気温が上がっている。いえの中はそれほどでもない。
空気も入れ替わっているようで、もしかして花粉もどこかへと、ということを期待している。
春分は、3月20日。21日、月曜は、なぜか旗日だ。お休み、こうゆうことが、すっと頭に浮かばない。
きのうのことについて、誰もこんなことに興味は持たないだろうという感じの話になって、これも致し方ない。
話はそうは簡単に作れないし、画像とか映像も、古いままである。いえが燃えたとか、トンネル火災、
グライダー墜落、あまり考えたくはない。だいたい、もう62歳になってしまった。3月生まれである。
役所の人事というのが、今日の新聞に出ているが、これが私より年齢的に若い人が多い。
平均寿命というのは、たしかその年に生まれた人、赤ちゃんがどのくらい生きられるかということをさして
いるはずだが、昭和の年表をみていると、アレッという感じになる。平均寿命が70くらいのときがある。
もちろん、50というときもあった。
あといくら残されているか、これが頭にあるが、考えても無駄だ、と思いつつ気にする。
きのうこれも危なっかしい感じはあるが、もしかして、木々とか花に、変化があっていいのではないか、そう
思った。桜の花と同じで、いつごろ変化が起きるか。
何度か思っているが、スイセンなども、ラッパスイセン、スズランスイセン、これは葉だけがある。これらの花が
咲いていない。これ以外に、春というとやはり黄色い花が恋しいので、これは咲いているのはわかっていたので
その後の変化を期待していたが、思ったよりは、というところである。これ、きのうのお昼前に、ちと面倒に思えて
加えて、あれ思うようにゆかない、ともわかっていて、30分という時間を使った。
今ごろだと、たとえばヒサカキという、匂いもあるが小さい木の花が咲く。これもあっておかしくはない気が。
ネズミモチは、わかりにくいと思う。カエデは変化なく、スギだけは元気である。
黄色い花は、一つはカブの花、それ以外に花だけ見えているが、これはよくはわからなかった。なかなかうまく
ゆかない。一眼ということでなく、ある重量以上になるとカメラを横にするのも大変で、小さいのを使っていると
ファインダをのぞくという普通のことが、出来なくなっている。
富山駅は思い出深い駅で、それでもいまの富山駅は知らない。これはNHKのTVで見るくらいだが、白っぽい感じで
東京駅とかの感じではない。開業ありきで、去年3月に、開通した。北陸新幹線というのがいったいに、どこから
どこまでを言うのか、これもわからない。長野までは、長野新幹線。大宮から、高崎までは、上越新幹線
だろうか。複雑怪奇である。東京、大宮は、東北新幹線か。
富山駅で、工事をしていたときの様子は駅の中に入って、それを見た。これは入場券で入った。
工事というのは、なかなかむつかしいものである。昔、東北新幹線を作っていたときの、王子の様子を思い出す
ことが出来る。王子は、北区である。東京でただひとつ残る、路面をも走る電車がまだあった。これはいまも
あるはず。都電荒川線。どれだけの鉄道が走っているか、そこで空中工事をしていて、見ているだけで息が
詰まった。何でも出来るんだね、というところである。
富山ローカルに、富山を走る北陸本線は、いまはなってしまった。相変わらず、富山駅は不便そうである。
これまた工事のとき以外は知らないので、新聞見るくらいだ。南側のターミナルは馴染み深い。
もともと北側に、出入り口はなかったと思う。ただよくはわからない。その代わり、富山港線という支線は
あった。これに乗って、みな高校とか会社に通っていたはずだ。これが廃止に。これが残っていれば
という気はする。いまは変わったが、だれでも知っているので書くことはない。
北陸本線というと、私は子供のとき、大阪にいて、ここ富山に来るとき、大阪駅から、急行『立山』に乗った。
高山本線だと、急行『乗鞍』である。乗鞍は「のりくら」、だったかも。北陸本線の電化の時期は遅い、と
思う。
もっとも、ディーゼル機関車という、いまとなっては懐かしい、あるいは魅力的と思われる、機関車が
客車を引っ張った。特急『白鳥』など、子供心に覚えているが、まずは乗れなかった。見たこともないかな。
金沢までの電化が先、このとき、急行『ゆのくに』があったはずだ。
鉄道に歴史ありで、駅にもそうだが、みな似た様な駅になってしまうかというと、これまた違う。
北陸は、富山駅に関して、まだまだ整備が必要なのは明らかである。入ったことはないが。
大体、新聞にそうある。出ている。昔、操車場があった。こうゆうところを残していれば、思うのは自由である。
なら、あんなに南口が、工事現場に化すことはなかった。長い工事はこれから。
春らしい話題を書いた。
それで、春かどうかわからないのか、木々の様子。
その一。これはヒサカキだと思うが。小さい花。
その二。これはアオキ、明るいので、マイナス補正で、暗すぎた。
その三。目の前にある、ヤブデマリ、これは推定である。ヤブデマリである、といえない。
その四。新芽が出てきた。
その五。黄色い花がようやくで、気が付いてしばらく時間はたっているが。
モンシロチョウがいた。
その六。ここには、モンキチョウか、キチョウがいたのだが、わからなかった。
その七。
その八。どうも構図的におかしいというかうまくない。
その九。春らしい光景である。意外に、畑が大きくて、残されているアブラナ科のものは多い。
しかし食べきれないのだろう。
曇って来ている。
空気も入れ替わっているようで、もしかして花粉もどこかへと、ということを期待している。
春分は、3月20日。21日、月曜は、なぜか旗日だ。お休み、こうゆうことが、すっと頭に浮かばない。
きのうのことについて、誰もこんなことに興味は持たないだろうという感じの話になって、これも致し方ない。
話はそうは簡単に作れないし、画像とか映像も、古いままである。いえが燃えたとか、トンネル火災、
グライダー墜落、あまり考えたくはない。だいたい、もう62歳になってしまった。3月生まれである。
役所の人事というのが、今日の新聞に出ているが、これが私より年齢的に若い人が多い。
平均寿命というのは、たしかその年に生まれた人、赤ちゃんがどのくらい生きられるかということをさして
いるはずだが、昭和の年表をみていると、アレッという感じになる。平均寿命が70くらいのときがある。
もちろん、50というときもあった。
あといくら残されているか、これが頭にあるが、考えても無駄だ、と思いつつ気にする。
きのうこれも危なっかしい感じはあるが、もしかして、木々とか花に、変化があっていいのではないか、そう
思った。桜の花と同じで、いつごろ変化が起きるか。
何度か思っているが、スイセンなども、ラッパスイセン、スズランスイセン、これは葉だけがある。これらの花が
咲いていない。これ以外に、春というとやはり黄色い花が恋しいので、これは咲いているのはわかっていたので
その後の変化を期待していたが、思ったよりは、というところである。これ、きのうのお昼前に、ちと面倒に思えて
加えて、あれ思うようにゆかない、ともわかっていて、30分という時間を使った。
今ごろだと、たとえばヒサカキという、匂いもあるが小さい木の花が咲く。これもあっておかしくはない気が。
ネズミモチは、わかりにくいと思う。カエデは変化なく、スギだけは元気である。
黄色い花は、一つはカブの花、それ以外に花だけ見えているが、これはよくはわからなかった。なかなかうまく
ゆかない。一眼ということでなく、ある重量以上になるとカメラを横にするのも大変で、小さいのを使っていると
ファインダをのぞくという普通のことが、出来なくなっている。
富山駅は思い出深い駅で、それでもいまの富山駅は知らない。これはNHKのTVで見るくらいだが、白っぽい感じで
東京駅とかの感じではない。開業ありきで、去年3月に、開通した。北陸新幹線というのがいったいに、どこから
どこまでを言うのか、これもわからない。長野までは、長野新幹線。大宮から、高崎までは、上越新幹線
だろうか。複雑怪奇である。東京、大宮は、東北新幹線か。
富山駅で、工事をしていたときの様子は駅の中に入って、それを見た。これは入場券で入った。
工事というのは、なかなかむつかしいものである。昔、東北新幹線を作っていたときの、王子の様子を思い出す
ことが出来る。王子は、北区である。東京でただひとつ残る、路面をも走る電車がまだあった。これはいまも
あるはず。都電荒川線。どれだけの鉄道が走っているか、そこで空中工事をしていて、見ているだけで息が
詰まった。何でも出来るんだね、というところである。
富山ローカルに、富山を走る北陸本線は、いまはなってしまった。相変わらず、富山駅は不便そうである。
これまた工事のとき以外は知らないので、新聞見るくらいだ。南側のターミナルは馴染み深い。
もともと北側に、出入り口はなかったと思う。ただよくはわからない。その代わり、富山港線という支線は
あった。これに乗って、みな高校とか会社に通っていたはずだ。これが廃止に。これが残っていれば
という気はする。いまは変わったが、だれでも知っているので書くことはない。
北陸本線というと、私は子供のとき、大阪にいて、ここ富山に来るとき、大阪駅から、急行『立山』に乗った。
高山本線だと、急行『乗鞍』である。乗鞍は「のりくら」、だったかも。北陸本線の電化の時期は遅い、と
思う。
もっとも、ディーゼル機関車という、いまとなっては懐かしい、あるいは魅力的と思われる、機関車が
客車を引っ張った。特急『白鳥』など、子供心に覚えているが、まずは乗れなかった。見たこともないかな。
金沢までの電化が先、このとき、急行『ゆのくに』があったはずだ。
鉄道に歴史ありで、駅にもそうだが、みな似た様な駅になってしまうかというと、これまた違う。
北陸は、富山駅に関して、まだまだ整備が必要なのは明らかである。入ったことはないが。
大体、新聞にそうある。出ている。昔、操車場があった。こうゆうところを残していれば、思うのは自由である。
なら、あんなに南口が、工事現場に化すことはなかった。長い工事はこれから。
春らしい話題を書いた。
それで、春かどうかわからないのか、木々の様子。
その一。これはヒサカキだと思うが。小さい花。
その二。これはアオキ、明るいので、マイナス補正で、暗すぎた。
その三。目の前にある、ヤブデマリ、これは推定である。ヤブデマリである、といえない。
その四。新芽が出てきた。
その五。黄色い花がようやくで、気が付いてしばらく時間はたっているが。
モンシロチョウがいた。
その六。ここには、モンキチョウか、キチョウがいたのだが、わからなかった。
その七。
その八。どうも構図的におかしいというかうまくない。
その九。春らしい光景である。意外に、畑が大きくて、残されているアブラナ科のものは多い。
しかし食べきれないのだろう。
曇って来ている。