光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

今年の夢はなんだったか

2008-12-28 18:44:55 | 散策
  寒空である。きょうは日曜だった。そうか、今頃気が付いたわけでもないが、日曜にしては、パッとしない一日が続いて、このまま終わりそうな感じがある。これに似ているものは、お正月で、ふと鐘の音が聞こえるころもあったかも知れない。そうゆう時期にやけに時間というもの、時代というか、一年を気にするのも、おかしなものだが、そうゆうものも時々に出て来る。鐘はとおの昔に鳴り終わっている。眠っているがラジオが付いていて、ことしが来たとか思うのも変だが、ことしは来るが、来年は永久に来ない。

  寒空で、かなり灯油ヒータも使った。灯油の充填は気を使う。それだけ注意散漫にあるということに等しいが、これをやることにした。ほったらかしでもあるが、予感というものもあって、大体が当たっていた。これによると、きょうのある時間は、灯油を入れないといけない、と思われた。
  この勘は当たって、もう残りの灯油も少なかった。いつものように、一枚は脱いで、身軽になって、段取りどおりのことをやる。少し違った気がしたが、それはまだ油を入れる前で、そのあとは大体大丈夫で、ホッと一息付く。灯油ヒータも結構油を消費する。それから、これも電気がないと燃えないものだから、停電にでもなったら、大変である。ただでも寒い。この寒さに慣れていない。昔の人、もういない人は、強かったようだ。でも、灯油の暖房器具はさすがに燃えていた。

  日の当たらない、また日の出ない冬の日曜の午後は、いかにも寒々としている。せめて、1時間でも日が出ればと思う。大体が、気圧は高いし、ただ等高線が、高低を持って並んでいるだけ。それで、あるときは晴れ間が出る。辺りが一面に明るく、またガラスの中にいると暖か。その太陽が雲に隠れると、暗転する。反転とどっちが怖いか。これはわからない。
  寒々しい、外の風景を、去年も同じようにして見ていたと思うが、その去年の今頃というのも、思い出せない。同じように寒かったはずで、しかし雪が降り始めたのは、例年並か。この辺りだと、お正月が過ぎて、ボチボチ雪は舞う。簡単に2、30cmは積もる。しかしそれは淡雪で、また太陽光が戻ると、一気に20cmくらいは溶ける。これは少し大仰かも知れない。しかし、降っては積もり、積もっては溶けるのが年始。

  今年もお正月があった。なんにも思わない。意地になって思わないようでもあるし、思ったところで、せいぜいもう少しゴミを出さないといけない、くらいである。このゴミ出しこそ、ことしの夢のようだった気がする。これも、遡ると、つまり時間を「逆転」させると面白いことが起こる。そこにあるのものが、消えてゆき、またなかったものが現われたりする。せっかくゴミとして出した、新聞の塊が戻ってくる。これはどうしたこと。その他、掃除器で吸い取ったゴミさえも戻ってきたりする。もう少し時代を遡ると、自分が少し若かったりもして、でもなんだか今のほうがよかった場合もあるから、ただ若返ったからいいと、素直に喜べない。
  無かった建物が現われる。その他、ここには道が無かった、そうゆうことにもなり、もう少し遡ると、うちがなくなることになる。おじいさん、おばあさんが登場する。こうゆうことを考えるのは楽しいが、その他よろしくないことも再現されて、その苦い経験を再度味わうのはさすがにもういい。時間の反転は、いいことだけでいいが、そんな都合のいいことは起こり得ない。

  今年の最初に思ったのは、これはもう誰しもあるかもと思うが、ことしももうすぐ終わってしまうという、そうゆういやーな感覚で、実際これがそのとおりになる。だから、ことしの夢とか希望とか、その他目標をたてるなど、なかなかやれない。大体頭から、そんなことは考えていない。ことしが果して無事終わるか、そうゆう心配が強い。それにしても、

  やっぱりことしも、ゴミは総じて増えた。捨てるところもないが、移動くらいは出来る、毎度思うこと。小掃除を、3日くらいやった。しかし小掃除も三日で終わってしまった。まだ、ことしは残っている。今から、でも、夢、ゴミ出しの夢は本物に出来る。これが本当の夢だったりもするのが、正直なところ。右にあるものを左に持ってゆくのも大変な気がする。何かを動かすと、雪崩が起きて、取り返しのつかないことにもなりそうである。

  明日は、「ことしの宿題」というものを考えてみるかな。


  暗い予感がある。きょうも少しだけ、寒い道を歩いて来た。きのうよりも暖かそうだったが、雨。でも、スイセンはやはり咲いているから、ことしが特に寒いというわけではない。雪続き。




  黒白の朝の時間であるが、そこにあるアオキに葉の上に白い雪が淡く乗っかっている。この青いこと。こうゆう青さは、いただけない。




  朝の、ツツジ。このツツジは、たぶんことしも、雪に埋もれる運命にある。毎年、横に出っ張ってくる。そのうち、雪が乗っても大丈夫になるか。



  
  目の前の、この金属に雪がふんわりと乗る。また蜘蛛も、この金属の辺りに、暖かくなるとよくいる。雪のときにしか、これに目を向けることもない。




  遠方を見つめている。いつもと同じ風景だが、この先に、今は太陽はいない。

よくある、雪の光景

2008-12-28 16:26:07 | 散策
  寒々しい空、虚空を見つめるのは羽を膨らませた、ヒヨドリ。

  それに比べると、暖かいところにいる。寒くてと嘆くのは
  簡単だが、鳥の姿をチラッと見ると、鳥のほうが数段大変な
  生活を余儀なくされている。でも、鳥だからな。
  比較の対象としては、同じには出来ない。

  チラチラと、日が出る。太陽が出ると、明るさも辺りの表情も
  人の気持ちも変わってしまう。まるで、夏と大違いだ。
  太陽の光こそ求められているが、
  またすぐに、雲に隠れる。その雲の黒いこと。実際は灰色だが、
  これが黒く思えるから、不思議だ。で、降るのは雨か、白い雪。
  寒いのと、この天気では、気分も沈みがちになる。

  どこにでもある、何度も出た、雪の写真。




  気が付くと、吹雪になっている。これも、初冬のころによくあるもので、
  しかしこれも長続きしない。だから、この短い時間の吹雪のことも
  知らない人もいるはず。




  朝の雪だと、どうしても青味がかった色の雪になってしまう。
  色々ソフトで、触れるところは触ってみて、
  出来るだけ白い色が出るようにした。




  2枚目のものと、ほぼ同じ時間。これは、ほとんど元画像と同じ。
  雪だけを見ると、こちらには青味が残っている(はず)。




  これも、青味をとるようにしてみたが、もともと暗いので、
  その操作もあまりうまくゆかない。




  雪の晴れ間というのは、目で見ていると、なかなかに美しい。
  でも、その太陽にレンズを向けてみても、白い太陽は目立つが、その他は
  灰色か真っ暗となって、これが大体の冬の感じをよく表わしている。

着膨れの、朝

2008-12-28 06:46:27 | 散策
  朝のお天気、静かな雨。雨か雪か、晴れかわからない状態だったが、雨。雨のほうが、寒々しさがなくていいような。風もあまりない。いいお天気のところもありそう。アメダスの6時の気温、2.6℃、気圧は1018.0hPa、積雪は0cm。室温5.5℃。

  この程度の寒さも、寒すぎて頭のなかもすっからかんなのか、ほどほどに眠れる。朝も眠い。ゆるい夢を見ていて、目が開くと時計が睨んでいる。
  衣類を厚めのものにする。すでに出しておいた。これを着る。首周りが締め付けられる、そうゆうセータがあるが、毎年これを着るとき、この締め付けられる感じがあって、グエッとなる。これも、3、4回で済み、不思議と眠気と差寒さもなくなるので、なにか他にもいい働きがあるようだが、こんなものはお勧め出来ない。

  寒いというと、これも毎度のことだが、左足の、親指の、付け根の裏側がパクッと割れる。もう割れてしまった。右足はそれはないようで、たぶん左足の方は血の巡りもよくなく、切れやすいのだろう。膝をついてというスタイルになりやすいが、このとき、足の指はそっくり返ることが多いから、これが続くと冬の今、パックリとなる。真皮に近いところまで割れる。血は出ないが痛い。結構痛く、赤チンを塗る。しかし春までくっ付くことはない。痛すぎるし、ゴミ入るので、しかたなく、ガーゼの付いた、絆創膏みたいなものを張り付ける。あー冬だ。

  きょうは雨である。TVでお天気を見ていると、大体がきのうまでの寒さもどこかへいって、晴れマークが出ている。ところがどうだろうか、北の方というと雨か曇りか雪だ。雪を見たことがありませんでした、などよく聞く言葉だが、それはそれでいいのではないか、と思いたくもなる。
  暖かいところというものも、それなりに過ごしにくい点もあるのだろう。そう思いつつ、足したり引いたりすると、大して変わらない、とつぶやく。それにもっと寒いところもあるし、寒すぎるところも他にも多々あるので、着膨れて少し体は温かいが、なんだか二回りも膨れた自分を見て、びっくりしている。