落葉となる。落ち葉とかもいうし、他に枯れ葉散る。
落葉か、というと落陽もある。その二つかも。
あれこれは苦しいという感じで、こん辺はきっと自分だけのものだ。
カエデの今。といってもこれはきのう。そうだと思う。記憶力におい
て、自信はないが。
一枚の枯れ葉、というところ。まだ落ちていなかった。拡大するほどの
ものでもないかも。もう次の、新芽の準備は出来ているから。この辺り
は見習わないと。
日の当たり方によって、ドウダンツツジも変容。七変化という感じがあ
るが、そろそろその小さい葉もなくなる。
このところ、首を持ち上げたりするとギクッという音がする。ガチッかも
知れない。で、このときは首の骨の音はなかった。妙な、あるいは今頃出
て来た葉っぱのカエデの例かな。
二度、葉が出て、その落葉はまだか。
寄り道というか、油売りは必ずあるもので、枯れゆく草の葉っぱ。これ
が呼ぶように、その道にある。
これは色つながりだろう。それ以外に思い付かない。
柿の木。もうほとんど葉はなく、また実もない。それでヘタ(蔕)など
残っているのを見ると、そう見えるが、鳥に突付かれたのではないか、
と思う。実が残っているときだと、渋柿だからとか思うが。
葉っぱはいくつかあるようにも見えた。それではっきりとするのは、こ
の一枚、というところのっ拡大。
畑に赤いものがあるが、これはピーマンの残り物か。緑もあって、これ
を見ると落葉というより、落陽を見るという感じがある。
公園のカエデ、落葉でもなく、落陽でもないようなで、このカエデさほ
どまだ葉は散っていない。だとすると、なんだかなー。落葉寸前で、し
かし「落ち」はなかった。
日が落ちる前というのは雨風でわからないもので、でも見ていると少しだけ空が茶
色くなって、このときはちょうど日没というころかも知れない。最早釣瓶落としという
ものも想像出来ず、そこにあるのは正体不明の、不気味な恐怖感だけで、このところや
けに、この恐怖ということを思うようになる。なにもそこまで脅えることもないだろう
が、そうゆう感じに襲われるのは事実だ。
世にいろいろな恐怖があるが、これのわかりにくいものの一つに、パニック障害と
か、パニック症候群というのがある。もうすこし違う言い方というのがあったとか思う
が、ある日突然、そうゆうものに襲われる、というのは事実。で、これは昔もあったの
だろうけど、ものすごく昔はどうだったか、これはわからない。
今の時間、というかより現代に近いほど、パニック障害とかいうのは起こりやすい
というのはたしかなような、気がする。私自身もそうゆうところがあるようで、こうゆ
うものはしかし若くて元気なときには気が付かないものである。
で、なかなか、これを理解してくれる人もいないというのも少し前は多かったと思
う。これと症状は似て非なるものに、例えば過呼吸性症候群とか、過換気症候群と呼ば
れるものがあって、こうゆうものも私は体験している。これは人になかなかいえないく
らいの苦しみの程度があって、こうゆう話しも昔のここのブログで書いているが、もちろ
ん自分のために書いているのだけど、
そうゆうものはそれこそ、信頼のおけるお医者さんに出会わないと、なかなか、その
過呼吸性症候群であるということもわからないし、また苦しいことは苦しいが、さほ
ど生命に別状があるというわけでもないので、さっさとそうゆうものだと早くわかった
方がいい。
今は私もほとんど過呼吸にはならない。これは一つにそれにならない、薬というもの
もある。これが手っ取り早い。もっとも、原始的というと、自分の吐いた呼気を吸うと
いう方法もあるが、これまた苦しそうだ。結局のところ血液の酸素濃度が高くなる。逆にいう
と、血中の炭酸ガスの濃度が下がる。炭酸ガスは溶けていて、これが血液のpH を多少は
アルカリ側に傾けているのだが、なくなると酸性側にゆく。それで、結果として苦しく
なる!、というのが理屈で、私はそうゆう風に理解している。
(早くも訂正で、脱炭酸で、血液のpHが、酸性側からアルカリ側に傾くというのが、正し
い表記です。)
それでどうしたというと、パニック障害というのも、これに似ていると思う。薬とし
ては同じものが処方される。で、結局パニック障害というのも、これと無縁ではあり得
ないというのが一つの結論で、ッでもこれに慣れるというのもむつかしい。どんどん
と、この世の複雑さは増すばかりで、なんだかわからないことばかり増えるからだとか
やっぱし思ってしまう。
そうゆうパニック障害に、もう関係ないと思いつつ、そうゆうものの復活というのは
あるもので、それとどの程度仲良く出来るかというのも考えないといけない。これのトレ
ーニング方法とか、紹介される本もあるのだが、それを見ると余計ひどくなりそうなと
いう気もする。
つまらないところで、落ち着くとするなら、こうゆうことを書くとかいうことで、その
パニック障害とより仲良くなるというのも一つの方法とか思ったりもする。自分のため
に書いている。情けは人のためならず。
落葉か、というと落陽もある。その二つかも。
あれこれは苦しいという感じで、こん辺はきっと自分だけのものだ。
カエデの今。といってもこれはきのう。そうだと思う。記憶力におい
て、自信はないが。
一枚の枯れ葉、というところ。まだ落ちていなかった。拡大するほどの
ものでもないかも。もう次の、新芽の準備は出来ているから。この辺り
は見習わないと。
日の当たり方によって、ドウダンツツジも変容。七変化という感じがあ
るが、そろそろその小さい葉もなくなる。
このところ、首を持ち上げたりするとギクッという音がする。ガチッかも
知れない。で、このときは首の骨の音はなかった。妙な、あるいは今頃出
て来た葉っぱのカエデの例かな。
二度、葉が出て、その落葉はまだか。
寄り道というか、油売りは必ずあるもので、枯れゆく草の葉っぱ。これ
が呼ぶように、その道にある。
これは色つながりだろう。それ以外に思い付かない。
柿の木。もうほとんど葉はなく、また実もない。それでヘタ(蔕)など
残っているのを見ると、そう見えるが、鳥に突付かれたのではないか、
と思う。実が残っているときだと、渋柿だからとか思うが。
葉っぱはいくつかあるようにも見えた。それではっきりとするのは、こ
の一枚、というところのっ拡大。
畑に赤いものがあるが、これはピーマンの残り物か。緑もあって、これ
を見ると落葉というより、落陽を見るという感じがある。
公園のカエデ、落葉でもなく、落陽でもないようなで、このカエデさほ
どまだ葉は散っていない。だとすると、なんだかなー。落葉寸前で、し
かし「落ち」はなかった。
日が落ちる前というのは雨風でわからないもので、でも見ていると少しだけ空が茶
色くなって、このときはちょうど日没というころかも知れない。最早釣瓶落としという
ものも想像出来ず、そこにあるのは正体不明の、不気味な恐怖感だけで、このところや
けに、この恐怖ということを思うようになる。なにもそこまで脅えることもないだろう
が、そうゆう感じに襲われるのは事実だ。
世にいろいろな恐怖があるが、これのわかりにくいものの一つに、パニック障害と
か、パニック症候群というのがある。もうすこし違う言い方というのがあったとか思う
が、ある日突然、そうゆうものに襲われる、というのは事実。で、これは昔もあったの
だろうけど、ものすごく昔はどうだったか、これはわからない。
今の時間、というかより現代に近いほど、パニック障害とかいうのは起こりやすい
というのはたしかなような、気がする。私自身もそうゆうところがあるようで、こうゆ
うものはしかし若くて元気なときには気が付かないものである。
で、なかなか、これを理解してくれる人もいないというのも少し前は多かったと思
う。これと症状は似て非なるものに、例えば過呼吸性症候群とか、過換気症候群と呼ば
れるものがあって、こうゆうものも私は体験している。これは人になかなかいえないく
らいの苦しみの程度があって、こうゆう話しも昔のここのブログで書いているが、もちろ
ん自分のために書いているのだけど、
そうゆうものはそれこそ、信頼のおけるお医者さんに出会わないと、なかなか、その
過呼吸性症候群であるということもわからないし、また苦しいことは苦しいが、さほ
ど生命に別状があるというわけでもないので、さっさとそうゆうものだと早くわかった
方がいい。
今は私もほとんど過呼吸にはならない。これは一つにそれにならない、薬というもの
もある。これが手っ取り早い。もっとも、原始的というと、自分の吐いた呼気を吸うと
いう方法もあるが、これまた苦しそうだ。結局のところ血液の酸素濃度が高くなる。逆にいう
と、血中の炭酸ガスの濃度が下がる。炭酸ガスは溶けていて、これが血液のpH を多少は
アルカリ側に傾けているのだが、なくなると酸性側にゆく。それで、結果として苦しく
なる!、というのが理屈で、私はそうゆう風に理解している。
(早くも訂正で、脱炭酸で、血液のpHが、酸性側からアルカリ側に傾くというのが、正し
い表記です。)
それでどうしたというと、パニック障害というのも、これに似ていると思う。薬とし
ては同じものが処方される。で、結局パニック障害というのも、これと無縁ではあり得
ないというのが一つの結論で、ッでもこれに慣れるというのもむつかしい。どんどん
と、この世の複雑さは増すばかりで、なんだかわからないことばかり増えるからだとか
やっぱし思ってしまう。
そうゆうパニック障害に、もう関係ないと思いつつ、そうゆうものの復活というのは
あるもので、それとどの程度仲良く出来るかというのも考えないといけない。これのトレ
ーニング方法とか、紹介される本もあるのだが、それを見ると余計ひどくなりそうなと
いう気もする。
つまらないところで、落ち着くとするなら、こうゆうことを書くとかいうことで、その
パニック障害とより仲良くなるというのも一つの方法とか思ったりもする。自分のため
に書いている。情けは人のためならず。