今、窓から東の空を見ると、月が輝いている。かなり明るい。先ほどTVの天気情報で
も、今日の夜は晴れとか出ていた。そうなると、なるほど月が煌々と輝くのもわかる。明日
の朝はしかし、冷えるだろう。
雪は平野部でも降った。自分の目でその雪を見たし、たしかに寒かった。それで、寒い
日は少し続いた。降るか、積もるかと思う。だがチラチラと舞うもの、白いものはあるが、
それもよく観察してないとわからないくらいだ。で、もう降らないというのなら、なんにも
こんな回りくどいことを書くこともない。降らないのがこのところの冬で、降っても、ちょ
っと本格的なのは1月に入って。
でも降る降るとかいう。自分もそう思っていた。それはいつか、降り積もって、あっけ
なく消える、そうゆう雪が望ましい。でも、冬は長いから、当然積もるだろう。降る降ると
書いて、なかなか降らないから、それでいいとかなかなか言えない。どうせならもう降ら
ないと約束してくれればいい。せめて、12月は。
きのうはもうすこし空の状態がいいと思えるのだが、そうでもないよう
で、歩いていて、田んぼの向こうに見える雪山は、少し薄っすらしてい
た。でもこれも晴れて見えた。見えないときが多い。今年もう一度こう
ゆう山が見えるか。
東の空、きのうの午後、ようやく少し暖かさが出たころ。東の南側から。
雪を戴く山々。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七、東の方向で、一番日本海に近いところ。このさらに左側に、雪
山はあったか、たぶん霞んでか見えないと思う。
こうゆうお天気が、この先も例えば来年の1月も2月も続けば、それはそ
れで、ありがたい。なにも好き好んで、雪よ降れとか思わない。でもち
ょっとだけならいいか。雪一つで揺れるものがあるのは事実のようだ。
忘れていました、花も同時にありました。小さい花。
いつもの、ノゲシ。
ピカピカ葉は輝く。
ホトケノザ。
小さい小さい、ホトケノザの花。
対照的だと思って、山とバランスの取れるのはこれしかないとか、思って。
昔むかしというと年賀ハガキなど、書かなかったか、なかなか書く気にもなれなくて、
年が明けて、まさしく新年を迎えて、書いたりしたことがあった。この時間は長いと思う。
ハガキが書いたは書いたで届かない。なかなか、一週間いや、二週間、もっとで一ヶ月く
らい、かかってようやく年賀状が届いたとかいう、年賀状が返って来たときがあったが、こ
れだと飛脚の方が早そうで、なかなか面白いものだ。よく届いた。その返事もよく来た。
ずっと暮れも押し迫る、押し迫るというのが「変」なら、押し詰まるとき、12月の29
日、いや30日、いやいや31日にとかいうときもあって、これは今から考えるに滅茶苦茶であ
る。そうゆう滅茶苦茶な年賀状を受け取ったという事実も後に知った。昔は、怖いものを
知らなかったのだな。
一体いつに書いていたか、年賀ハガキというのは自分でもはっきりしない。でも12月の
半ばに書き始めたというのはごく最近で、まだ3、4年くらいしかたっていないか。紙にだれだ
れさんに書いたというのが一覧で残っている。そこに何月何日にという、数字も書いてあ
るから、結構はっきりしている。その一覧をズルズルと見ると、一体いつから、12月の中
旬か年内に書いたかわかるはずだが、その紙も他のいろいろと一体になって、それをその
塊を今日はようやく、崩したのだが、書くまでには時間がかかった。何枚か書いたが、もっと
も書いていて、不安でもあった。目玉も眼鏡をはずした方がいいときと、そうでないときが
ある。
こうゆう苦労をして来たのか、私よりも早く生まれた人はとかも思うのだが、いやはや
年齢に関係ない達筆の人の多いこと。
朝から毎度の探しもの。何がないかというと、これは鋏。このようなものはきのうの薬袋
と同じで、なくなるものではないと思うので、最後にどうにか
台所、キッチンのある引き出し!から、その文房具タイプの鋏をようやく見つけ出し
た。これは苦労とはいえないが、なんとも歯痒いというか、どうしようもないものだなー。
も、今日の夜は晴れとか出ていた。そうなると、なるほど月が煌々と輝くのもわかる。明日
の朝はしかし、冷えるだろう。
雪は平野部でも降った。自分の目でその雪を見たし、たしかに寒かった。それで、寒い
日は少し続いた。降るか、積もるかと思う。だがチラチラと舞うもの、白いものはあるが、
それもよく観察してないとわからないくらいだ。で、もう降らないというのなら、なんにも
こんな回りくどいことを書くこともない。降らないのがこのところの冬で、降っても、ちょ
っと本格的なのは1月に入って。
でも降る降るとかいう。自分もそう思っていた。それはいつか、降り積もって、あっけ
なく消える、そうゆう雪が望ましい。でも、冬は長いから、当然積もるだろう。降る降ると
書いて、なかなか降らないから、それでいいとかなかなか言えない。どうせならもう降ら
ないと約束してくれればいい。せめて、12月は。
きのうはもうすこし空の状態がいいと思えるのだが、そうでもないよう
で、歩いていて、田んぼの向こうに見える雪山は、少し薄っすらしてい
た。でもこれも晴れて見えた。見えないときが多い。今年もう一度こう
ゆう山が見えるか。
東の空、きのうの午後、ようやく少し暖かさが出たころ。東の南側から。
雪を戴く山々。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七、東の方向で、一番日本海に近いところ。このさらに左側に、雪
山はあったか、たぶん霞んでか見えないと思う。
こうゆうお天気が、この先も例えば来年の1月も2月も続けば、それはそ
れで、ありがたい。なにも好き好んで、雪よ降れとか思わない。でもち
ょっとだけならいいか。雪一つで揺れるものがあるのは事実のようだ。
忘れていました、花も同時にありました。小さい花。
いつもの、ノゲシ。
ピカピカ葉は輝く。
ホトケノザ。
小さい小さい、ホトケノザの花。
対照的だと思って、山とバランスの取れるのはこれしかないとか、思って。
昔むかしというと年賀ハガキなど、書かなかったか、なかなか書く気にもなれなくて、
年が明けて、まさしく新年を迎えて、書いたりしたことがあった。この時間は長いと思う。
ハガキが書いたは書いたで届かない。なかなか、一週間いや、二週間、もっとで一ヶ月く
らい、かかってようやく年賀状が届いたとかいう、年賀状が返って来たときがあったが、こ
れだと飛脚の方が早そうで、なかなか面白いものだ。よく届いた。その返事もよく来た。
ずっと暮れも押し迫る、押し迫るというのが「変」なら、押し詰まるとき、12月の29
日、いや30日、いやいや31日にとかいうときもあって、これは今から考えるに滅茶苦茶であ
る。そうゆう滅茶苦茶な年賀状を受け取ったという事実も後に知った。昔は、怖いものを
知らなかったのだな。
一体いつに書いていたか、年賀ハガキというのは自分でもはっきりしない。でも12月の
半ばに書き始めたというのはごく最近で、まだ3、4年くらいしかたっていないか。紙にだれだ
れさんに書いたというのが一覧で残っている。そこに何月何日にという、数字も書いてあ
るから、結構はっきりしている。その一覧をズルズルと見ると、一体いつから、12月の中
旬か年内に書いたかわかるはずだが、その紙も他のいろいろと一体になって、それをその
塊を今日はようやく、崩したのだが、書くまでには時間がかかった。何枚か書いたが、もっと
も書いていて、不安でもあった。目玉も眼鏡をはずした方がいいときと、そうでないときが
ある。
こうゆう苦労をして来たのか、私よりも早く生まれた人はとかも思うのだが、いやはや
年齢に関係ない達筆の人の多いこと。
朝から毎度の探しもの。何がないかというと、これは鋏。このようなものはきのうの薬袋
と同じで、なくなるものではないと思うので、最後にどうにか
台所、キッチンのある引き出し!から、その文房具タイプの鋏をようやく見つけ出し
た。これは苦労とはいえないが、なんとも歯痒いというか、どうしようもないものだなー。