光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

今日は不思議と、朝からきれいな空が出ている。なんにもないようだけど。

2016-03-11 14:04:09 | 散策
  天気は朝、日が出たときもそうだが、思ったよりはよさそうで、安心した。


  気温も上がっているようだが、まだまだ冬だなと思う、程度である。でも、これも場所によって、随分と

  違うようだが、青い空と白い雲が出ていて、3月1日のあの雪の朝が夢のようである。これは明日の朝の画像用に

  もう用意した。格別何かはないはずで、雪だけがあって、3月1日が、それこそ雪が降っていたのが信じられない

  今日の天気である。ただ、これもいまのところである。


  そんな、食欲はない、など言いながら、冷蔵庫の中は割とすかすかとしている。結構食っていることになる。

  お米、ご飯食べていない。ご飯を炊くのが、危なっかしいというか、面倒というか。どうしようもない人間

  である。で、朝は食パンか、あるいは干しブドウの入ったロールパンを食べている。あまり入っていかない。

  食パンは、時間がたつと結構パサパサになる。すると喉に引っかかったり、気管支にも入ってゆくようで

  どうしても、コップ一杯の牛乳が必要になる。買うことは買うが、むかしは、ジャムとかマーガリンは塗った。

  たっぷりと。いまはなんにも。もう少し元気があったときは、カレーの残りがあると、これをはさんだ。

  いま絶対に出来ないご馳走というか、贅沢な食事である。


  牛乳飲んでむせる。よくある。気にしないとき、液体を飲むと、むせたり、気管支に入ってゆくようで、

  弱った。むかしと同じ容器だが、口からもこぼれるときが多い。こうなるときが来る。


  と言いながら、夜は魚を焼いたり、豚肉も同じように焼く。魚も、そんな種類多くは買えないが。肉はブタしか

  買わないが、食べる。なにも考えない。脂身の多いものが来るときがある。これは必要ない、そうゆうことは思う。


  しかし、魚にしろ、豚肉にしろ、もともと生き物だった、ということを最近考えることはなかった。

  昼間、程ほどにぼんやりとしながら、そういえば、人は、あるいは人間は、他の生き物の命をもらって

  生きているのだなと、久しぶりに思った。他の植物、動物。微生物もあるか。生き物ではないものを

  食べることがあるだろうかと考えるが、どうもなさそうである。食べているものの中では。

  
  程ほどに豚肉は旨い。旨いと思いつつ、食べている。でも、豚という動物のことを考えてはいない。

  きれいに、あるいはほどほどに、スライスされて、皺がよっている感じだが、容器に入れられて、

  これも発泡スチロールだな、で運んでもらえる。酒も、原材料は最近のものはわからないが、日本酒だと

  お米と、コウジカビと、それと酵母という生き物が、必要になる。エタノールを合成しているかどうか。

  メタノールは、飲まない方がいい。みな学校の理科室か、あるいは教室に、試薬としてあるものだが。

  無水エタノールを必要と思うときもあるが、薬局で買ったことはない。

  
  仕方ない、人が生きるために、自分で栄養を作ることは出来ないから、他の生き物のそれをいただく。

  
  小学校くらいで、よく食べるということはないが、フナなどの解剖をする。カワズ、これは想像したくは

  ない。

  中学だとどうだろうか。あまり記憶はない。高校くらいだと、生物部というものがあったが、文化祭などで、実際に

  高等動物であるウサギを解剖する、もちろん生きているウサギをである。これで、倒れるようでは、どうしようも

  ない。興味津々でないと。ただこうゆう年齢だと、他の生き物の命をいただいて生きている人間ということを

  まずは忘れている。それゆえ、なんとも思うこともないというところか。

  まーいやなら見る必要はない。

 
  大学だと、ちょっと大変である。私は、どうゆうわけか、これも何度か書いているが、ラット、シロネズミを

  解剖しないといけない、というところにいた。もちろんエーテルなどで、麻酔はする。

  もう少し怖いものがある。これはそのまま、ということだ。その点、マウス、ハツカネズミはかわいい、だから

  余計にそうゆうことは出来なくなるが、小さいとむつかしくはなる気はする。ただやったことはない。


  これ以外に、タンパク質を扱う場合、この抗体が欲しいという場合がある。このために、けっこうかわいい、しかも

  赤い目をしたウサギに、そのタンパク質を注射する。それで、飼育するのである。生き物係りというわけだが

  欲しいのは、血である。血清タンパクかな。むかしの話なので、曖昧さはあるが。

  で、最後に、ウサギに麻酔をかける。これを担当していたというか、どうゆう理由で、そうゆうところに来たのか

  よくはわからないが、課題として「くじ」を引いた人は、たしか女性であった。


  だがである。ウサギの世話はしていたのだろうが、さすがに血だけ取って、命はそのまま、という「人」のような

  ことは出来ない。

  あるいは技術がない。その場にいたかどうかも、覚えていないが、私はいたようだ。それゆえこうゆうことも

  思い出すのだが。まー豚肉は食べることは出来る、ということと同じだが。女性は血に強いはずだが。

  このときどうなったか、いまも恐ろしくて、思い出したくはないので、このあとのことは省略する。

  解剖に慣れている、助教授は、他の部屋の先生だが、それでもである。


  いったいに、大学というところで、どのくらいの実験動物の命をいただいたか。お墓など作っても

  なかなか、もやもやとしたものはなくならないものである。

  その点、目に直接では見えない、微生物を扱うのは、気持ち的には楽なようだが、これもなかなか危険なことは

  ある。見えないゆえ、簡単ではないのである。ただもちろん、培養したものは、ちゃんと見える。TVで

  紹介されるのと同じ。


  あまり、かなりむかしの話といえ、思い出さないほうがいいようなことを書いているが、これも、今朝の空が

  やけにきれいだったからだとなる。格別矛盾はしない。見た目の話でということである。

  あー怖い。




  その一。これは午前6時台の初め。たぶん6時5分過ぎの空。日は出ていないが、明るい3月11日。




  その二。




  その三。




  その四。きれいな空だ。ここには誰もいないな。




  その五。




  その六。ちょっと霞みか、それこそ霧のようなものが出ている。





  その七。西の空、きれいに青が出た。




  その八。発電所の煙も、真っ白できれいである。




  その九。


  どうも天気予報を見ていると、夜は晴れそうにないか。

  春らしい天気である。



朝、ようやく晴れた。雨が降っていたようだ。空の青さと雲の白さがはっきり。

2016-03-11 07:02:15 | 散策
  日が出たのがちょうど、午前6時30分ごろ。


  春分も近いし。

  6時で明るいけど、そのころなると、やけに空気の冷たさを知る。


  路面を見ると濡れている。雪降るようなことも言っていた、でも雨ではないか。

  夜中はそんな空を見ていないが、雲っていた感じだ。きのうの夕方は太陽はわかった。


  冷たい空気の中を歩いていると、顔のあるところだけ、雨粒が当たった感じになる。

  雨が降りそうな空でもある。

  だが、他のところを見ても、メガネのレンズを見ても、雨が降っている様子はない。

  顔のそこの点だけ、やけに寒さを感じて、まるで雨が当たっているように感じる。

  面白いような悲しいような。


  枕の後ろに、電波時計が。針が一秒ずつ、動く。ほとんどその音を聞くことはないが、枕を経由して

  自分の心臓の鼓動以外に、ある音が規則的に聞こえて、それが時計の秒針の動く音だと

  ようやくわかった。

  これが1秒か、というところ。鼓動は早い。


  3月8日、霧だという日の朝、霧がわからなかった。













  今日はいい天気。