朝のしばらくの時間は、お天気もまだ静かなもので、牙をむき出すこともなかったが、それもつかの間で、いつもの吹雪、か、強風に変わった。アメダスの気温見てみると、朝の7時で1.7℃、8時で2.0℃で、あとは、マイナス1℃と、プラス1℃の間を、微妙に振動している。
コタツの中にいると、どうしても、腕もコタツの中に入ってしまう。正座している、ごろんと横にはならず、真っ直ぐに入っていると、指の先は、コタツの発熱作用を持つ部分のちょうど上の、かなり暖かい所に自動的にその指は、あるいは手のひらは、移動する。そうでなくても、コタツのちょうど「やぐら」のところを自然と握ったりしている。この感じは自分もそうであるが、もう高齢の、痴呆症状を呈する、認知症と呼ばれる父も、このことをちゃんとやっていて、少しコタツの上に置かれている台に力がかかると、そこの下に指を入れているので、痛いと言う。この辺の感覚は、私と同じで、もし私がそのようにコタツのやぐらの板のところに手を置いていて、暖かさを感じていて、そのコタツの上にある台に、誰かが座ろうとするなら、慌てて、その手を引っ込めるだろう。
今日は、少し手を外に出して、パラパラ、新聞と雑誌とその他、今見ておいたほうがいいものもあって、手をコタツの外に出していたが、無論部屋の中だが、その手が痛く感じるほど、寒かった。でも、
今日は、このいかにも寒そうな、雪の舞う、ときに前が見えなくなるくらいに吹雪く外に出ることに決めていて、そのための、昔の、まことにすいません、昔が多くて、その昔に購入した、よってかなりぼろぼろともいえるセータを前もって探して見つけて、しばらく窓の辺りにぶら下げておいた。これは、山用の商品を扱っているところで購入したもので、ウールである。ホントかうそか、それは置いておいて、それを引っぱり出すと、さらにいざ着てみるとなると、かなりごわごわしていて、年代ものだから、破れているのは仕方がないが、硬直した毛糸で出来ている感じがした。
いつもの、ほどほどに古いものを着ているが、それにさらに、かなり古いものを重ね着して、さすがに、上はパンパンである。下はというと、これも少し、くたびれた、しかし、最近履いているものよりは生地が厚そうなもの、これを着た。くたびれて、もう古臭い、そうゆうものの寄せ集めのスタイルである。毛糸の帽子をかぶって、寒風の、雪の舞う時期の、外歩きの格好は完成した。
外に出ると、寒い。でも、まー、プラスマイナス1℃の世界では、それは当たり前で、それから、風が加わるから、余計に寒い。でも、昔のセータの威力はかなり有効で、これだけ着るとその寒さもさほどこたえるものではない。ただやはり、ズボンの方、足の方は冷え冷えする。ここはお腹の脂肪で何とか、断熱作用を期待したい。お腹は、ちょうど厚着と薄着の境目のところに位置することになって、ときにゴロゴロいう感じもあった。足そのものも、普段はあまり感じるものはないが、さすがに冷たい。発熱するまでにはいかないので、ここはもう少し早く歩かないといけない気もする。
人の歩く気配はさすがになかった。ただ、学校帰りの学生さん、中学生か、は、自転車に乗っていたようだが、傘も差して雪と風を防いでいて、どうだったかはっきりしない。いつも会う、ワンちゃんは2匹とも、ちゃんと家の中にいたようで、外にその姿はなかった。鼻が痛い、お腹が冷えた、やっぱり30分ぐらいが限度で、これ以上は止めた方がいいと思った。
雪の量は、今のところ少ない。アメダスを見ても、積雪は0cm。
瓦と、その向こうの外を写しているが、どうも鉛色一色てな感じもする。この妙な感触は、ガラス越しに撮っているからで、雪の不気味な感じが出たと思った。
雪とは関係のない、少し前の、ときどきある、タライ、バケツではない方のある瞬間。水が垂れている。そのちょうど、ぽつんと水滴が水面に落ちるときのものはなかなか撮れない。ここは、見方によってはキレイなともいえる模様がいい、と思う。他にないので。最後は、もう少し飛んで、
割とオトナシメの、煙突の様子。モクモク出るときもある。機関車も顔負け。今日も、モクモク煙を出しているはず。その電気を使っている。
コタツの中にいると、どうしても、腕もコタツの中に入ってしまう。正座している、ごろんと横にはならず、真っ直ぐに入っていると、指の先は、コタツの発熱作用を持つ部分のちょうど上の、かなり暖かい所に自動的にその指は、あるいは手のひらは、移動する。そうでなくても、コタツのちょうど「やぐら」のところを自然と握ったりしている。この感じは自分もそうであるが、もう高齢の、痴呆症状を呈する、認知症と呼ばれる父も、このことをちゃんとやっていて、少しコタツの上に置かれている台に力がかかると、そこの下に指を入れているので、痛いと言う。この辺の感覚は、私と同じで、もし私がそのようにコタツのやぐらの板のところに手を置いていて、暖かさを感じていて、そのコタツの上にある台に、誰かが座ろうとするなら、慌てて、その手を引っ込めるだろう。
今日は、少し手を外に出して、パラパラ、新聞と雑誌とその他、今見ておいたほうがいいものもあって、手をコタツの外に出していたが、無論部屋の中だが、その手が痛く感じるほど、寒かった。でも、
今日は、このいかにも寒そうな、雪の舞う、ときに前が見えなくなるくらいに吹雪く外に出ることに決めていて、そのための、昔の、まことにすいません、昔が多くて、その昔に購入した、よってかなりぼろぼろともいえるセータを前もって探して見つけて、しばらく窓の辺りにぶら下げておいた。これは、山用の商品を扱っているところで購入したもので、ウールである。ホントかうそか、それは置いておいて、それを引っぱり出すと、さらにいざ着てみるとなると、かなりごわごわしていて、年代ものだから、破れているのは仕方がないが、硬直した毛糸で出来ている感じがした。
いつもの、ほどほどに古いものを着ているが、それにさらに、かなり古いものを重ね着して、さすがに、上はパンパンである。下はというと、これも少し、くたびれた、しかし、最近履いているものよりは生地が厚そうなもの、これを着た。くたびれて、もう古臭い、そうゆうものの寄せ集めのスタイルである。毛糸の帽子をかぶって、寒風の、雪の舞う時期の、外歩きの格好は完成した。
外に出ると、寒い。でも、まー、プラスマイナス1℃の世界では、それは当たり前で、それから、風が加わるから、余計に寒い。でも、昔のセータの威力はかなり有効で、これだけ着るとその寒さもさほどこたえるものではない。ただやはり、ズボンの方、足の方は冷え冷えする。ここはお腹の脂肪で何とか、断熱作用を期待したい。お腹は、ちょうど厚着と薄着の境目のところに位置することになって、ときにゴロゴロいう感じもあった。足そのものも、普段はあまり感じるものはないが、さすがに冷たい。発熱するまでにはいかないので、ここはもう少し早く歩かないといけない気もする。
人の歩く気配はさすがになかった。ただ、学校帰りの学生さん、中学生か、は、自転車に乗っていたようだが、傘も差して雪と風を防いでいて、どうだったかはっきりしない。いつも会う、ワンちゃんは2匹とも、ちゃんと家の中にいたようで、外にその姿はなかった。鼻が痛い、お腹が冷えた、やっぱり30分ぐらいが限度で、これ以上は止めた方がいいと思った。
雪の量は、今のところ少ない。アメダスを見ても、積雪は0cm。
瓦と、その向こうの外を写しているが、どうも鉛色一色てな感じもする。この妙な感触は、ガラス越しに撮っているからで、雪の不気味な感じが出たと思った。
雪とは関係のない、少し前の、ときどきある、タライ、バケツではない方のある瞬間。水が垂れている。そのちょうど、ぽつんと水滴が水面に落ちるときのものはなかなか撮れない。ここは、見方によってはキレイなともいえる模様がいい、と思う。他にないので。最後は、もう少し飛んで、
割とオトナシメの、煙突の様子。モクモク出るときもある。機関車も顔負け。今日も、モクモク煙を出しているはず。その電気を使っている。