よく使うカメさんは一つか二つで、数はもうすこし多い。一つでもいい。と二つあ
ってもいい、という考えは似ている。そうなるとたくさんあってもおかしくはない。それ
を使うのはいいがほったらかしという場合もあって、12月としては珍しく、朝のさほ
ど早くない、青い色の景色というのがあった。
一つ前の流れを断ち切るのは、違う日のものか、違うカメさんを見ればいいが、これ
また大変。
多少は余裕がないとと思う。この日はそうゆう日だったかどうか。
花とか虫とか探して、あるいはそこにあるものを見て、新鮮だと思える
のは野菜。これは間違いない。たしかに、そこにある野菜は、お店で売
っているもの比べて、それは新鮮で、また美しい。
空を見る。脳みそに何かいい影響を与えないか。いつも思うが、でも何
か探すとすると、下を向く。
朝でないと見えないかも。これから光の量は減らない。しばらくは、そ
うゆう朝。夕方というものとの違いも。
目にはただの朝の光景が、で、たしかに少し煙い。そういえば煙い、煙
があったというのも思い出した。その煙も青いかも。
菊のいくつか。朝の菊。
花に露が付いているようだ。
赤い色も出ている。
朝の光で、コントラストがあまり出ない場合があった。花の真正面から
光が当たっていた。そうなると、光が強すぎてレンズは迷う。面白い現
象。
もとの青に。
遠い青。
青空、と枯れ葉。
金色のイチョウの葉。やっぱり朝の光は少し違う。こうゆう光景、この
イチョウで見るのは朝に限るかも知れない。
きのうの大荒れのお天気は、今頃新聞を見ているが、予想以上にひどいものがあった
ようで、近くでも停電とかやはりあった。下手に電子機器など、なんのことだといえば、
PCのことだけど安穏とは使えないとか思う。停電でどうなるか。なんだか一回電気が
切れてしまうと、すべて最初からやり直しという場合がある。例えば、なんだろうか。機
械にくっ付いている、時計とかいうのもそうだろうし、給湯器の設定温度というのも
すべて、初期設定に戻ってしまう。
もっと、こうゆう家電製品を頻繁に使う方にとってこの停電は怖い。それこそドア
が開かないとかいうことにもならないか。よくはわからないが。
毎度毎度、電気に依存した生活をしていると、雷が鳴り、突風が吹き、たまに漏電遮断
機も作用して「アタフタ」すると、依存の「度合い」も甚だしいことがよくわかる。これだ
け依存して、それで停電となるとお手上げだ。わかってはいるが、それに対して打つ手と
いうのを考えていない。ただ祈る程度で、この非科学的な生活の考え方というのをまじ
まじと知らせてくれる、今回の嵐でもあった。
何でもそうかも知れない。ハガキが来て、年賀ハガキを書くときだと思い直し、電気の
使用量を見て、これはいかんとか思う。水道だって、無限に水はあるわけでなく、漏水を
直しても、その使用する水の量が減らないとすると、他に漏れがあるか、無駄遣いがあ
る。点検といいながら何をしているか。
一つの何かで芋づる式にあれはどうだったかという思いに捕らわれて、その何かがな
かったり、冷たい思いをしてあるいは埃まみれになって、探しものをする。自動とかい
うが、結局のところ、自分の目で手で探さないといけないものというのはある。なんで
もかんでも自動というのは、といつも思って、あるものはいつも自動ではやらないこと
にしているが。
ため息が出て、それでそうゆう生活がまだいいとか思う日がなかなか来ない、面倒な
ことになりたくないというのが正直なところだが、そのために多少の冷たさや面倒くささ
というものを味わう。
なんだか説教じみたこと書いた。これはいかん。こんなこと自分の心の中に閉じ込め
ておくのがいい。
ってもいい、という考えは似ている。そうなるとたくさんあってもおかしくはない。それ
を使うのはいいがほったらかしという場合もあって、12月としては珍しく、朝のさほ
ど早くない、青い色の景色というのがあった。
一つ前の流れを断ち切るのは、違う日のものか、違うカメさんを見ればいいが、これ
また大変。
多少は余裕がないとと思う。この日はそうゆう日だったかどうか。
花とか虫とか探して、あるいはそこにあるものを見て、新鮮だと思える
のは野菜。これは間違いない。たしかに、そこにある野菜は、お店で売
っているもの比べて、それは新鮮で、また美しい。
空を見る。脳みそに何かいい影響を与えないか。いつも思うが、でも何
か探すとすると、下を向く。
朝でないと見えないかも。これから光の量は減らない。しばらくは、そ
うゆう朝。夕方というものとの違いも。
目にはただの朝の光景が、で、たしかに少し煙い。そういえば煙い、煙
があったというのも思い出した。その煙も青いかも。
菊のいくつか。朝の菊。
花に露が付いているようだ。
赤い色も出ている。
朝の光で、コントラストがあまり出ない場合があった。花の真正面から
光が当たっていた。そうなると、光が強すぎてレンズは迷う。面白い現
象。
もとの青に。
遠い青。
青空、と枯れ葉。
金色のイチョウの葉。やっぱり朝の光は少し違う。こうゆう光景、この
イチョウで見るのは朝に限るかも知れない。
きのうの大荒れのお天気は、今頃新聞を見ているが、予想以上にひどいものがあった
ようで、近くでも停電とかやはりあった。下手に電子機器など、なんのことだといえば、
PCのことだけど安穏とは使えないとか思う。停電でどうなるか。なんだか一回電気が
切れてしまうと、すべて最初からやり直しという場合がある。例えば、なんだろうか。機
械にくっ付いている、時計とかいうのもそうだろうし、給湯器の設定温度というのも
すべて、初期設定に戻ってしまう。
もっと、こうゆう家電製品を頻繁に使う方にとってこの停電は怖い。それこそドア
が開かないとかいうことにもならないか。よくはわからないが。
毎度毎度、電気に依存した生活をしていると、雷が鳴り、突風が吹き、たまに漏電遮断
機も作用して「アタフタ」すると、依存の「度合い」も甚だしいことがよくわかる。これだ
け依存して、それで停電となるとお手上げだ。わかってはいるが、それに対して打つ手と
いうのを考えていない。ただ祈る程度で、この非科学的な生活の考え方というのをまじ
まじと知らせてくれる、今回の嵐でもあった。
何でもそうかも知れない。ハガキが来て、年賀ハガキを書くときだと思い直し、電気の
使用量を見て、これはいかんとか思う。水道だって、無限に水はあるわけでなく、漏水を
直しても、その使用する水の量が減らないとすると、他に漏れがあるか、無駄遣いがあ
る。点検といいながら何をしているか。
一つの何かで芋づる式にあれはどうだったかという思いに捕らわれて、その何かがな
かったり、冷たい思いをしてあるいは埃まみれになって、探しものをする。自動とかい
うが、結局のところ、自分の目で手で探さないといけないものというのはある。なんで
もかんでも自動というのは、といつも思って、あるものはいつも自動ではやらないこと
にしているが。
ため息が出て、それでそうゆう生活がまだいいとか思う日がなかなか来ない、面倒な
ことになりたくないというのが正直なところだが、そのために多少の冷たさや面倒くささ
というものを味わう。
なんだか説教じみたこと書いた。これはいかん。こんなこと自分の心の中に閉じ込め
ておくのがいい。