光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

カミガミの命

2008-01-27 07:17:38 | 散策
  朝のお天気、曇りベースで、晴れ間がある。東北の空が紅く染まった。本の2、3分で今はそれもない。風は弱く、穏やか。アメダスの最新気温、マイナス1.2度、積雪0cm、湿度は91%。室温3.5度、今は4.5度に上がった。

  土曜日に、お宝を鑑定するTV番組をこちらではやっていて、少し時間も遅れる。悲喜こもごもがあって、なかなか楽しい。お宝が出ても、特にくやしいとも思わず、これもまた大変なことになった、とも考える。ちょっと怖い番組。なんとなく、真贋がわかりそうで、しかし複雑なものも多い。その中で、骨董と、紙のもの、軸のものは、変わらず、マニアの方がいてそれを見ることになる。ここに、軸物の、その他の紙のものの命がある。
  何十年なら、話しはわかるが、何百年も前のものが、密かに北陸の凍りそうな蔵の中で眠っていることを想像する。蔵は、宝庫でもあって、しかし、ゴミためと貸したところもあって、しかし現代のゴミも、未来はお宝に化けるかも知れない。紙の命は、長い。

  お札、お札の顔となっている人が気の毒なくらい、お札は無造作に扱われる。新札はパリパリして、手が切れそうだし、しかしよれよれで、折り目に切れ目が裂け目が入っていると、これは先に使わないといけないと思う。お札の寿命はどのくらいなのか、考える。ぐるぐる回って、何十人、何百人の人の財布にしまわれ、最後は古紙として、日銀に戻るのだろう。ただ、のゴミとなって。
  硬貨は、裏に製造年が刻印されている、しかし、紙幣のそれはないようで、また記号番号から、その印刷日を知る術もわからない。紙幣から、特殊な細菌が、紙幣にのみ繁殖する、細菌というものもありそうで、これが病気に効く生理活性物質を持っているかも知れないとも思う。

  広告の数、新聞に入るもの、も減ったようである。市の広報やらも入ることは入るが、もう見ないし、どこかに行ってしまってわからないときも多い。広告は、まったく見ることがなくなった。強いて言えば、裏が白で、それも裏写りの少ないものは、メモ用に残すことが、ときにある。その他、美しい、美辞麗句であふれる、建物の広告など、これはなかなか見ることはない。広告に、広告大賞があるように、広告は、一つの芸術としての価値は大いにあって、しかし、それは、広告で、商品の実際のすべてを表わしていない。が、広告の美しさを競うものとして、後世に残り、お宝になる可能性がある。

  紙のもので大切なものは、やっぱり『本』であろう。そのうち、紙の、否兌換紙幣は、価値が無くなって、何かのものと、例えばお米と、一昔前はあった、交換するシステムというものが復活するかも知れない、なぞ想像する。こうしてみると、下手だなぞ思わず、何か紙に文字を書いたり、絵を書いたりするのも悪くないようである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿