光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寒いときは、これ。

2008-01-12 19:09:25 | 散策
  さほど寒くないときに、寒いときを、寒い場所を想像して、そこでどうして、ある一日を過ごすか、過ごしたか、ということを書いたりするが、それしかないようなので、では実際寒い、かなり寒くて、かじかむ、固まるときにどうしたらいいか、その想像が、ちょっとでも役に立つかと思ったが、ぜんぜんである。

  北風、ビュービュー。まったくどこからこの風はやって来るのだろう。いつも思うが、どうも川が高いところから流れ始めて、一番低いとされる海面に達するがごとく、雲の流れ、熱の流れ、寒気の流れといった方が適当であるが、そうゆうものも、ある程度規則的に、それに則って移動することが、観測からも大筋のものはわかっていて、またそれをシミュレートすることも出来るようであるが、それだから、この寒さに対してどうしたらいいか、これは、各人にまかせられるようで、さて自分としては、どうしたらいいか、考える、が、妙案はない。寒すぎる。じっとしているのが、結果だったけれど、他に何かあるかちょっと考えてみる。
  より寒いところにゆく。これはなかなかいい考えであって、これでちょっと高目のスキー場には雪が降ったはず、あるいは明日、あさってとその可能性は高くなる、それでもって、スキーウェアを着て、積雪仕様の車に乗り、まるで、雪上車のごとくである、どんどん雪を蹴散らかして、スキー場に行く。また、外からの熱の影響は受けにくく、中の熱気は逃さないが、水蒸気は出すという特性を持つものもあって、あとはリフトがやって来るのを待つ、夢のようなスキー体験である。
  もう少し現実的なものでいうと、風は、少し弱くなったので、ここは元気を出して、それに、耐寒性はないが、蒸気は出すという、そうゆう合羽を持っているので、これを着て外を歩くという手もあった。雷も降っていない。雷は降らなくて、これは雪でした。間違えました。その気配はまだないのである。あー、それがあった。でも、このところ、お正月こそ寒かったけれど、このところ例年より暖かいという気温であったから、この寒さには、ちょっとひるむものがあった。さて、寒さ対策は、旧製品で、ムレムレ対策は新製品で、結果としては、濡れること、しみることのない布地はそのとおりで、しかし完全に、それで体を覆うことは出来なく、首から先、それから手。さらに、ズボンなどはほどほどに濡れてしまう、寒中歩行をやったほうがよかったか。

  これらを両方やることが出来たらなということも考えたくなる。まー、先に歩くなり、しばらく寒い室内にいて、それから、中に入るなり外に出歩く、というものでも同じような気もするが、やはり同じ条件というわけにはいかない。結局私は思った。今日は寒くて、それに濡れることもわかっていて、明日あさってのこともあるから、おとなしくしているのかよかった。それで、よかったのだと。
  それで、より寒い明日はどうするか。それは、また明日考えよう。それにしても、薄暗い、ただただ寒いところでじっとして、一応ラジオは聴いているが、暖房も付けているが、そうしているときの時間の進み方、これをどう表現したらいいか。

  寒い季節に太陽のありがたみがよくわかるが、この姿を特に見たりもしない。まー、見るときには十分に注意しないとと、自分に思うわけであるけれど、この姿を意識してしばらく追っている。ここは、ファインダの要らないミニカメラが、大いに役に立つ。




  機械も悲鳴を上げる、太陽光の強さ。




  印象画的。CCDも年季が入っている。




  人の目ではわからない、もの。熱、空気、風、可視光、これは見えている、その他の電磁波、これをこの動きを想像する。

  やけに、静かな夜になっている。アメダスの気温は、4℃台である。

動かない、鳴らない

2008-01-12 07:22:16 | 散策
  朝のお天気、雨風。強い北風にのって、雨が金属をたたく音が聞こえる。これは、荒れ模様。アメダスの最新気温、6.7℃、積雪は0cm。室温9℃。
  大切な目覚まし時計が、起きる予定の時間に鳴ってくれない。何度か、ためしに他の時間に、セットしてやってみると、ちゃんと鳴る。しかし、ある時間Xでは鳴らない?。説明書読んで最初からやり直ししないといけないようだ。

  数字がある。これを考えた人がいる。日付が変わり、また変わると、あるときが来る。10年たったか、そんな感じだ。去年の今頃のことももう完全に忘れているが、5年日記というものを使っていると、それがよみがえる。でも、かなりいい加減。パラパラっと先を見てみると、地震があった。能登半島沖の地震だ。そういえば揺れた。
  数字、数字、数字。三度唱えたが、頭が固まってしまった。成人式っていうものもあった。これ、今と昔かなり違う。そんなもの出ない人もいた。大体、すで成人になった人と私は、その成人式とやらにいった。人生の岐路、試験が近づく。すでに、合格祈願というのもあって懐かしい。そのいやな試験とはすでに縁遠いがしかし、その後に試験より難しいものが待っていて、それには、滑りすぎて、今の私がある。
  合格祈願と言いつつ、試験は選抜するためにあって、必ず何割かの人は落ちる。落とすための試験だから、誰にでも出来るものは出ない。わかっている、それでも、それが出来る人がいて、世の中は不思議なものだ。さらに出来る人が集合をつくり、ある人はそこに満足して、安穏とした生活を送る。これがいいと私は思う。しかし、そのなかでも競争は続く。何とか試験があり、科挙に似ているようだが、最近はどうも、よろしくない例として、その後世間を騒がせるようである。
  試験に合格し、それから、さらに先生になった人がいるが、世の中の動きはなかなかなもので、10年前、20年前と様変わり。それでも、仕事に自信があれば何とかその道でいきていくことが出来るだろうが、自分より才能ありという人が現われると、これがよくわかるから、かなり辛い時間を過ごさないといけないのではないか。
  高齢化も大問題で、姨捨山が実際になるような気がする。小説にあったことが現実になりそうである。また子供が少ないというのもなかなか困ったことで、今後は、学校も、学生から選抜されることになるのは、多分時間の問題のように思う。何かがおかしいのではなく、そのゆう方にシステムが動いているのだろう。あるものに固守すればするほど反作用が出てくる。時間は止まってくれない。

  めちゃくちゃな話しになった。これも、北風の影響かも知れない。年賀状の整理をしていたら、一枚だけ来なかった。これは誤配の可能性もある。3年目で、再び来たのもあるが、多くの方から賀状が来ると、この返事も大変で、3年に一度で十分なのかも知れない。

  動かないもの、壊れやすいもの、この時代に増えてきている。最後にちょっと付け加えた。鳴らないものは、最初に書いた。ヤワヤワになってしまった。