光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

心配性の小さな心配

2008-12-12 18:28:44 | 散策
  暮れに近い。夜の訪れるのが早い。すぐに真っ暗になる。このまま暗い。その心配は、あまりない。明日はまた、日が出る。南半球に行ったことがなく、本当に南極は今は夏かたしかめたいが、それは無理としても、オーストラリアは本当に今暖かいというか、ことしの夏のように酷暑のお天気になるのか、気になる。タスマニアはもっと暑そうだが、これは違った。赤道に近いほうが暖かく、また暑い。色々な理由で、熱帯の地域におられる方も、暑かったり冷や汗をかいたりのような気がする。
  その他、地球は丸いという。すると、やっぱり、南半球におられる方は、北半球とは反対の方向を向いて生活している?。天の南極のほうを向いている。そうなると、赤道近いところだと、人は、極地に住む人とは90度傾いて生活している。はたして、そのようなことを実感できるかどうか、と思うが。

  地球は大きいのであって、それに比べると、人は小さい。だから、地球は平面の連続だと考えてもよく、それだと極地地方に住む方と、また赤道に住む方の、向いている方向というものもさほど悩むことはない、ような気もする。大体地球は広すぎて、果てがない。そこに、縦だの、横だの考えるのがおかしいのかも知れない。でも、星空を見ると、やっぱり南半球では、北極星は見えないだろう。それから、北半球では、南にある、南極星を見ることも出来ない。心配性な人は色々なことで悩んだりして、それでも自分なりに、その解決策を考え出したりするものなのだろう。

  小掃除を続けている。というよりも、掃除をしないところがある。例えば、箪笥の後ろ。こんなところ掃除の必要はない。はっきりしている。だから、ここに「へそくり」を隠したりして、思い出せない。そんなところではなく、ここはやはりきれいにしておきたい、というところはある。その第一が見えてくる。普段はまったく気にしないが、コンセントがある。そこにプラグを差しているが、それでPC回りだとどうだろうか。PCの本体が2台ある。どっちも壊れそうで、だから重要なデータというものは、入れていない。自分ではそう思っているが、筒抜けかも知れない。
  他はというと、モニタがある。それに、まープリンタは滅多に使わない。これは考えなくてよい。それ以外には、ルータがある。これは必要だなー。この前にこれがついに壊れたというか、もしかしたら落雷のせいかも知れないが、ついに新しいのと交換した。どうにかなったからよかった。他には、単体のディスクがある。これにも、アースの必要があるがやっていない。さらに灯りが必要で、ラジオもこの同じコンセントにアダプタを入れている。

  一方のコンセントは天井に近く、そういえばこれには触っていない。それよりも、下にあるものだと、そのコンセントには近づけないようになっている。が、ここのゴミのすごいことは言を待たないが、例年このコンセントに差しているプラグを抜いて、まずはコンセントを掃除器できれいにする。それから、プラグも同じく、念には念を入れて掃除する。綿ぼこりが要注意。これをやらないといけない。しかし、今日はそれ以外のところのもの、をやった。まったく、コンセントはすぐに触れないところにある。だから、灯りや、TVやラジオのプラグは差したら最後、もうそれを引き抜くことがないようだが、このプラグ側に綿ぼこりが付いて、それが湿気を帯びるとよろしくなく、そうゆう実験を見ていると、最後にはたしか火が出たようである。こうゆうことが起こるので、やはり小掃除は必要なのである。

  これは掃除ではないが、蛍光灯の寿命と言うものもあって、これが最後には光っては消えを繰り返すようになる。困ったものだが、それが蛍光灯らしい。これって、ときに、雷のようにピカッと光っては消える。なんだか体の調子もおかしくなる。もっともその蛍光灯をはずせば問題はないが、この辺りの雪国では、灯りの重要性はかなりなもので、これは変えられるなら変えたほうがいいと思う。どうにか、その作業も終えることが出来た。これ以外に、小掃除のあるいは、小取替えの心配事はあるようで、気が付かない。それはそれでいいか。

  これは心配だな、ということは自然と出て来るものであると思う。自然とというのも、これは何もしないでということではなく、日々の生活の中からそうゆうことを考える。あまりに気にしないことです、とか、「くよくよしないことですな」というのは長寿の方の決まり文句のようだが、そうゆう方は、もうそのことを通り越しているのだろう。そうゆうことに気を配っての長寿がありそうで、何事もくよくよしないでは、そうゆうことはあり得ないだろうなー。
  

  まるで、気もそぞろなお天気であって、画像のほうもきのうの枯れ草の散歩道の続き。




  いやーよく枯れているススキで、こうゆうものを見ることも少なくなった。




  初冬の、曇り空にこの枯れススキはよく似合うが、本当に憂鬱になって来そうなのである。ここで、ススキは止めて、
  慌てて他のものを追加した。




  きのうは文字だけ書いた、オオイヌノフグリ。小さいかわいい、可憐な薄い青い色をしている。




  歩いていても、この黄色い濃いタンポポが見えたときは、ホッとした。そのうちに、雪が降る。
  このタンポポもしばらくの間、雪の下にうずまるか、谷間に、あるいは、凍えて時間を過ごすことになる。 

ちと寂しい空と山と

2008-12-12 16:21:04 | 散策
  観天望気も外れて、小雨。この小雨というのも、物悲しいもので
  どうせ降るなら、まー限度もあるが、どかっと降りゃいいものを
  などとも思う。

  どんよりで、小雨で、薄暗くて、肌寒い、お化けだって
  怖くて出て来ないような、お天気である。
  まーほどほどに濡れた程度で済んだが。

  1年を振り返って、というようなこともふと頭をよぎるが
  まだ早い気もする。余り乗り気になれないのも
  モニタを見ていると疲れるので。なるべくなら
  さっさっと済ませたい気がする。
  だらだら、同じようなものが増えすぎた。


  きょうのお天気のような、気合の入らない感じの空と山と。



  
  見ていると、気色悪い雲が出るときがある。そう書きながら
  なかなかいいものだとも思う。
  こんなものは、人は作ることが出来ないだろうから。




  電線は暗闇に隠れて、向こうに雪山。




  夕日が当たると、寂しいものがある、雪山。




  雲隠れ、の太陽。




  この画像を見ると、太陽光は、うまく右と左に分かれて照らしている。
  しばらくすると、太陽が二つの、ちょうどネコの目のようになって、
  これも面白かった。

晴れだったけど今は雲りな朝

2008-12-12 06:48:58 | 散策
  朝のお天気、今は曇り。先ほどまでは、ほぼ晴れ。まだ暖かさの残ってる朝で、風がある。南の風が、吹いている。雨は少しだけでおしまい。アメダスの6時の気温、7.4℃、気圧は1017.3hPa。積雪は止めて、室温は12℃。

  夜中、あるいはもう朝という時間起きると、星空である。窓ガラス越しに星が見えるし、つい先ほどは、ほぼ夏至のときに太陽が沈もうという位置に、少し赤味がかった、それでも黄色い月があって、地平の上の月は、大きく見えることをあらためて確認する。いかに、人の目はだまされやすいか、ということを物語っていて、理屈と実感は違う。
  位置的には、太陽はもう冬至点に近く、月は、今日は恐らくもう満月を少し過ぎているから、これは間違いで、満月は12月13日である、その正反対の夏至点近くにあることはおかしくはない。星空関係だと、「ふたご座の流星群」というのがアナウンスされているが、あまり期待は出来ないらしい。そもそもその母彗星というのがなかなか発見されず、というほうが興味を引くが、これも何かで見たもので、そちらを参考にしていただいた方がいい。

  朝はパンを齧る。それと、牛乳だが、これを温めるとかすかというか、あるいはかなりともいえる、匂いがするのがわかる、味も変わってしまう。これは、滅多に気が付かないもので、それもコーヒーの粉を入れているからである。この粉がうまく溶けずに、その塊をそのままごくっと飲んでしまうと、ほぼコーヒーの粉のない状態の、生暖かい牛乳が残る。この味が、なんだか妙で、今まではするり喉をとおっていたものが、そうでなくなる。

  喉のとおりというと、普段は水もあり、お茶もあれば、牛乳だってあるが、さて非常用にと思っていた、パリパリしているクラッカなどを食べてみると、もう賞味期限も切れそうだし、たまにこれを食べるのもいい。しかし、これはやたら口の中にあって、飲み込めない。粘着性があってかなりのものが歯にくっ付く。飲み込むのも大変で、しかもくっ付くから、もう水かお茶がないとちょっと大変であって、その後に、歯磨きが必要である。いざというときではなくて、よかったと思う。乾燥食品は、もちろん長持ちする。でも食べるときは、水が必ずいる。
  非常食に何がいいか、考え中だが、いいアイデアも出て来ない。

  追加すると、今はまた晴天域に入ってきて、大体がきれいな朝の空になっている。