サンシキスミレは、パンジー。冬になると、夏の花と入れ替わるが、このサンシキ
スミレは必ずありそう。ハボタンは葉っぱのものでは、似た感じがある、いろいろ色が
ある。冬の植物というとなかなか思い付かない。
わかりやすいのは、サザンカ、これからというもの。きのう出た、ちょっと大きくて
ドキッとしたが、スイセンも冬の花、これから本格的な寒さを迎える、北陸の花だと、この
三つくらいが、冬の花で、雪と一緒にあるのかも知れない。なかなか出てこないという
のもあるが。暖かいところだと、それこそ冬に早咲きの、春の早春の花が咲いてしまう。で
もこの辺りではなかなかそうゆうことはない。知らない野の花、また植物愛好家の花はあ
るだろう。でも
冬の花は雪。その雪、一度だけ降った。それで今週、これから降りそうだが、今日は
どうも暖かすぎた。それより大雨の被害というのがいたたまれない。
サンシキスミレにも大小があって、これは小さい。膝を折って、背をか
がめて真正面に来るようにするのが少ししんどい。
サンシキスミレに顔がある場合が多い。これでは小さい砂粒が目に口に
なったか。弱い、微風でそわそわと高めの振動数で揺れる。
サンシキスミレの二。どれが目でどれが口か、たしかにくしゃみをして
いる。
サンシキスミレの三。オレンジ色、緑の葉と対照的。
サンシキスミレの四。小さいが新しい花芽がある。花粉症。
サンシキスミレの五。花びらの様子がようやくわかる。なかなか美しい。
サンシキスミレの六。お母さんスミレは、少し泥を被って、ちょうどヨ
チヨチ歩きのスミレの子供は、りりしいなー。贔屓目に見ているか。
それで、同じく小さめのバラ、ミニバラ。
咲き方は今一つ。でも、こうゆう小さいバラもこれから咲いてくれるか
と思うと嬉しいし、また会いたいと思う。
それで、一枚だけ残った、カエデの葉とかいうのはどうか。そうゆう偶
然があって、そうでないものも多い。
一枚ではなく、上の方にねじれてもう一枚あった。曇り空のカエデの色
合いもなかなかなものだ。
これも一枚かと思ったら、もう一枚向こう側に、あった。
多く残るカエデの葉。
カエデの葉は美しくしかし剪定されて、切り落とされた枝のそれが想像
されて痛々しい。
といっても、ここのいえのカエデも、枝がかなり広がって、ついには、
私がもっと!切ってくれとかいった。それは、もう出たが。
ブログの空白を埋めるのも大変だな。
今日は暖かいといえる一日のようで、でもその恩恵も今日だけかな。明日からまた冷
たい雨が降るのだろうか。少しくらいは雪に慣れておきたいという気もある。雪の重みが
弱りきった腰にどれだけ負担を与えるか、それから少しは運動にもなるから、減量につな
がらないか、そうゆう期待もあることはある。
その前に、雪かきのことだが、せいぜい準備体操くらいはしておかないといけないだ
ろう。それにしても、大雪の年は大体年賀ハガキを書いているとき、窓を見て雪が激しく
降るので真っ青な状況にもなるのが、このところだったが、
そうは今年はならないようだ。年賀ハガキは結構集中力を必要として、それも一応も
う書いた。あとは少し時間をおいて頭をより空っぽにして、見直しということをやる。する
と、あー間違っているというのが見つかる。それを見つけて、しかたなしにカッターナイ
フで少しだけ表面を削って書き直す。そうゆうのが見つかった方が安心感があるかも知れ
ない。
年賀ハガキで、プリンタで印字されたもので、間違ってその後に訂正したという、年賀
状を受け取るというのもあるが、これもいかにも年賀ハガキを作ったが、やっぱし最後は
人の間違いというのはあって、それは人が直さないといけないということもわかって面白
いものだ。
年賀ハガキというのはこれまた配られる人にもよるのだろうが、間違って配達される
場合がある。どうにもこうにも明らかに違うというものもある。そうゆう住所はないので
はないかというものもあった。間違って配達されて、それでそのままという場合もあるの
だろう。毎年来るが、この年だけ来なかったというのは、そうゆう誤配で、そのままに
なったとかも思うけど、真実はわからないままだ。
まだまだ学校というのはあるようで、こうゆう晴れたり曇ったりというお天気で、人影
も見当たらないというのはかなりさびしいものがある。
最近あれあれと思ったものの一つに、買い物難民とかいうのがあって、詰まるところ
自分で、買い物にゆくのも大変でそれで、あるときはタクシーに乗って買いにゆくとかい
う人、他にはどうだろうか。
いずれにしろ、買い物は今は多くは車に乗って遠路はるばる遠いがちょっと大きめの
スーパーマーケットにゆく、あるいはショッピングセンタにゆく、それもいろいろの大型
スーパーが集まったところにゆくというのが主流で、それが出来ない人、自家用車がない、
車の運転が出来ない、適当な交通手段がないとかいう人はみな、買い物難民らしい。
そうすると自分もそうなるなー。まー、どうにか近くのお店で多くはそこでの買い物で
済ませることは出来るが。
それにしても、より平和だったかも知れない昭和の時代は近くに田舎といわれるとこ
ろでもたくさんお店はあった。あーゆう時代はもう戻らないのかと思うと、たしかにみな、
なんとか難民になるなと思うのだが、難民とはいったいに何のことか。
スミレは必ずありそう。ハボタンは葉っぱのものでは、似た感じがある、いろいろ色が
ある。冬の植物というとなかなか思い付かない。
わかりやすいのは、サザンカ、これからというもの。きのう出た、ちょっと大きくて
ドキッとしたが、スイセンも冬の花、これから本格的な寒さを迎える、北陸の花だと、この
三つくらいが、冬の花で、雪と一緒にあるのかも知れない。なかなか出てこないという
のもあるが。暖かいところだと、それこそ冬に早咲きの、春の早春の花が咲いてしまう。で
もこの辺りではなかなかそうゆうことはない。知らない野の花、また植物愛好家の花はあ
るだろう。でも
冬の花は雪。その雪、一度だけ降った。それで今週、これから降りそうだが、今日は
どうも暖かすぎた。それより大雨の被害というのがいたたまれない。
サンシキスミレにも大小があって、これは小さい。膝を折って、背をか
がめて真正面に来るようにするのが少ししんどい。
サンシキスミレに顔がある場合が多い。これでは小さい砂粒が目に口に
なったか。弱い、微風でそわそわと高めの振動数で揺れる。
サンシキスミレの二。どれが目でどれが口か、たしかにくしゃみをして
いる。
サンシキスミレの三。オレンジ色、緑の葉と対照的。
サンシキスミレの四。小さいが新しい花芽がある。花粉症。
サンシキスミレの五。花びらの様子がようやくわかる。なかなか美しい。
サンシキスミレの六。お母さんスミレは、少し泥を被って、ちょうどヨ
チヨチ歩きのスミレの子供は、りりしいなー。贔屓目に見ているか。
それで、同じく小さめのバラ、ミニバラ。
咲き方は今一つ。でも、こうゆう小さいバラもこれから咲いてくれるか
と思うと嬉しいし、また会いたいと思う。
それで、一枚だけ残った、カエデの葉とかいうのはどうか。そうゆう偶
然があって、そうでないものも多い。
一枚ではなく、上の方にねじれてもう一枚あった。曇り空のカエデの色
合いもなかなかなものだ。
これも一枚かと思ったら、もう一枚向こう側に、あった。
多く残るカエデの葉。
カエデの葉は美しくしかし剪定されて、切り落とされた枝のそれが想像
されて痛々しい。
といっても、ここのいえのカエデも、枝がかなり広がって、ついには、
私がもっと!切ってくれとかいった。それは、もう出たが。
ブログの空白を埋めるのも大変だな。
今日は暖かいといえる一日のようで、でもその恩恵も今日だけかな。明日からまた冷
たい雨が降るのだろうか。少しくらいは雪に慣れておきたいという気もある。雪の重みが
弱りきった腰にどれだけ負担を与えるか、それから少しは運動にもなるから、減量につな
がらないか、そうゆう期待もあることはある。
その前に、雪かきのことだが、せいぜい準備体操くらいはしておかないといけないだ
ろう。それにしても、大雪の年は大体年賀ハガキを書いているとき、窓を見て雪が激しく
降るので真っ青な状況にもなるのが、このところだったが、
そうは今年はならないようだ。年賀ハガキは結構集中力を必要として、それも一応も
う書いた。あとは少し時間をおいて頭をより空っぽにして、見直しということをやる。する
と、あー間違っているというのが見つかる。それを見つけて、しかたなしにカッターナイ
フで少しだけ表面を削って書き直す。そうゆうのが見つかった方が安心感があるかも知れ
ない。
年賀ハガキで、プリンタで印字されたもので、間違ってその後に訂正したという、年賀
状を受け取るというのもあるが、これもいかにも年賀ハガキを作ったが、やっぱし最後は
人の間違いというのはあって、それは人が直さないといけないということもわかって面白
いものだ。
年賀ハガキというのはこれまた配られる人にもよるのだろうが、間違って配達される
場合がある。どうにもこうにも明らかに違うというものもある。そうゆう住所はないので
はないかというものもあった。間違って配達されて、それでそのままという場合もあるの
だろう。毎年来るが、この年だけ来なかったというのは、そうゆう誤配で、そのままに
なったとかも思うけど、真実はわからないままだ。
まだまだ学校というのはあるようで、こうゆう晴れたり曇ったりというお天気で、人影
も見当たらないというのはかなりさびしいものがある。
最近あれあれと思ったものの一つに、買い物難民とかいうのがあって、詰まるところ
自分で、買い物にゆくのも大変でそれで、あるときはタクシーに乗って買いにゆくとかい
う人、他にはどうだろうか。
いずれにしろ、買い物は今は多くは車に乗って遠路はるばる遠いがちょっと大きめの
スーパーマーケットにゆく、あるいはショッピングセンタにゆく、それもいろいろの大型
スーパーが集まったところにゆくというのが主流で、それが出来ない人、自家用車がない、
車の運転が出来ない、適当な交通手段がないとかいう人はみな、買い物難民らしい。
そうすると自分もそうなるなー。まー、どうにか近くのお店で多くはそこでの買い物で
済ませることは出来るが。
それにしても、より平和だったかも知れない昭和の時代は近くに田舎といわれるとこ
ろでもたくさんお店はあった。あーゆう時代はもう戻らないのかと思うと、たしかにみな、
なんとか難民になるなと思うのだが、難民とはいったいに何のことか。