光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寒空の風景

2008-12-15 18:32:48 | 散策
  2日前に、なかなか行くことも出来なかった、海までプラっと行って来たが、結構なドキドキ感はあった。そこまで行ったという記憶が、かなり遠い昔で、しかも、チャリでの、ものだったから、これは少し心拍も上がった。それに、風がある。風があって、太陽光の出ているお天気で、しかし怖いのは天候の急変である。大体、30分あれば海までは行けるはずだが、その記憶がすでに薄い。曖昧である。何十年ぶりに、自分が生まれた、あるいは通っていた学校へゆく感じで、これはドキドキする。アドレナリンも出るが、これは定かではないが、何でもアドレナリンは、変か。エピネフィリンにしておくか、これらは同じものをさしている。正確には、エピネフリンだそうだ。

  ドキドキしながら、歩くのもおかしなものだが、その一つはだれも歩いていない、ということがあげられる。山道だと、それが当たり前で、目の前をイノシシが通っていったりもする。正確には、走り抜けたかも。実際に、この経験がある。その少し前に、3人ほどの山歩きの人と出会って、それから、1、2分で、イノシシが出た。きっとイノシシは、人の予感があって、一種殺気だっていたに違いない。目の前というと曖昧で、きっと、10mは離れたいた。しかし、こんなところにイノシシはいないと思っているから、その驚きも、その場では大したことはなく、その後にその山道を思い出すと、同時に、イノシシのすごさを思い出して、いやー、離れていてよかった、と思うのである。海は、海の感覚もこれに似ていて、近いが、そこまでに空白がありすぎるのである。何が出るか、なにが起こるかわからない。

  いずれにせよ、人は歩かないと、どこにもいけなくなる。これは困ったことだ。何とか歩けるからいいようなものだが。でも、未知の道をゆくのは、少しだけ怖い気もする。すでに、乗り物に乗っていて、知っている道でも、そこを歩いて行くのは、少し度胸がいる。
  人が、まずは違う。長く同じ道を歩いていると、ときどき鉢合わせみたいのがあって、この人はきっと散歩をされているのだろう、そう思われる方がいて、「こんにちは」、という挨拶もあるときがある。少し気後れするが、何とか会釈くらいはする時間はある。それから、もう一度そうゆうこともあり、しかし住んでいるところが離れているから、どこの誰だかわからない。わからなくてもいいのだが、私は花の写真を撮ったりもするので、そこに人がおられれば、一言「すいません、花撮らせてもらっていいですか」、と聞く。ほとんどの方は、どうぞと言われる。何も、お庭の中ではなく、道から見えているものだから、相手の方も、半分は外を歩いている方が見えるように、やっておられる気がする。

  それから、その回数が少し増えたりすると、どちらにお住まいで、ということにもなるが、これはやっっぱり私が怪しいからかな。えーっと、こちらからいうと、あのあそこにバスの道がありますね、その道のちょうど反対辺りです。かなり曖昧な、ことをいう。地理感があると、わかるのだが、どっちかというと、こっちの方が新しい町らしい。何とか町と町が付くそうゆう住所も昔はなかったはずだ。

  寒風の風景である。今日はかなり寒い一日で、それで相変わらずのしぐれのようなお天気である。買い物にゆくのには、あまり問題はない。歩いているから、多少は体が暖まる。じっとしていると、これは堪えるものがあって、それにも少し付き合った。外での仕事も結構きついものがあって、これは、雪の朝のホンの50m歩いて、ゴミ捨てにいって、それだけで手がかじかんで、最後には痛いくらいになるというのに近いかそれを越えている。こんな温度ではなかった。もう少し高いが、しかし一桁の温度、摂氏で、である。こんなにきびしいものなのか、あらためて思ったが、これは普段少なくとも、耐え難き寒さの中にいるわけでないことを証明している。何事にも苦労は付きものというが、こんな真似は出来ないというものも、いろいろあるもので、この寒さは身にしみた。


  きょうのような、晴れもあるが、雨もあるという、特有のようなしぐれの天気だと、もうあっさりと昔のファイルを探したほうが早い。それで、今年の5月。きのうが4月だから、今日は5月。




  明るいし、爽やかだし、こうゆうときはそれほど思っていないが、今見るといいものだなー。



  
  これは、プロペラを探していたとき、カエデのタネである。それよりも、若葉の緑といい、形といい、こうゆうときが誰にもあった、とか思ったりもする。




  これは出なかった、チューリップ。生きながら枯れるような運命にあった、チューリップ。




  ヒメジョオンの遠景。




  さらに、少しだけ遠いところ。暗くて、しかし、草はあるところには繁茂していた。

冬なのに、寒い光景

2008-12-15 16:40:54 | 散策
  冬は大体に、寒い。
  暖かい地域の方も、それなりに冬は寒い思いをしていると
  私は思う。

  この辺りは冬は、結構寒いが、
  それでも冷えて、マイナスの2℃か、3℃。
  夜に晴れて、完全な放射冷却現象でも、、マイナスの5℃。
  だから、この辺りの気温というと、ごく普通です。
  しかし、この気温は、多くの人が寒い、冷たいと思うがごとく
  私も、とっても寒く思える。


  冬の暖かな、光景ではなく、相変わらずの寒い、光景。




  かぼそい朝日に輝く、瓦。




  火山の爆発のような、日の出。ただそのように見えるだけだが。




  天然のフィルタを通して、つまり曇った窓からの瓦。
  これはソフトな感じがある。




  よく出る、水滴。泡のように見えるところがいい。




  しぐれの、晴れ間。




  赤く輝くとき。

まだ丸い、白い月が寒そう

2008-12-15 06:47:54 | 散策
  朝のお天気、快晴に近い空がある。そこに月があって、これが高い。また白く明るく、ウサギは見えない。夜中は、雲もあり、またさっきまで星もある、快晴で星空。寒い。アメダスの6時の気温、1.2℃、気圧は1018.7hPa。室温7℃、どうも、かなり寒い。

  雨がなかなか止まないが、きのうの宵の時間、月も出ると、その雨は止んだ。なかなか止まない雨だった。夜中にときどき起きるが、雲のある時間があって、その雲も少し白い。後ろに月があるのだな。それにしても、寒い。このところ、暖かかった、冬とは思えない天気で、秋か春だった、それがようやく本来の姿に戻ると、これは寒く、震え上がる。
  
  年賀状の準備をしないといけない。面倒だが、一応リストみたいなのを作ったほうがいい。これが一番、間違いない方法だと思う。一遍にたくさん書く。まるで、アルバイトというか、誰かに頼んで書いてもらっているような。しかしそうゆう書き方でないと、昔を思い出していてもどうしようもない。年賀状の、CMもあまりながさない方がいいような気もする。見ると、なんだか「しかられている」ようで、だから、適度なものがよく、無音で「さらさら」という感じが変に圧迫感がなくていいような気もする。本来なら、ちゃんと年も明けてから、書けばいいが、最近はもう今頃はポストに入れるだけだった。

  きのうは、お見舞いを書いた。今年は3枚。その分、年賀状は書かなくていい。3枚書くのに苦労する。普段、書かないことを書くから。

  きょうはゴミ捨ての日。月が西の空高く、煌煌と輝くと、外灯も要らないくらいで、あるものは月のほうが明るい。外の寒いこと、また暗いが、もう星は消える時間である。アルプスがきょうは少しその稜線を明らかにするようで、その上に雲がある。月が追いかけてくる。昔、小さい子供になぜ月は追いかけてくるのが、聞かれたことがある。そうゆうように、親に言われたのかも知れない。ナニナニちゃん、ほら月が追いかけてくる。すると、子供だから、あらゆる人に、ねーどうして月が追いかけてくるの、と聞く。ようは答えなかったなー。
  今はそうゆうことを聞く人もいない。