていて、あるものは、体を構成する成分となり、あるものは、ある反応を行なわせるエネルギとなり、あるものは、そのまま熱に変わるかも知れないし、また、反応で使われなかったエネルギが熱の形で効果を表わすこともあるだろう。この辺りは、かなり曖昧な表現だが概ね誤りではないと思う。
また、これ以外に、インフルエンザなどの病気で、高熱を発することがある。これで、ヤケドはしないが、体にはよくないことは当然であるが、ここは、そうゆう話しは除いて、ほどほどに健康といいつつ、なぜか、寒い、年々寒く感じる人の体について、考えているわけである。
自分の体が、どうもうまく燃えてくれない、そうゆうことに対して、不満があるというか、どうにかならないかと、思うわけだけど、ただ、暖かい場所というのはある。これは、まー手で触って、ここは暖かいなというところであるが、その第一番は、お腹である。お腹だけは、間違いなく暖かい。無論、何重にも衣服で包まれているけれど、このお腹の暖かさはなぜだろうか。衣服以外に、脂質がたっぷり溜まっているから、体の中の熱が逃げにくいのかも知れない。息をはーっと吹きかけるのも暖かいが、ちょいと両の手を、お腹にやるとその暖かさは、温かさは、天国のようで、それに比べて、背中、というか、お腹の反対側の冷たいこと。
これはちょっと違うかも知れない。背中も、お腹の反対側も暖かいのだが、だが脂質は、脂肪は少ないか、ほとんどないから、ここが冷えるのはすぐにわかる。背中がやけに冷たく思えるのも、もっともな気がして、肩と背中に、携帯用暖房品をくっ付けるのも、なるほどと思う。
何だか、書いてることがぼけてきた。それでいいのであるが、もうちょっと、お腹とまではいわないが、その他のところも、もう少し暖か、温かであって欲しいと大いに思うわけだが、それを期待するなら、もっと運動しろ、ということになりそうで、今日も、問題はぐるぐる回っておしまいになった。
せめて、花だけは少し萌え色のものを。
ちょい雪でも、もえるような、赤い色。寒さに耐える、遺伝子を獲得した?。
氷の世界から、起き上がって、しかしクシャミをしているよう。耐寒仕様に変更中というところか。
今朝の、日の出前の空。この後の、山々の稜線からの日が出る景色は荘厳ともいえたが、この写真の右上には、珍しく金星が写っている。金星の表面の温度というものも、ものすごく高い。大気は、炭酸ガスの深い海で出来ている。