光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

朝に続いて、天気が非常によかった、3月11日の雲について。

2016-03-16 14:16:00 | 散策
  いまは、外のほうが暖かそうである。朝は寒かった。

  出かけてきた。行くところは限られるが。


  去年、そういえば個人番号が来た。これが来るか来ないかだけに、関心はあった。結果として、もう真っ暗だったが

  ひどく頑丈な感じのする、顔も見覚えのある、しかし優しそうな顔立ちの郵便局の人が、普通は来ない時間に

  来て、もしかしたらと思った。これは書いているが、印鑑よりサインのほうがといわれて、名を記した。

  これはそのままある。先ほどもたしかめた。


  蛇足だが、姪は、車の免許も持っているし、わざわざ、ICカードは要らないだろうと私は思っていたが、

  写真撮ったということで、その後、送られてきたようで、ただ顔の写りが、免許より悪いといって、もうし

  まったとか。それ以上のことを聞くことはなかった。花粉症がひどく、先週ここのいえにやって来て、しばらく

  してクシャミを連発していた。で、スマホで花粉情報をみていた。でも一番感度がいいと思うのは

  自分の鼻だと思うけど。これも大きなお世話だったが、その週の金曜日だと思うが、携帯に電話している。

  この日がそういえば3月11日だ。ミシン持っていった。私は動かないと思った。やはり動かないようで

  ある。


  この個人番号以外に、気になっていたものが国勢調査で、これも書いているが、電子デバイスでも出来る、あるいは

  紙でも出来るものだが、どっちも来なかった。去年の10月だったと思う。なぜ来なかったか、これもどうでも

  いいような気がする。そんなもんでいいと思うしかない。


  その去年の国勢調査の、前のものは、これは調査の人が来ている。電子でポンは出来なかった。

  渡してもらってもいいし、送付して頂いてもいい。そうゆう話で、母は字も書けるし、塗りつぶしも出来る状態で

  さほど認知症が進んでいるときではなかった。だが、私がやったほうが早い。それで、これでいいよねと話を

  しながら名を書いて、該当するところを塗りつぶしたように思う。このとき、母の機嫌はよかった。

  
  単純に、今回この国勢調査で、なんにも来なかったのは、母が亡くなったから、以外に考えられない。

  それでいい、国勢調査とはそうゆうものだ。適当なのである。ただそれゆえ、個人番号が来るかどうか

  少し悩んだ。しかし、選挙関係のものでもちゃんと来ているし、国勢調査だけだろうという気はしていた。

  もっとも、べつに個人番号が来なくても、ガタツクことはない。税金だって支払っているのに、そう思うのは

  当然だろう。なにをやっているかわからない、そうゆうところが、お役所というところ、というのはよく

  わかる。なにかこっちからいうようなところではない。


  聞きなれない土地の名があって、富山県の地図を探した。一枚ものの、古いものである。いくらか、古いほうが

  わかりやすいかとも思った。だが、紙で出来ている包装用紙でもあるものの中を見て、地図はあったが

  半分か、4分の一しか入っていない。残りはなかった。相当に古いものだな。ほかに適当なものはなかった。

  で、私が持っている新しいものでも、ある場所を探したが、わからなかった。

  わからないことは多いものだが、紙のものは長く残ると思っていたが、そうでもないことはよくわかった。


  いえじゅう、結構、紙のものはある。山積みと書いているときもあるが、その高さは高いものでも、1mくらいで

  しかもその下に椅子があったり、段ボール箱があったりで、紙そのものでいうと、やはり1mは高すぎる。

  でも小さい、こうゆう紙を積んだところ、は、やはり増える。足の踏み場はあるが、掃除機を動かしていると

  たまにホースとか、本体、これを私は左手で持っている、があたって、バサバサと落ちるときもある。

  落ちるものが決まっている。そうゆうこともわかる。しかし狭くて窮屈になった、これは事実だ。


  片付けられない。あるいは捨てられない。場所として、本箱はある。いえを新しくしたとき、これはもちろん

  父だが、棚を作ってもらった。この棚も、20年以上、25年近くなると、どうしようもないくらいに

  もので溢れる。25年、そのまま、もう元に戻らない。一番したからすでに二重になっている。

  だんだんと二重になる。さらに三重になる。それゆえ、へそくりの隠し場所もわからなくなる。


  工具とかも、どこにいったのか。結構あった。一つある場所はわかっているが、これは油だらけのもので

  物置で、幽霊屋敷になっている、そこにはある。いえの中にも、ものを置く場所は、せまっ苦しいがあって

  最初はスカスカだった。あー、ため息。

  最後はこうなるのか。なにがどこにあるのやら。父のものが一番少ない。父はほとんど何も買わな

  かったから。ただ草刈器と、エンジン・ノコギリは好きだったようだ。これも何台かあるが

  最後は、誰も使うことはない。これは使わなくなると、もう一回というのはまずはむつかしい。


  どうにもならないこと、ところ、がたくさんある。

  カメラをもう一回買いたい。一台でいい。星撮り用だが、どうも適当なものがない。

  消費税を上げない方がいい、異国の学者は言う。大きなお世話だろうという感じだ。

  ここまでやるか。

  どうも考えていたのと、また違うことを書いた。


  3月11日、金曜日の空。そして雲。花はまだ出ていないのが多いと、今日も思ったが、お寺の紅梅は
  
  二度咲きといっていいものはあった。




  その一。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。




  その六。




  その七。




  その八。


  3月11日の空。2011年だと、もうノートに文字を書いていないかも。ノートか、印刷用紙だが。

  場所もわからない。

  椅子に座っているのが結構キツイ。自分の体形が変わった。この椅子、何年使っているかな。

  書くなということだろう。



0℃近くまで、気温が下がった。晴れていて明るいが。

2016-03-16 07:07:44 | 散策
  きのうの午後遅く、ほぼ快晴。

  夕日がよく見えていて、それが沈む前に、夕食の支度へと。

  どんどんと日の出ている時間が長くなるのは嬉しいが、暖かさとなると、これは遅れてやって来る。


  きのうの夜である。

  たぶん月が出ているはずだが、これがわからないのはちょうど、天頂近くに月があったからで

  その後、西の空に浮かんでいる真っ白な月を見た。

  月明かりがあっていいと思うのだが、それほどでもないようで、それが不思議だった。

  でも月はちゃんとあった。


  ただ春らしい感じはあって、雲もわずかながらあったようだ。

  でも夜になって、深夜になって、朝になると、布団の中は冷たく感じられる。

  これは気温が下がっているなと思うが、室内の温度は、5℃以上はありそうである。

  1月、2月だと、2℃という数字も出るが、体感的には同じだ。

  
  起きて玄関から外に出ると、ジワジワと冷気が身に染みるが、頭の中では春は暖かいと思うことも

  あって、これだから体調異変も起こりやすいのだな。

  でも、どうも小学生だと、とてもじゃないが寒いなどいっているときではないようで

  元気一杯なので、くやしい気もするが、あれで当然だと思ったり。



  3月11日は、いい天気なので、いい雲も出ている。












  この日は、午後2時過ぎからは、たしかTVを見ていたが、それ以外は空を見ていた時間が長かった。


  日が出たのは、午前6時20分くらい。