高野山というところがあって、少し懐かしく、地図を見つつ、昔を思い出した。そこに行ったのは、しかし夏で、今ごろの厳冬の高野山ではなかった。
三日前は、その事についてはここにも書きましたけれど、風が強く、また雪も舞って、気合がないと歩けないような感じがあった。少し、多めに着込んで、ただただ、なにも考えずしかし車には気をつけて、それでどうにか歩いて帰って来たが、やったことが、度を越しているかどうかは、まだ判断が付かなかった。しかし、今考えるとその厳しさは、冬の極自然のもので、これくらいは仕方ない。こうゆう時もあるから、何度かそのような寒い中を歩いて来るのも、当然のことと思った。どうにか、寒さにも慣れて、少し自信のようなものも付いた気がする。
埼玉のちょうど真ん中辺りに、川越という街があって、昔ここによく行った。もう少し先の寄居とか、それから、梅の名所である越生にも行ったが、それらと同じように、しかし少し寝坊してこの川越の街にいった。
ふと、七福神のことを思い出した。これを、ネットで調べようとして、福七人と打ち込んだものだから、ほとんど反応がなくおかしいと思い、それが七福神の間違いであることにようやく気付いた。七福神と川越から、ちゃんと、川越の七福神の紹介が出てきた。ここを歩いたことがあるが、人の姿はなかったように思う。
きのうの天気も、ほとんど0℃か1℃の気温の世界であったけれど、それなりにお日様の出た時もあり。また風が弱かった分、少し楽に思えたが、きのうの寒さの疲れが出そうな感じもあって、気を引き締めた。このままだとズルズル、風邪を引きそうな感じがあって、しかしなかなか緊張感というものも出て来ない。これは七福神とは関係はないが、その少し長めの川越の巡りを歩いた感じに似ているとも思える。
今朝は、びっくり地震で目が覚めたが、もう一度少しうたた寝した。幸い、今のところ、感じる地震もない。ただ、やはり、震源に近いところでは、安心も出来なし、緊迫の時間が続くのは間違いない。まことに、厄介な問題である。
お昼ころの、ある川の橋の温度というものを、義兄に聞いてみると一つは、1℃、もう一つは2℃で、こうゆう低い気温はなかなかないもの、ということであった。出る言葉も、少なめである。見送って、
寒そうであるが、長靴を履いて、外に出た。それまで曇りの天気であったが、弱いながら、吹雪になった。ただ、積雪はないと言ってよく、またウィンドブレーカに付いた雪の量は、きのうの方が多かった。きのうは、濃いワインカラの生地の上にピタリと雪がくっ付いて、落ちようとしなかった。今日は、さほど雪は付かないが、寒さは一人前で、これっぽっちも汗はかかなかった。何か、春らしい、早春のものがないか、ちょっと見る余裕もあった。しかし、咲いているのは、凍傷気味のサザンカくらいしかなく、それ以外は、沈黙している。
付け加えると、いつも会う一人目のワンちゃんは、なぜか外にいた。いかにも寒そうである。もう一人のワンちゃんは、外からは見えなくて、しかし、ちょっと悲しげな鳴き声を出していた。それは、寒いというものではなく、人の、無論、飼い主の方の、気配を感じているが、その人が自分の前になかなか現われなくて、それに対する悲しげな反応に思えた。
写真も少し昔に戻らないといけない。スイセンの花があった。
蕾が少し膨らんでいる。これをもう少し接近して撮ったものは、みなぼんやりしたものしかなかった。この蕾は、まだ多分咲いていないと思う。
去年の花である、フジバカマが、まだその最後の姿を見せている。飛んでゆくタネは、あるものからは落ちて、5つの、がくのようなものだけが残る。しかし、白髭も多い。
新年になって、2、3日、東方に見える、剱岳、立山などの、北アルプスの高峰が見えていたときがあったが、その右側には、薬師岳がある。
薬師岳は、剱岳、立山辺り、と一緒でよく見えるが、ただ、個人的な場所の問題があって、うまく全貌に近いものが撮れなかった。今回は、うまく写れそうなところがわかって、しかし、横長になるので、ここは、一番高そうな辺りを切り取ってみました。ここは、今も、ものすごく寒いところである。
三日前は、その事についてはここにも書きましたけれど、風が強く、また雪も舞って、気合がないと歩けないような感じがあった。少し、多めに着込んで、ただただ、なにも考えずしかし車には気をつけて、それでどうにか歩いて帰って来たが、やったことが、度を越しているかどうかは、まだ判断が付かなかった。しかし、今考えるとその厳しさは、冬の極自然のもので、これくらいは仕方ない。こうゆう時もあるから、何度かそのような寒い中を歩いて来るのも、当然のことと思った。どうにか、寒さにも慣れて、少し自信のようなものも付いた気がする。
埼玉のちょうど真ん中辺りに、川越という街があって、昔ここによく行った。もう少し先の寄居とか、それから、梅の名所である越生にも行ったが、それらと同じように、しかし少し寝坊してこの川越の街にいった。
ふと、七福神のことを思い出した。これを、ネットで調べようとして、福七人と打ち込んだものだから、ほとんど反応がなくおかしいと思い、それが七福神の間違いであることにようやく気付いた。七福神と川越から、ちゃんと、川越の七福神の紹介が出てきた。ここを歩いたことがあるが、人の姿はなかったように思う。
きのうの天気も、ほとんど0℃か1℃の気温の世界であったけれど、それなりにお日様の出た時もあり。また風が弱かった分、少し楽に思えたが、きのうの寒さの疲れが出そうな感じもあって、気を引き締めた。このままだとズルズル、風邪を引きそうな感じがあって、しかしなかなか緊張感というものも出て来ない。これは七福神とは関係はないが、その少し長めの川越の巡りを歩いた感じに似ているとも思える。
今朝は、びっくり地震で目が覚めたが、もう一度少しうたた寝した。幸い、今のところ、感じる地震もない。ただ、やはり、震源に近いところでは、安心も出来なし、緊迫の時間が続くのは間違いない。まことに、厄介な問題である。
お昼ころの、ある川の橋の温度というものを、義兄に聞いてみると一つは、1℃、もう一つは2℃で、こうゆう低い気温はなかなかないもの、ということであった。出る言葉も、少なめである。見送って、
寒そうであるが、長靴を履いて、外に出た。それまで曇りの天気であったが、弱いながら、吹雪になった。ただ、積雪はないと言ってよく、またウィンドブレーカに付いた雪の量は、きのうの方が多かった。きのうは、濃いワインカラの生地の上にピタリと雪がくっ付いて、落ちようとしなかった。今日は、さほど雪は付かないが、寒さは一人前で、これっぽっちも汗はかかなかった。何か、春らしい、早春のものがないか、ちょっと見る余裕もあった。しかし、咲いているのは、凍傷気味のサザンカくらいしかなく、それ以外は、沈黙している。
付け加えると、いつも会う一人目のワンちゃんは、なぜか外にいた。いかにも寒そうである。もう一人のワンちゃんは、外からは見えなくて、しかし、ちょっと悲しげな鳴き声を出していた。それは、寒いというものではなく、人の、無論、飼い主の方の、気配を感じているが、その人が自分の前になかなか現われなくて、それに対する悲しげな反応に思えた。
写真も少し昔に戻らないといけない。スイセンの花があった。
蕾が少し膨らんでいる。これをもう少し接近して撮ったものは、みなぼんやりしたものしかなかった。この蕾は、まだ多分咲いていないと思う。
去年の花である、フジバカマが、まだその最後の姿を見せている。飛んでゆくタネは、あるものからは落ちて、5つの、がくのようなものだけが残る。しかし、白髭も多い。
新年になって、2、3日、東方に見える、剱岳、立山などの、北アルプスの高峰が見えていたときがあったが、その右側には、薬師岳がある。
薬師岳は、剱岳、立山辺り、と一緒でよく見えるが、ただ、個人的な場所の問題があって、うまく全貌に近いものが撮れなかった。今回は、うまく写れそうなところがわかって、しかし、横長になるので、ここは、一番高そうな辺りを切り取ってみました。ここは、今も、ものすごく寒いところである。