あまり暖かくはなっていない。感覚でいうと、3月1日が、一番部屋の中の温度は上がって
ちょうど午後1時ごろは、14℃くらいはあった。
だが今日は、コタツの中に先ほど入っていて、一瞬意識が薄らいだので、これはいけない、と思う。
コタツの中はさほど暖かくないような気がして、きのうが特にそうだった。これも、別段おかしいわけでなく
大して気温も上がらなかったから。もっともな話。中で転寝も出来ない。昼間も眠くなることはなかった。
それでも、さすがに夜は、コタツにつかるという感じはあるので、足だけやけに熱くなる。
すでに、PR誌の3月号は、2冊、2月の26日か27日に来ていて、珍しいこともあるなと思う。普通同じ日に来る
ことはない。すぐに読める、そうゆう内容でもないものも多く、このところ夜もこれを見ていないが、先ほど
長すぎることはない、エッセイを読んでいて、なるほどねと思う。でも、これは認知症のことではないもので
もう少し壮大といっていい、あるいは精神的に健康といっていい、一種感動的なもので、まずは外には出ない
ような内容のものである。
きのう、夕食を作っているときである。コンロは三つあって、1つは、ただ水だけ入れた鍋を置いている。寒いと
思うときはこの三つ目のコンロの火もつけて、水蒸気を発生させる。きのうはそうゆう日でもあって、しかし、
火をつけてしばらくして、恐らく1分以内に、妙な音がしたので、これに気がついてよかったが、なかは空っぽ。
今まで何回かやっていて中の水はもうなかった。蓋している。この経験は初めてで、ぎょっとさすがにした。
思い込み、あるいは鈍感。いままでというと、火をつける場合、この暖房用の鍋でも、中の水の量を見て
いたかな。こうゆうこともあるのか。いやあっておかしくはない。ぼんやりしていた。
認知症というのは、いつごろこうゆう名になったのか。だが、今ごろこの病気が突然出て来たわけではない。
老人性痴呆症とか、ただの痴呆、あるいはほかに何があったか。関係ないものと思っていた。私のほうが
いろいろ精神的に不安定だったからで、しかしこれは肉体の異常をも伴う場合が多かった。
先に父がおかしい、と思うようになった。これに気がついたのはもちろん私で、やがて母もこれに気がついた
はずだが、私自身、父が何かおこすという危惧は持たなかった。自分の、郵便局なり銀行の口座がある。こうゆう
ものは母が管理はしていた。でこのお金は「おろせない」とか言い出したことだけ覚えているが、妙なことに
なると困るなという気はした。あとは、身体は丈夫で、自転車だが、結構長い時間、何か思い立つと乗っていた
ようである。
幸いというべきか、交通事故とかはなかった。
なんでこんなことを書いているか。その方のことをきのうまで知らなかった。高齢で、どうゆう経過か、不明
だが、電車にはねられた。この間には、かなり細かいことが調べられているはずだが、結果としてこれで損害を
こうむったと判断した人間が、会社にいた。その会社は、JR東海。もちろん、代表は社長だろうが、あるいは、
これは損害賠償してもらわなければ、と決断した人ももちろん、社長だろう。
会社が何かするわけはない。そこに働く人間がいて、組織を会社と称しているが、何をやるにしろ、やるのは
人間である。
はねられた人は、認知症だった。民法に、監督責任というのがあるそうだ。これに関して、新聞を見ただけで
裁判になったというのもはじめて知ったのだが、最高裁判所の判事の判断は、監督責任はこの場合問えない、である。
それまでの裁判とは違った。考えることは多い。
自転車で走っている人も多いが、自転車事故で、相手が怪我をした、あるいはより不幸なことが起こった。
それをおこしたのが高齢者だったり、あるいは子供だったりする。
歩行者の場合、特に相手がお年寄りの判断は、ある人の場合、間違える可能性はある。自転車は軽車両。
乗っていた人が悪いかどうか。
車の場合はどうか。この例は多く、最悪の事態になる。
ここで、この認知症の方が、電車にはねられた事件で、組織の人間のトップである、社長が、私が言いたいのは
訴えるのは人間だということだが、損害賠償を請求した。というのは、よほど事故の原因が、高齢の方にあった
という確証があったからだろう。
この逆はどうか。鉄道会社の社員の判断ミスで、死亡事故が起こった。「尼崎」の例が記憶に新しい。
あるいは鉄道会社の線路とかの保守に問題があって、つまり作業員が何らかの行為を行なわなかったため
事故が起こった。いったいに、どれだけの賠償額になるか。まー額の問題ではないけど。
監督責任、これがなかなか厳しい。
問題人間は、檻の中に入れておけ、ということにならないか。
私の母も、これも詳しく書くと長くなるのでやめるが、途中の道で、50mほど離れていたが、道の真ん中で
倒れていて、それを見た人が知らせてくれたが、「なぜ鍵をかけてない」、がその次の言葉だった。
3月2日の雪。
その一。不気味でもある。
その二。
その三。この景色を見た後、新聞での記事を見た。
その四。雪が降ってきた、また。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。
雪だけが降っている。そうゆうものを見つめる人間もいなくなる。
ちょうど午後1時ごろは、14℃くらいはあった。
だが今日は、コタツの中に先ほど入っていて、一瞬意識が薄らいだので、これはいけない、と思う。
コタツの中はさほど暖かくないような気がして、きのうが特にそうだった。これも、別段おかしいわけでなく
大して気温も上がらなかったから。もっともな話。中で転寝も出来ない。昼間も眠くなることはなかった。
それでも、さすがに夜は、コタツにつかるという感じはあるので、足だけやけに熱くなる。
すでに、PR誌の3月号は、2冊、2月の26日か27日に来ていて、珍しいこともあるなと思う。普通同じ日に来る
ことはない。すぐに読める、そうゆう内容でもないものも多く、このところ夜もこれを見ていないが、先ほど
長すぎることはない、エッセイを読んでいて、なるほどねと思う。でも、これは認知症のことではないもので
もう少し壮大といっていい、あるいは精神的に健康といっていい、一種感動的なもので、まずは外には出ない
ような内容のものである。
きのう、夕食を作っているときである。コンロは三つあって、1つは、ただ水だけ入れた鍋を置いている。寒いと
思うときはこの三つ目のコンロの火もつけて、水蒸気を発生させる。きのうはそうゆう日でもあって、しかし、
火をつけてしばらくして、恐らく1分以内に、妙な音がしたので、これに気がついてよかったが、なかは空っぽ。
今まで何回かやっていて中の水はもうなかった。蓋している。この経験は初めてで、ぎょっとさすがにした。
思い込み、あるいは鈍感。いままでというと、火をつける場合、この暖房用の鍋でも、中の水の量を見て
いたかな。こうゆうこともあるのか。いやあっておかしくはない。ぼんやりしていた。
認知症というのは、いつごろこうゆう名になったのか。だが、今ごろこの病気が突然出て来たわけではない。
老人性痴呆症とか、ただの痴呆、あるいはほかに何があったか。関係ないものと思っていた。私のほうが
いろいろ精神的に不安定だったからで、しかしこれは肉体の異常をも伴う場合が多かった。
先に父がおかしい、と思うようになった。これに気がついたのはもちろん私で、やがて母もこれに気がついた
はずだが、私自身、父が何かおこすという危惧は持たなかった。自分の、郵便局なり銀行の口座がある。こうゆう
ものは母が管理はしていた。でこのお金は「おろせない」とか言い出したことだけ覚えているが、妙なことに
なると困るなという気はした。あとは、身体は丈夫で、自転車だが、結構長い時間、何か思い立つと乗っていた
ようである。
幸いというべきか、交通事故とかはなかった。
なんでこんなことを書いているか。その方のことをきのうまで知らなかった。高齢で、どうゆう経過か、不明
だが、電車にはねられた。この間には、かなり細かいことが調べられているはずだが、結果としてこれで損害を
こうむったと判断した人間が、会社にいた。その会社は、JR東海。もちろん、代表は社長だろうが、あるいは、
これは損害賠償してもらわなければ、と決断した人ももちろん、社長だろう。
会社が何かするわけはない。そこに働く人間がいて、組織を会社と称しているが、何をやるにしろ、やるのは
人間である。
はねられた人は、認知症だった。民法に、監督責任というのがあるそうだ。これに関して、新聞を見ただけで
裁判になったというのもはじめて知ったのだが、最高裁判所の判事の判断は、監督責任はこの場合問えない、である。
それまでの裁判とは違った。考えることは多い。
自転車で走っている人も多いが、自転車事故で、相手が怪我をした、あるいはより不幸なことが起こった。
それをおこしたのが高齢者だったり、あるいは子供だったりする。
歩行者の場合、特に相手がお年寄りの判断は、ある人の場合、間違える可能性はある。自転車は軽車両。
乗っていた人が悪いかどうか。
車の場合はどうか。この例は多く、最悪の事態になる。
ここで、この認知症の方が、電車にはねられた事件で、組織の人間のトップである、社長が、私が言いたいのは
訴えるのは人間だということだが、損害賠償を請求した。というのは、よほど事故の原因が、高齢の方にあった
という確証があったからだろう。
この逆はどうか。鉄道会社の社員の判断ミスで、死亡事故が起こった。「尼崎」の例が記憶に新しい。
あるいは鉄道会社の線路とかの保守に問題があって、つまり作業員が何らかの行為を行なわなかったため
事故が起こった。いったいに、どれだけの賠償額になるか。まー額の問題ではないけど。
監督責任、これがなかなか厳しい。
問題人間は、檻の中に入れておけ、ということにならないか。
私の母も、これも詳しく書くと長くなるのでやめるが、途中の道で、50mほど離れていたが、道の真ん中で
倒れていて、それを見た人が知らせてくれたが、「なぜ鍵をかけてない」、がその次の言葉だった。
3月2日の雪。
その一。不気味でもある。
その二。
その三。この景色を見た後、新聞での記事を見た。
その四。雪が降ってきた、また。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。
雪だけが降っている。そうゆうものを見つめる人間もいなくなる。