一応、いろいろたしかめて、それはいえを出るときはやる。やらない方がおかしい。で
も、大体これでよしと思うから、出かける。買物にしろ、ちょっと長め散歩にしろ、それ
を、安全か、確認するのが、当然だし。そのままで、特に悩むことも少ない。まったくな
いことはない。これは歩かない方がよかったというのはあるが、いえの鍵とか、それか
ら暖房の切り忘れというので、あれあれというものはあまりない。
今日はそれが出た。調子が悪いのかも知れない。それで潔く、戻る。たしかめて大丈
夫と思う。指先点呼というのがある。昔の方がよくやった。声を出すから、記憶にも残る。
それ、最近はやらない。だから、自分の部屋を一歩でるに出てから、もう一度電気ヒータ
をっ確認したりする。これの回数が増えると、ちょっと病的だと思う。無きにしも非ず。
迷いというのは、戻るかどうかが一つ。でどこをどう歩くなども、なんにも考えない
で、スルスルとゆくときもあるが、概して思案するときはどこかおかしい。そのおかしさ
が上昇しているときだ。ないよりはいいか。
まだ少し、朝の光景を引きずっている。ちょうど日が差し込むとき。冷
え冷えとするときでもある。
落ち葉の霜にも、朝の柔らかい光が当たる。暖かみは少ない。
窓ガラスの水滴に焦点を合わせる。太陽がこのようにも見えて、電球の
ようで、他と言われると困るなー。
枝垂れ梅の雪囲い。
ほぼ快晴、空は青く、辺りは明るいが、朝の気温が低かったから、結構
着膨れしている。歩いていると、なんだか昼過ぎなのに、異常に着過ぎ
ているというのが、他の方の軽い服装によって自覚されるが、決して暑
いとか思わない。
完全な寒がりになった。
特に、空が青く出るようにしなくても、この青さ。暖かみがある。気温
はこのときはどのくらいかな。
毎年のことだが、キカラスウリがどこにあるか、ついでにカラスウリも、
とその場所を探す。
なくなるところもあり、毎年見つかる、つまりそこにキカラスウリを植
えておられるのかも、というところはある。ここの御家庭もそのようで、
そういえば去年もあった。
今日は日が強すぎて、うまく色合いは出ない。
キカラスウリもカラスウリも両方ある。
曇りの日がちょうどいい。そうゆうお天気のときに、あーきれいだとか
思う。きょうも肉眼ではきれいに見えるが、カメさんだとこの程度。
冬らしさはないかという気にもなる。
ナンテンと、赤いサザンカ。
赤い色のないナンテン。大豆の色。
もうすこし拡大すれば、ナシが、果物のだが、が一番感じは似る。大豆
の感じはない。
少し歩いたところで、よくある、なんども出ているところもある、景色
を並べて、終わってしまった。多少は余裕を持たないといけない。
全然上のことと関係はないが、
きのうの夜というのがある。少し今使うPCのこととか調べると、いうとおかしいが、一
体これはいつごろのものか、例えばメインボードのBIOSやらは新しいものが出ていないか、そ
の外のメインボードに付属する、ドライバソフトのそれもあるかないか、など調べた。ほとん
ど新しいというものはない。それだけ古いというもので、別なものでは、更新はされて
いないという言い方も出来る。あるいはディスプレードライバはどうか。これはあまり
新しいものは気にしないでいい。今、問題がなければ。
一応、使っているものの登録が削除されるとか、もう「ない」というのはなかった。ど
のくらいの時間まで、過去の製品のバックアップ的なことはやられるのだろうか。すべて
というのは無理だろう。それにしてもいろいろな製品が1年で出て、また1年で変化する。
そうゆうことをやっても、使っているPCで、昔と比較して何か新しいものはあるかとい
うと、これはないなー。
ウィンドウズのXPというのは、もともと多分、2002年かそれより少し前に出ているし、
それから約7年かそれ以上はたつわけで、変化がないのが普通。でもXPでまだ十分で、それで
問題がなければ、この先もこれでいいということになる。車は今はガソリンで、あるいは
軽油かで走るようだが、それはすべて電気で走るとかいうことにはならないだろう。電気だっ
て、もともとは油を燃やして作っていると考えることも出来るしね。
それにしても、新しいというものがこれくらい自分から、離れたものとして存在する
時代になるとは。思ってもみないことはないが、なんだか何を見てもって、新聞なり、TV
なり雑誌だけど、そうゆう媒体を見て、関係ないと思えるものが多すぎる。
それで、そうゆうことをも考えつつ古いもののフォローというのがまだされているか、
たしかめてみたのだが、
それが終わってさて、母にいつも渡している、薬と思ってその袋を探したが、ない。
あれ、どこかに置いたままか。
そんなものが無くなるわけがないが、いろいろ保険証も入っているし、診察カードもそ
の中で、要するに必要なものはみなそこに入っているが、それがない。見えないだけだ、で
も見えない。もう夜も更けてゆく。でも小学生も起きている時間で、どこをどう探しても
ない。
置いてあるというのは、私が朝に母に薬を渡して、そのとき同時に他のことを思い出し
てちょいとそこに置いて、それでそのことを忘れた。それしか、無くなる方法も手段も
ない。あー大事。
結局、これは母が見つけてどこかへと置き直したとしか考えられない。で、5分くらい
探して、見つかった。当たり前だと思った。ただ場所はなかなか気が付かない。本箱のよ
うで、その外のものもたくさん置いてある、そうゆうところの中に押し込んであった。それが
見えたときは本当にホッとした。
自分もぼけたというのは、今に始まったことではないが、この事件もまずはそれが見つ
かって済んだが、この先やっぱり気を付けてもそうゆうことというのは起きるだろう。いつ
もお茶ぐらい何か他のことをやっている時間に出来るとも思う。お米を研ぐのも、とぐとい
うがただ簡単に洗うだけ、それも忘れる。お米も簡単に炊けると思うが、これも忘れる。そ
うゆう自分になってしまった。
それに付け加えて、ご飯も暖かいところに置いてあるとカビが今でも生える。で、冷蔵
庫に小分けしてしまう。そうゆうこともやる。どうして、それで空になった、ご飯を炊く、
鍋にまたお米が洗って置いてあるのか。となる。
も、大体これでよしと思うから、出かける。買物にしろ、ちょっと長め散歩にしろ、それ
を、安全か、確認するのが、当然だし。そのままで、特に悩むことも少ない。まったくな
いことはない。これは歩かない方がよかったというのはあるが、いえの鍵とか、それか
ら暖房の切り忘れというので、あれあれというものはあまりない。
今日はそれが出た。調子が悪いのかも知れない。それで潔く、戻る。たしかめて大丈
夫と思う。指先点呼というのがある。昔の方がよくやった。声を出すから、記憶にも残る。
それ、最近はやらない。だから、自分の部屋を一歩でるに出てから、もう一度電気ヒータ
をっ確認したりする。これの回数が増えると、ちょっと病的だと思う。無きにしも非ず。
迷いというのは、戻るかどうかが一つ。でどこをどう歩くなども、なんにも考えない
で、スルスルとゆくときもあるが、概して思案するときはどこかおかしい。そのおかしさ
が上昇しているときだ。ないよりはいいか。
まだ少し、朝の光景を引きずっている。ちょうど日が差し込むとき。冷
え冷えとするときでもある。
落ち葉の霜にも、朝の柔らかい光が当たる。暖かみは少ない。
窓ガラスの水滴に焦点を合わせる。太陽がこのようにも見えて、電球の
ようで、他と言われると困るなー。
枝垂れ梅の雪囲い。
ほぼ快晴、空は青く、辺りは明るいが、朝の気温が低かったから、結構
着膨れしている。歩いていると、なんだか昼過ぎなのに、異常に着過ぎ
ているというのが、他の方の軽い服装によって自覚されるが、決して暑
いとか思わない。
完全な寒がりになった。
特に、空が青く出るようにしなくても、この青さ。暖かみがある。気温
はこのときはどのくらいかな。
毎年のことだが、キカラスウリがどこにあるか、ついでにカラスウリも、
とその場所を探す。
なくなるところもあり、毎年見つかる、つまりそこにキカラスウリを植
えておられるのかも、というところはある。ここの御家庭もそのようで、
そういえば去年もあった。
今日は日が強すぎて、うまく色合いは出ない。
キカラスウリもカラスウリも両方ある。
曇りの日がちょうどいい。そうゆうお天気のときに、あーきれいだとか
思う。きょうも肉眼ではきれいに見えるが、カメさんだとこの程度。
冬らしさはないかという気にもなる。
ナンテンと、赤いサザンカ。
赤い色のないナンテン。大豆の色。
もうすこし拡大すれば、ナシが、果物のだが、が一番感じは似る。大豆
の感じはない。
少し歩いたところで、よくある、なんども出ているところもある、景色
を並べて、終わってしまった。多少は余裕を持たないといけない。
全然上のことと関係はないが、
きのうの夜というのがある。少し今使うPCのこととか調べると、いうとおかしいが、一
体これはいつごろのものか、例えばメインボードのBIOSやらは新しいものが出ていないか、そ
の外のメインボードに付属する、ドライバソフトのそれもあるかないか、など調べた。ほとん
ど新しいというものはない。それだけ古いというもので、別なものでは、更新はされて
いないという言い方も出来る。あるいはディスプレードライバはどうか。これはあまり
新しいものは気にしないでいい。今、問題がなければ。
一応、使っているものの登録が削除されるとか、もう「ない」というのはなかった。ど
のくらいの時間まで、過去の製品のバックアップ的なことはやられるのだろうか。すべて
というのは無理だろう。それにしてもいろいろな製品が1年で出て、また1年で変化する。
そうゆうことをやっても、使っているPCで、昔と比較して何か新しいものはあるかとい
うと、これはないなー。
ウィンドウズのXPというのは、もともと多分、2002年かそれより少し前に出ているし、
それから約7年かそれ以上はたつわけで、変化がないのが普通。でもXPでまだ十分で、それで
問題がなければ、この先もこれでいいということになる。車は今はガソリンで、あるいは
軽油かで走るようだが、それはすべて電気で走るとかいうことにはならないだろう。電気だっ
て、もともとは油を燃やして作っていると考えることも出来るしね。
それにしても、新しいというものがこれくらい自分から、離れたものとして存在する
時代になるとは。思ってもみないことはないが、なんだか何を見てもって、新聞なり、TV
なり雑誌だけど、そうゆう媒体を見て、関係ないと思えるものが多すぎる。
それで、そうゆうことをも考えつつ古いもののフォローというのがまだされているか、
たしかめてみたのだが、
それが終わってさて、母にいつも渡している、薬と思ってその袋を探したが、ない。
あれ、どこかに置いたままか。
そんなものが無くなるわけがないが、いろいろ保険証も入っているし、診察カードもそ
の中で、要するに必要なものはみなそこに入っているが、それがない。見えないだけだ、で
も見えない。もう夜も更けてゆく。でも小学生も起きている時間で、どこをどう探しても
ない。
置いてあるというのは、私が朝に母に薬を渡して、そのとき同時に他のことを思い出し
てちょいとそこに置いて、それでそのことを忘れた。それしか、無くなる方法も手段も
ない。あー大事。
結局、これは母が見つけてどこかへと置き直したとしか考えられない。で、5分くらい
探して、見つかった。当たり前だと思った。ただ場所はなかなか気が付かない。本箱のよ
うで、その外のものもたくさん置いてある、そうゆうところの中に押し込んであった。それが
見えたときは本当にホッとした。
自分もぼけたというのは、今に始まったことではないが、この事件もまずはそれが見つ
かって済んだが、この先やっぱり気を付けてもそうゆうことというのは起きるだろう。いつ
もお茶ぐらい何か他のことをやっている時間に出来るとも思う。お米を研ぐのも、とぐとい
うがただ簡単に洗うだけ、それも忘れる。お米も簡単に炊けると思うが、これも忘れる。そ
うゆう自分になってしまった。
それに付け加えて、ご飯も暖かいところに置いてあるとカビが今でも生える。で、冷蔵
庫に小分けしてしまう。そうゆうこともやる。どうして、それで空になった、ご飯を炊く、
鍋にまたお米が洗って置いてあるのか。となる。