カエデの紅葉は、終わるところが多く、もう葉のないカエデが多い。このカエデの、
手のひらサイズの紅葉、マクロ。あとは、今日の日の出のころの山々の上だけ、晴れて
いて、その色も紅葉に似ないようで、高揚するかも知れない。微妙な、というかそこだ
け、稜線の上の辺りだけ、晴れていた、様子。
似てるか似てないか、まったく関係ないか。
このカエデの木の、大きめのサイズ、木全体の赤く燃えるような紅葉の
様子は、二度出た。
それで、マクロモードというかミニカメさんも面目躍如の瞬間。ほとん
どカメさんまかせというのもいい。
老眼だと、マクロモードはオートがいい。
すこし誉めすぎたか、こうゆうファイルもある。なかなか出来ないとい
っていいか。こうゆうピンボケのものをだから、出した。
順光で見えている、カエデの葉もあり、これと透過光の違いは明らか。
それがあると、またいいようだ。
手のひらのようなカエデは最初から写っている。それで、手のひらだ
とか、思わせるもの。
等倍表示で、PCのモニタで見ると、結構大きく感じられるのではない
か。ここでは透過光の美しさがあげられる。
このカエデの木の葉も今日はかなり少なくなっていて、でもまだあった。
カエデの紅葉、マクロではここまで。
それから似てるかもというので、
朝に見えていた、立山連峰の稜線とその上の空の色。
これは、明るいもので、また目で見たものと、カメラの感じるものは違う。違う
から、カエデの紅葉に似るかと思った。その様子。
このときは雨はもうなかったかも知れない。空の雲も色を変えている。
肉眼だとどうだろうか。これより前は空は明るいクリーム色。その後は
より色の変化は大きいし、またカメさんの設定にもよるだろう。
日の出が近い。こうなると、黄色が主、金色というのがあるか、というの
はむつかしい。
少しずつ、望遠側にレンズの焦点を変えて。それで、麓の方にかなりゆ
ったりとした雲があるのがはっきりとする。
この色がしばらくは続いたかも知れない。
この後に日の出、ということ、見た目でだが、早々虹も出たし、ということは、まー
明るい日の出もあったので、でももうそうゆうことになると、追いきれるものではない。
夜の今は晴れ間がある。星が見えていて、でも明日はどうなるか。
**********************************
年末か。年末だという感じというのは11月の終わりのころの方が強かった。そうゆ
う意識があったようで今は中だるみ。どうしようもないところ、宙ぶらりんの状態であ
る。やらないといけない、ということ、簡単に書くと、トイレにゆく、という感じのこと
ばかりしかやっていない。トイレというと、不思議な感じがあるが、便所と書くとどう
だろうか。今すわるトイレは、便座があるが、これに電気が流れて、発熱する。いつも
ちょっと怖い。
なんだか一つ間違うと、電気は流れないが、パッキと折れそうでそれはなぜかとい
うと結構長くこの便座を使っているからで、落ち着かない。トイレにいろいろありで、そ
れこそ入院していたときにすでに最新式のトイレというのが病院にあった。あー、こうゆ
う話しになると、どうしてもおかしなことになるのでやっぱり止めよう。そのうち新し
いのに便座は変えないといけない、そう思う。何度思ったことか。
動物のトイレというと、そのようなものは全然感心はないが、偶然ノラのネコさん
のそれを見学したときがあったが、だいたい枯れ草の上、そうゆうものがこれまたあっ
た、の辺りでしゃがんでいる。これ、オトナのネコでも、仔ネコでも同じようで、仔ネ
コのそれは一回だけ見た。ネコはきれい好きである。
ほか母さんネコが、土をかけているというのも見たが、なんだか土をかけるという
より、土を掘っているようなところもあるような感じも受けた。ネコもストレスを感じ
ているのだろう。
バタバタとして、それでカレンダを見ると12月の8日、もう前半も終わろうとする。な
んだかなんにもしてない。明日の予定は一つ埋めた。でもこれも日常の作業で、全然
年末の行事に関係ない。関係あるものに手が付かない。去年だとどうだったか、白い紙
というとなんだか総毛立つ感じがあるが、まー悪くはない。
それの中に字を書いて、最近平仮名が多いと思うのは当然か。PCではみな平仮名を
ローマ字表記で打ち込んでいるから漢字など出るわけがない。それで平仮名書いて、しば
らくして漢字に変換するという馬鹿げたこともやる。それは自分の書いているメモのよ
うなものだから許される。自分だって二度は見ない。その紙を横に置いてTVなど見るが、
そうゆうときもあるが、
さて何をどうゆう風にやるか、余白に書き込むということをやっていたはずだ。社会
保険だとどうなるか。後期高齢者医療制度の場合、配偶者の死亡があった場合、翌年
も大変だが翌々年の方がもっと面倒くさく、途中まで残された本人がそのお金を納入し
ないといけない。しばらくして、年金で支払うかその他かというのを選択する。でも、
そうゆうことをホイホイと出来るか、本人が!というとそうはいかない、ドッコイショと
いう感じで、
代わりに私がやるわけだけど、そのあれこれに翻弄された去年があって、ことしも
大変だが、すべて忘れた感じがある。今はだから結構ノホホンとしているが、なかなか
エンジン始動せず、いつセルモータが回るか。
これはボヤキになりました。
手のひらサイズの紅葉、マクロ。あとは、今日の日の出のころの山々の上だけ、晴れて
いて、その色も紅葉に似ないようで、高揚するかも知れない。微妙な、というかそこだ
け、稜線の上の辺りだけ、晴れていた、様子。
似てるか似てないか、まったく関係ないか。
このカエデの木の、大きめのサイズ、木全体の赤く燃えるような紅葉の
様子は、二度出た。
それで、マクロモードというかミニカメさんも面目躍如の瞬間。ほとん
どカメさんまかせというのもいい。
老眼だと、マクロモードはオートがいい。
すこし誉めすぎたか、こうゆうファイルもある。なかなか出来ないとい
っていいか。こうゆうピンボケのものをだから、出した。
順光で見えている、カエデの葉もあり、これと透過光の違いは明らか。
それがあると、またいいようだ。
手のひらのようなカエデは最初から写っている。それで、手のひらだ
とか、思わせるもの。
等倍表示で、PCのモニタで見ると、結構大きく感じられるのではない
か。ここでは透過光の美しさがあげられる。
このカエデの木の葉も今日はかなり少なくなっていて、でもまだあった。
カエデの紅葉、マクロではここまで。
それから似てるかもというので、
朝に見えていた、立山連峰の稜線とその上の空の色。
これは、明るいもので、また目で見たものと、カメラの感じるものは違う。違う
から、カエデの紅葉に似るかと思った。その様子。
このときは雨はもうなかったかも知れない。空の雲も色を変えている。
肉眼だとどうだろうか。これより前は空は明るいクリーム色。その後は
より色の変化は大きいし、またカメさんの設定にもよるだろう。
日の出が近い。こうなると、黄色が主、金色というのがあるか、というの
はむつかしい。
少しずつ、望遠側にレンズの焦点を変えて。それで、麓の方にかなりゆ
ったりとした雲があるのがはっきりとする。
この色がしばらくは続いたかも知れない。
この後に日の出、ということ、見た目でだが、早々虹も出たし、ということは、まー
明るい日の出もあったので、でももうそうゆうことになると、追いきれるものではない。
夜の今は晴れ間がある。星が見えていて、でも明日はどうなるか。
**********************************
年末か。年末だという感じというのは11月の終わりのころの方が強かった。そうゆ
う意識があったようで今は中だるみ。どうしようもないところ、宙ぶらりんの状態であ
る。やらないといけない、ということ、簡単に書くと、トイレにゆく、という感じのこと
ばかりしかやっていない。トイレというと、不思議な感じがあるが、便所と書くとどう
だろうか。今すわるトイレは、便座があるが、これに電気が流れて、発熱する。いつも
ちょっと怖い。
なんだか一つ間違うと、電気は流れないが、パッキと折れそうでそれはなぜかとい
うと結構長くこの便座を使っているからで、落ち着かない。トイレにいろいろありで、そ
れこそ入院していたときにすでに最新式のトイレというのが病院にあった。あー、こうゆ
う話しになると、どうしてもおかしなことになるのでやっぱり止めよう。そのうち新し
いのに便座は変えないといけない、そう思う。何度思ったことか。
動物のトイレというと、そのようなものは全然感心はないが、偶然ノラのネコさん
のそれを見学したときがあったが、だいたい枯れ草の上、そうゆうものがこれまたあっ
た、の辺りでしゃがんでいる。これ、オトナのネコでも、仔ネコでも同じようで、仔ネ
コのそれは一回だけ見た。ネコはきれい好きである。
ほか母さんネコが、土をかけているというのも見たが、なんだか土をかけるという
より、土を掘っているようなところもあるような感じも受けた。ネコもストレスを感じ
ているのだろう。
バタバタとして、それでカレンダを見ると12月の8日、もう前半も終わろうとする。な
んだかなんにもしてない。明日の予定は一つ埋めた。でもこれも日常の作業で、全然
年末の行事に関係ない。関係あるものに手が付かない。去年だとどうだったか、白い紙
というとなんだか総毛立つ感じがあるが、まー悪くはない。
それの中に字を書いて、最近平仮名が多いと思うのは当然か。PCではみな平仮名を
ローマ字表記で打ち込んでいるから漢字など出るわけがない。それで平仮名書いて、しば
らくして漢字に変換するという馬鹿げたこともやる。それは自分の書いているメモのよ
うなものだから許される。自分だって二度は見ない。その紙を横に置いてTVなど見るが、
そうゆうときもあるが、
さて何をどうゆう風にやるか、余白に書き込むということをやっていたはずだ。社会
保険だとどうなるか。後期高齢者医療制度の場合、配偶者の死亡があった場合、翌年
も大変だが翌々年の方がもっと面倒くさく、途中まで残された本人がそのお金を納入し
ないといけない。しばらくして、年金で支払うかその他かというのを選択する。でも、
そうゆうことをホイホイと出来るか、本人が!というとそうはいかない、ドッコイショと
いう感じで、
代わりに私がやるわけだけど、そのあれこれに翻弄された去年があって、ことしも
大変だが、すべて忘れた感じがある。今はだから結構ノホホンとしているが、なかなか
エンジン始動せず、いつセルモータが回るか。
これはボヤキになりました。