去年の夏だったか、夏も終わりだったか、前者のような気がするが、ある植物のタネを植えた。植えたつもりだが、吹けば飛ぶような、小さいゴマより小さく、ちょい風で飛んでゆくような、そうゆうもので、これが一体どうなるか、多少の感慨も残っているが、それについて書く機会も減った。
これ、まだ植木鉢に残っているというか、生きているというか、それで、暮れも押し迫って、いよいよ明日は雪となる前日に、か当日の午後に、ある場所に移動して、どうにか冷たい雪の下に埋もれることもなかった。そうゆう場所がよくあったと思うが、そこは入り口というか、昔の建物の一部とゆうか、まーそれはどうでもいいけれど、つまりあまり人の邪魔にはならなくて、雪を被ることも、推定で吹雪だとちょっと危ない、ないようである。また、ちょうど南側を向いていて、ある時間、低い太陽の光を浴びることも出来る。とにかく、光の性質もあって、昼は明るい。そこに移動して、2回ほど、水をやった。これは自分のコップを使い、一回は、いつもの癖で、お茶も入れたものを、上からかけた。
どうも植物を育てるということが苦手である。うまくゆかない。何より、やったことがないといっていいくらいだ。「消えた、1行が。」書き直し、ある年齢になるとなかなか、植物を育てるということもやらないものである。若いといわれる年齢で、盆栽が、あるいはランがどうのこうの、それにエビネにユリなど、そうゆうことに興味を持つことは難しい。ただ、それに加えて、釣りもやり、山も登り、冬は、スキーに限るなどいう人はこれは別である。それでも、
あるときには、私もかなり真剣に植物を育てないといけないときがあった。なおかつ、植物を一人で育てるのに多少の困難があって、何故なら、土自体をどっかから持ってくることから始めないといけない状態にあったからだ。それをどっかから持ってきて、すでに土はあると言うことにしよう。そうでないと、いけない。
土はあるが、これに多少なりとも栄養を与え、また、使い古しの土の利用もしないといけなく、最後はえっちらおっちら、それを混ぜて、大きなある種の入れ物に入れ、さらに、それをあるところに移動しないといけなかった。何故なら、そこに植えるものは、暖かくないと育たないからで、また、育ちすぎてもいけなかった。これらを一人でやるのは無理、他の人に助けてもらわないといけなくて、これが、またうまくゆかない。日頃の行ないがよくないのが、たたった。
これをどうにかやって、私は、あるところを卒業することが出来たのだが、この経験も、残念ながら、ミニトマトやら、ナスの上手な育て方、つまり少しの手入れで、ある程度の収穫を得る、それは多ければ多いほどよい、に、うまく結びつかない。そうゆうこともあって、最近はミニトマトも育てないし、ナスもやらないが、ただ、花なら、収穫ということは考えないで済むから、これならどうにかなるかも知れないと、元に戻った話しにつながるわけだが、色々考えて、総合して、分析して、積分して微分もすると、それから、もうわからないがテンソル変換もすると、やっぱり、私は、この植物の花が咲くよう、せめて枯らさないよう、最低限のことをやらないといけない気がする。確か今日も水を与えたはずで、枯れたものの上に新しい色濃い芽が、葉が出ていて、ともかくホッとしている。
地面の感触までもゆかず、土の感触は程遠いもののようで、なかなかタイトルを考えるのは難しい。暖かめの冬で、まずは、
垣にある木の辺りに、ぽつんと赤い色が見えて、そこへ顔を近づける。小さな実が出来ている。後からわかったが、その実がぱかり割れている。これは、暖かいからか。一度見つかると、あちこちにこの実が出来ていることもわかる。
若干地面に近づいて、っと。普通、地面に土の表面にこのドングリ、だろう、が落ちていると見つからないような気もするが、偶然と言うしかない、少し色の違うものとしてこれが目に入った。一体こんなもの何年ぶりに見るのだろう。
順に地面に近づいて、コケだろうとしかいえないもの。ただただ、緑色のものはよく見かける。また小さな、傘のようなものが出来ているものも見るが、こうゆうのは、初めてかなー。
これ、まだ植木鉢に残っているというか、生きているというか、それで、暮れも押し迫って、いよいよ明日は雪となる前日に、か当日の午後に、ある場所に移動して、どうにか冷たい雪の下に埋もれることもなかった。そうゆう場所がよくあったと思うが、そこは入り口というか、昔の建物の一部とゆうか、まーそれはどうでもいいけれど、つまりあまり人の邪魔にはならなくて、雪を被ることも、推定で吹雪だとちょっと危ない、ないようである。また、ちょうど南側を向いていて、ある時間、低い太陽の光を浴びることも出来る。とにかく、光の性質もあって、昼は明るい。そこに移動して、2回ほど、水をやった。これは自分のコップを使い、一回は、いつもの癖で、お茶も入れたものを、上からかけた。
どうも植物を育てるということが苦手である。うまくゆかない。何より、やったことがないといっていいくらいだ。「消えた、1行が。」書き直し、ある年齢になるとなかなか、植物を育てるということもやらないものである。若いといわれる年齢で、盆栽が、あるいはランがどうのこうの、それにエビネにユリなど、そうゆうことに興味を持つことは難しい。ただ、それに加えて、釣りもやり、山も登り、冬は、スキーに限るなどいう人はこれは別である。それでも、
あるときには、私もかなり真剣に植物を育てないといけないときがあった。なおかつ、植物を一人で育てるのに多少の困難があって、何故なら、土自体をどっかから持ってくることから始めないといけない状態にあったからだ。それをどっかから持ってきて、すでに土はあると言うことにしよう。そうでないと、いけない。
土はあるが、これに多少なりとも栄養を与え、また、使い古しの土の利用もしないといけなく、最後はえっちらおっちら、それを混ぜて、大きなある種の入れ物に入れ、さらに、それをあるところに移動しないといけなかった。何故なら、そこに植えるものは、暖かくないと育たないからで、また、育ちすぎてもいけなかった。これらを一人でやるのは無理、他の人に助けてもらわないといけなくて、これが、またうまくゆかない。日頃の行ないがよくないのが、たたった。
これをどうにかやって、私は、あるところを卒業することが出来たのだが、この経験も、残念ながら、ミニトマトやら、ナスの上手な育て方、つまり少しの手入れで、ある程度の収穫を得る、それは多ければ多いほどよい、に、うまく結びつかない。そうゆうこともあって、最近はミニトマトも育てないし、ナスもやらないが、ただ、花なら、収穫ということは考えないで済むから、これならどうにかなるかも知れないと、元に戻った話しにつながるわけだが、色々考えて、総合して、分析して、積分して微分もすると、それから、もうわからないがテンソル変換もすると、やっぱり、私は、この植物の花が咲くよう、せめて枯らさないよう、最低限のことをやらないといけない気がする。確か今日も水を与えたはずで、枯れたものの上に新しい色濃い芽が、葉が出ていて、ともかくホッとしている。
地面の感触までもゆかず、土の感触は程遠いもののようで、なかなかタイトルを考えるのは難しい。暖かめの冬で、まずは、
垣にある木の辺りに、ぽつんと赤い色が見えて、そこへ顔を近づける。小さな実が出来ている。後からわかったが、その実がぱかり割れている。これは、暖かいからか。一度見つかると、あちこちにこの実が出来ていることもわかる。
若干地面に近づいて、っと。普通、地面に土の表面にこのドングリ、だろう、が落ちていると見つからないような気もするが、偶然と言うしかない、少し色の違うものとしてこれが目に入った。一体こんなもの何年ぶりに見るのだろう。
順に地面に近づいて、コケだろうとしかいえないもの。ただただ、緑色のものはよく見かける。また小さな、傘のようなものが出来ているものも見るが、こうゆうのは、初めてかなー。