光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

本屋さんを探検する

2008-12-17 18:28:28 | 散策
  きょうは恒例の、病院行きの日でもあって、でもそれに関しては、書くことは少ない。お客さんは、少なかったが、ゆく道は込んでいた。まったく、こんなことがあるのか、っと思うが、そうゆうときもある。入院していたときを思い出すが、それが暮れとか、お正月をはさまなかったので幸いだったと思う。しかし年末年始の怖さは依然として残る。
  順番が来る。番号は、0007、一つ0が多い。しかし、呼ばれたのは3番目。

  その他省略することは多い。たまには都会の気分を味わうため、とことこ歩くことにしている。それも気分であって、都会という感じはない。どこにでも、本当の都会でもこうゆうところはある。今そのことを思い出す。完全な人工の都市というと、思い当たらない。
  行く道で、植物を雪から守る、雪囲いの整備をしているのが、目立つといえば目立つが、それほどの雪が果たして降るか、そうすると歩く方の除雪も大変だろう。
  一応簡単な用は済ませた。面倒だが、やらないといけなくすべてが自動だと、そのことも忘れてしまうから、一つか二つは面倒でも手動でやる。申しわけないと思うが、銀行でも手動でやるものがある。もっとも、最近では詐欺やらが多いらしく、また防犯カメラなども目立つというか、あちこちにあるが、こうゆうことを考えてみると、何でも機械でホイホイというのは、よろしくはない、ということを示しているようなもので、よって、手動で行なう。会話もあっていいのではないか。
  一々、すべてをたしかめる。これで、なにかミスがあって、それを見つけることがあるか、というと、そうでもない。しかし、やはり人との触れ合いというものは、何でも効率を優先するという時代にあって、大切なものでもあると思うし、最後は自分のためになる。

  鉄道のホームも見たいが、今からこの先ホームも込み合う。暮れの掃除とかのものもあるが、次世代の高速交通網の整備という大事業があるようで、この中に入ろうという気にもならない。残るは本屋さん、巡りしかない。

  でも、いい加減くたびれている。それでも、冷やかしではなく、これっというものがあれば、本は買います。で、本屋さんを巡るには、はっきり言って体力がいる。美術館とかもそうだと思う。まずは建物の中で展覧会というものの神経の疲れること。足だってもちろん疲れる。
  美術展がある。これが上野辺りのたくさんある美術館でもそうだし、その中には無料で入れるようなものもあったが、こうゆうところは、青空、晴天で行楽日和の日に行くと、行くのはいいが、無料の展示でもゴッツウ疲れるものがあって、昔からあまり好きではない。本屋さんもそうだが、本はまず「背」があって、それが訴えかけるものは、少々絵よりは少なく、しかし数は多いから、同じように疲れる。

  ときに行く、ここの本屋さんもまだ一回として、全体を平均的に眺めたことはない。だから何の本が、どこにあるかは、雑誌はわかるが、文庫本だの単行本だと、なかなかわからない。あそこを探してもなかったりというのが、こんなところにある。こうゆう例がたまにある。雑誌か、これは本来は眺めるもので十分だろうが、一応は購入した。それから、新書はっというと、これも棚があちこちにある。ここにも、ベストセラ、あそこにも平積み、それ以外に新書のスペースというのがある。こうゆうのも初めて知った。それ以外だと、単行本と文庫本が一緒になった、今の売れゆきのいいものが並べてあるが、知らないというか、何百冊とある本を見ることがすでにむつかしい。あー、たくさんの本がある。それしかわからない。
  ついには、こっちのほうも好きな、文房具の品の多さにも感激する。

  新聞の書評欄といっても全体で、20冊から40冊くらいまでの紹介が限度ではないか。ベストがあってこれにその数が加わる。PR誌の広告の本の数というと一冊に、2、300冊もの本が並ぶだろうか。これは多く見積もりすぎて、100冊から、200冊くらいの間か。これらのタイトルを見るだけで、大いに頭痛がする。読書の策の本もあるが、これを読んだってその他を読まないといけない気もする。
  これに比べると、やはり本屋さんの本は、一桁は間違いなく多いが、はたして一万冊はあるかというと、これはたぶんないような気がする。多くて、数千冊か、そこまでもいかないだろう。でも、それに近い本があって、頭の中では、何がなんだかわからない。本屋さん巡りは、目が回る。きょうもそれでおしまいになったが、これでは、本を作っているかたもさぞかし大変だろう。


  危ないところで、文字だけ先に送信しておいてよかった。どうしてか、絵のアドレスをコピするときに、何かの事情で、操作が続行できなくなって、この画面が消えてしまう。

  きょうは、昔モードは、青空の写真があったので止めて、それで、ありがたい冬の青空の様子。




  この木は、たぶん柿の木であって、それ以外にも枝がある。それで、青空。




  枯れアジサイ。このアジサイは、乾いている枯れアジサイ。それに、青空。




  強い太陽光が、こちらを照らすので、その様子を狙ってみる。太陽はもちろん見ないようにして。
  これは意識的に、かなり暗めに調整してあります。




  雪のない田んぼに、青空。




  古い門のような、構造物をバックに、青空。

  暖かな、青空のような感じもあるが、実際はさほどは暖かくはなく、少し速歩でちょうどいいくらい。

稜線からの日の出の瞬間

2008-12-17 16:27:48 | 星空・天体・宇宙
  太陽が恋しい季節である。
  あの暑かった夏が懐かしい、など思うのも、ちょっとおかしいが
  今頃、その暑さはやはり要らないが、暖かさは欲しい。
  太陽のありがたみが今は一番にわかる季節。

  地球と太陽の距離は、1天文単位ということになっている。
  約、1億5千万kmである。この距離を光はやって来るが、
  いかに光速でも、8分と少しかかることになっている。
  よって、山の上から、太陽が出て来るのも、8分と少し前の光が
  ようやく届いて、というものである。




  日の出間近というのは、結構面白いというか、複雑な光の模様があって、
  なぜこうゆうことになるのかは、わからない。




  少し稜線が、白く輝いた。これを拡大すると、




  このような感じになる。たしかに、太陽の光球の一部が山からは
  出ていることがわかる。
  注意しないといけないのは、ファインダの中の太陽像を見ないようにして
  撮影すること。太陽をそのまま見てはいけないのである。




  これくらいになると、このサイズの画面でも、太陽の端っこが
  山の端から、出ているのがわかると思う。




  ここまでくると、もうファインダをのぞくことも出来ないかも。
  これを、同じように拡大してみると、




  このようになるが、これだと、もう日の出の「瞬間」とは、あくまでも
  稜線からのであるが、いえないだろう。

ネコの目お天気

2008-12-17 06:43:14 | 散策
  朝のお天気、曇りになった。夜の長い間は晴れ。きのうの温室効果で、部屋の中は暖かかった分、結露がひどい。先ほど、外に出てみたが、風はほとんどなく、西に少し傾く、月、が雲の切れ間から明るく輝く。このところ、月だけは、見ている。アメダスの6時の気温、5℃、気圧は1023.0hPa。室温、8℃。

  きのうは珍しく、宵の時間に懐中電灯を持って外に出てみた。何で懐中電灯かというと、昼間は明るく、夜は暗く、足元に注意しないといけない。ただ、それだけの理由。これがないと、危ない。
  外灯のあるところだと、結構これが邪魔。灯りは必要なときがあるが、手に持つ懐中電灯と同じで、しかし星を見るのは、真っ暗がいいが、この世にそんな真っ暗なところはあまりない。それで、いいのである。月のようなところだと、きっと星が見えすぎて、かえって怖い。少しどこからか漏れてくる、その淡い光の中で、星を見るのが、ちょうど体にもいい。

  秋の星座が高い。この星は、なに座の何とかだ、というのはもう止めて、ただ無心に眺めるのがよく、しかし知っている星の並びというものもあって、なるほどと思う。何がなるほどか。

  広い世界があって、地の果ても、この星の世界に比べると、ちっぽけだ、いつものことだが、これまた反復してそう思う。もういい。寒くなってくる。5分がいいところ。変温動物かとも思っているからか、長居は無用。さっさと暖かいところへ戻る。
  当たり前な話しで、恐縮だが、寒いところから、部屋の中に戻ると、ここはずいぶんと暖かいと思うことがある。暖かいところだけにいると、その暖かさというのも実感されない。冬でも、20℃近くまで室温が上がることもあるが、そのくらいだと、これは天国に近い感じもする。しかし、体温に比較すると、まだまだ10℃以上の差があって、暖かいはずだが、やっぱりすこし寒いという気にもなる。どっちにしろ、人は、寒ーい思いをするか、暑くてかなわんわい、というのの、二つに一つしか感じないようだ。ちょうどいいと、そんなことも忘れてしまう。

  きょうは本来なら晴れだが、どうなるか。曇り空で、きのうが暖かかった分、きっと寒く感じるだろう。
  年賀状か、書くところまではいっていないなー。