気温が下がってきた。いまは雨だが、雪はいくらなんでも降らないだろう。
それでも北風が強く、雨と風が窓を叩いている。外は冷蔵庫の中、いえの中は、いまのところ10℃
ある。予想より早く、冷え冷えとしたものを感じる。これでは花粉は飛ぶことはないだろう。
きのう姪が来たとき、ここのいえの梅の写真を先に撮っていて、もちろんスマホだが、それを見せてくれた。
スマホのメーカとか、どのくらいの解像度とかは聞かない。でも、その何度も出している、ここのいえの梅は
やはりきれいに見えた。きれい過ぎるかな。ただやけに、縦に長い画像である。どのくらいの縦横の比が
あるのか思い出そうとするが、正方形を二個、縦に並べた、と言った方がいいようなものだ。
この梅の花ももう終わりそうである。
スマホで、まずは楽しい話になって、でも私はまったくわからないので、なるべくどこも触らないようにした。
ここに、短歌か、俳句か川柳か、その他の短文を書いて、送信するといいよねと言ったが、それはすぐに出来
ない。そうゆう返事が返って来た。もちろん、なにかやっていても、私にも言わないだろう。
TVはどうなのと聞いてみると、一応は見えるということだったが、恐らく見てはいない。
どうも話としては和やかにしたいと思って、次は私の持ってくる番だったが、というのも、妙に生臭い話は
したくはないので、10年前の写真があるのだけど、と私の顔を撮ったものを持ってきた。2006年とある。
見たくないようなことをいう。知ってるちゃよ。そうでもないだろう、だいたいメガネをも外して、互いに話を
している。花粉でクシャミ、鼻水は、きのう書いた。
このところ、ここまでか、というのが、正規、非正規扱いの、労働者がこの列島の国に存在していること。
あるいは極東の国に。島国に。国というと、国のお役人のことになる。霞ヶ関の官庁の中にいる、あるいは国務大臣、
あるいは総理大臣、あるいは最高裁判所長官、公安関係は、これは国務大臣か。検察がある。これらを押しなべて
国と称している。それゆえ、国と沖縄県というような表現になるのだろう。
国があって、沖縄県がある。対立を深める。話が違うような気もするが、問題ないというから、沖縄県知事も
沖縄県民の米軍基地建設反対の立場をとる人も、やっぱり糠喜び。そう思ったのではないか。同じではなかった。
国と県では。国民としてはどうか。
むかし、たとえばここは富山市だから、そこにいるお役人と話をした。むかしである。2005年くらいかな。
もっと前もある。割と丁寧な対応で、感じとしては、立場は平等か、ある場合は丁寧語になって、それでもだめな
ものはだめだった。卑下している、あるいは俺タチャ、偉いんでお前らのゆうことを聞いていられない、そうゆう
感じはなかった。これは時代が古ければ古いほど、対応は丁寧で親切で、あるときは、味方のような感じさえ
あった。あー貧乏人に対しては、こうゆう対処の方法がある、そうゆうことをさっとやってくれたと思うことも
ある。税務署、これはそのときは別で、しかし税務署員が間違えた。はっきりとしている、謝罪は
なかった。
そうゆう時代に、地方自治体に、非正規の、人材派遣会社から、臨時でやって来ている、そうゆうことを思う
ことは微塵もなかった。労働者派遣法、これはいつから。アルバイトとかいうのはあった。でもパートと呼ばれる
人も、職安、ハローワークを尋ねるか、人に紹介されて、直接その会社なり組織なり、自治体を尋ねたはずである。
人材派遣会社は、なかったか、中には入れなかったか、似た様な何かがあったのかも知れないが。
最近で、市役所に電話したというと、国民健康保険証のことではあった。何日に送りますと、市の広報に出る。
これは簡易書留で送られてくる。一人で住んでいると、いつごろかというのは、特に書留とある場合
簡易でも同じだが、サインがいる。あるいは、うんよくうまく受け取れればいいほうで、不在だった、と
なる場合もある。それゆえ、やはり私のような人間はピリピリする。
電話したら、その日付は、発送をした日だと電話に出た公務員は言った。富山市で、どれくらいに人間が、
あるいは世帯主がいるかは知る必要はないが、一斉に同じ日に来ることは考えられない。だが、こちらに
読み間違いがあったようなことをいわれると、あるいは勘違いしているてなことをいわれると、そのときは
もう一回広報を見直したかも知れないが、発送と果たして書いてあったか。思い出せない。
そのときは、ご想像通り、細かいことについての話にもなったが、相手は、来るまで待ってください。
届かなければ、こっちに戻ってきますので、としか言わなかった。それ以上のことは知らないという
ことだ。
なるほど、こうゆう人間が公務人なるのかと思ったが、明らかに昔の印象とは違った。
まーその保険証は来た。無事に、サインもした。その後、この広報のこの件についての表現は変わったようで
ある。下旬にお届けする予定です。範囲を広げたわけ、頭のいい方法だ。その割りに、固定資産税の、納付通知は
間違いなく、3月の下旬か、4月の頭には来る。これに、振動なり、日にちのブレはないのである。
人間は変わるのは当然だが、役所の人間も、予想しない対応の仕方をする。すでにそのときから、年数はたって
いるが、電話もしない。
雨だね、冷え切っている。
その一。
その二。
その三。
その四。まだ木々には色がある。暖かみはないが。
その五。今朝は予想以上に暗かった。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。色のない世界。現実味がある。
電話とか、そのほか、話としては、たとえば私は、食料はネットスーパーに頼るしかない。明らかに
立場としては、優位性は向うにある。まーでも問題は少ない。相手も商人だから、客に対して
ということを心得ている。信頼感はある。これは宅配のドライバーさんとの関係についても同じ。
信頼できる、こっちも最低限できることはやる。そうゆう気持ちになる。
正規、非正規。あからさまに差別感がある気はするが。もちろんこんなものない方がいい。
それでも北風が強く、雨と風が窓を叩いている。外は冷蔵庫の中、いえの中は、いまのところ10℃
ある。予想より早く、冷え冷えとしたものを感じる。これでは花粉は飛ぶことはないだろう。
きのう姪が来たとき、ここのいえの梅の写真を先に撮っていて、もちろんスマホだが、それを見せてくれた。
スマホのメーカとか、どのくらいの解像度とかは聞かない。でも、その何度も出している、ここのいえの梅は
やはりきれいに見えた。きれい過ぎるかな。ただやけに、縦に長い画像である。どのくらいの縦横の比が
あるのか思い出そうとするが、正方形を二個、縦に並べた、と言った方がいいようなものだ。
この梅の花ももう終わりそうである。
スマホで、まずは楽しい話になって、でも私はまったくわからないので、なるべくどこも触らないようにした。
ここに、短歌か、俳句か川柳か、その他の短文を書いて、送信するといいよねと言ったが、それはすぐに出来
ない。そうゆう返事が返って来た。もちろん、なにかやっていても、私にも言わないだろう。
TVはどうなのと聞いてみると、一応は見えるということだったが、恐らく見てはいない。
どうも話としては和やかにしたいと思って、次は私の持ってくる番だったが、というのも、妙に生臭い話は
したくはないので、10年前の写真があるのだけど、と私の顔を撮ったものを持ってきた。2006年とある。
見たくないようなことをいう。知ってるちゃよ。そうでもないだろう、だいたいメガネをも外して、互いに話を
している。花粉でクシャミ、鼻水は、きのう書いた。
このところ、ここまでか、というのが、正規、非正規扱いの、労働者がこの列島の国に存在していること。
あるいは極東の国に。島国に。国というと、国のお役人のことになる。霞ヶ関の官庁の中にいる、あるいは国務大臣、
あるいは総理大臣、あるいは最高裁判所長官、公安関係は、これは国務大臣か。検察がある。これらを押しなべて
国と称している。それゆえ、国と沖縄県というような表現になるのだろう。
国があって、沖縄県がある。対立を深める。話が違うような気もするが、問題ないというから、沖縄県知事も
沖縄県民の米軍基地建設反対の立場をとる人も、やっぱり糠喜び。そう思ったのではないか。同じではなかった。
国と県では。国民としてはどうか。
むかし、たとえばここは富山市だから、そこにいるお役人と話をした。むかしである。2005年くらいかな。
もっと前もある。割と丁寧な対応で、感じとしては、立場は平等か、ある場合は丁寧語になって、それでもだめな
ものはだめだった。卑下している、あるいは俺タチャ、偉いんでお前らのゆうことを聞いていられない、そうゆう
感じはなかった。これは時代が古ければ古いほど、対応は丁寧で親切で、あるときは、味方のような感じさえ
あった。あー貧乏人に対しては、こうゆう対処の方法がある、そうゆうことをさっとやってくれたと思うことも
ある。税務署、これはそのときは別で、しかし税務署員が間違えた。はっきりとしている、謝罪は
なかった。
そうゆう時代に、地方自治体に、非正規の、人材派遣会社から、臨時でやって来ている、そうゆうことを思う
ことは微塵もなかった。労働者派遣法、これはいつから。アルバイトとかいうのはあった。でもパートと呼ばれる
人も、職安、ハローワークを尋ねるか、人に紹介されて、直接その会社なり組織なり、自治体を尋ねたはずである。
人材派遣会社は、なかったか、中には入れなかったか、似た様な何かがあったのかも知れないが。
最近で、市役所に電話したというと、国民健康保険証のことではあった。何日に送りますと、市の広報に出る。
これは簡易書留で送られてくる。一人で住んでいると、いつごろかというのは、特に書留とある場合
簡易でも同じだが、サインがいる。あるいは、うんよくうまく受け取れればいいほうで、不在だった、と
なる場合もある。それゆえ、やはり私のような人間はピリピリする。
電話したら、その日付は、発送をした日だと電話に出た公務員は言った。富山市で、どれくらいに人間が、
あるいは世帯主がいるかは知る必要はないが、一斉に同じ日に来ることは考えられない。だが、こちらに
読み間違いがあったようなことをいわれると、あるいは勘違いしているてなことをいわれると、そのときは
もう一回広報を見直したかも知れないが、発送と果たして書いてあったか。思い出せない。
そのときは、ご想像通り、細かいことについての話にもなったが、相手は、来るまで待ってください。
届かなければ、こっちに戻ってきますので、としか言わなかった。それ以上のことは知らないという
ことだ。
なるほど、こうゆう人間が公務人なるのかと思ったが、明らかに昔の印象とは違った。
まーその保険証は来た。無事に、サインもした。その後、この広報のこの件についての表現は変わったようで
ある。下旬にお届けする予定です。範囲を広げたわけ、頭のいい方法だ。その割りに、固定資産税の、納付通知は
間違いなく、3月の下旬か、4月の頭には来る。これに、振動なり、日にちのブレはないのである。
人間は変わるのは当然だが、役所の人間も、予想しない対応の仕方をする。すでにそのときから、年数はたって
いるが、電話もしない。
雨だね、冷え切っている。
その一。
その二。
その三。
その四。まだ木々には色がある。暖かみはないが。
その五。今朝は予想以上に暗かった。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。色のない世界。現実味がある。
電話とか、そのほか、話としては、たとえば私は、食料はネットスーパーに頼るしかない。明らかに
立場としては、優位性は向うにある。まーでも問題は少ない。相手も商人だから、客に対して
ということを心得ている。信頼感はある。これは宅配のドライバーさんとの関係についても同じ。
信頼できる、こっちも最低限できることはやる。そうゆう気持ちになる。
正規、非正規。あからさまに差別感がある気はするが。もちろんこんなものない方がいい。