寒空である。きょうは日曜だった。そうか、今頃気が付いたわけでもないが、日曜にしては、パッとしない一日が続いて、このまま終わりそうな感じがある。これに似ているものは、お正月で、ふと鐘の音が聞こえるころもあったかも知れない。そうゆう時期にやけに時間というもの、時代というか、一年を気にするのも、おかしなものだが、そうゆうものも時々に出て来る。鐘はとおの昔に鳴り終わっている。眠っているがラジオが付いていて、ことしが来たとか思うのも変だが、ことしは来るが、来年は永久に来ない。
寒空で、かなり灯油ヒータも使った。灯油の充填は気を使う。それだけ注意散漫にあるということに等しいが、これをやることにした。ほったらかしでもあるが、予感というものもあって、大体が当たっていた。これによると、きょうのある時間は、灯油を入れないといけない、と思われた。
この勘は当たって、もう残りの灯油も少なかった。いつものように、一枚は脱いで、身軽になって、段取りどおりのことをやる。少し違った気がしたが、それはまだ油を入れる前で、そのあとは大体大丈夫で、ホッと一息付く。灯油ヒータも結構油を消費する。それから、これも電気がないと燃えないものだから、停電にでもなったら、大変である。ただでも寒い。この寒さに慣れていない。昔の人、もういない人は、強かったようだ。でも、灯油の暖房器具はさすがに燃えていた。
日の当たらない、また日の出ない冬の日曜の午後は、いかにも寒々としている。せめて、1時間でも日が出ればと思う。大体が、気圧は高いし、ただ等高線が、高低を持って並んでいるだけ。それで、あるときは晴れ間が出る。辺りが一面に明るく、またガラスの中にいると暖か。その太陽が雲に隠れると、暗転する。反転とどっちが怖いか。これはわからない。
寒々しい、外の風景を、去年も同じようにして見ていたと思うが、その去年の今頃というのも、思い出せない。同じように寒かったはずで、しかし雪が降り始めたのは、例年並か。この辺りだと、お正月が過ぎて、ボチボチ雪は舞う。簡単に2、30cmは積もる。しかしそれは淡雪で、また太陽光が戻ると、一気に20cmくらいは溶ける。これは少し大仰かも知れない。しかし、降っては積もり、積もっては溶けるのが年始。
今年もお正月があった。なんにも思わない。意地になって思わないようでもあるし、思ったところで、せいぜいもう少しゴミを出さないといけない、くらいである。このゴミ出しこそ、ことしの夢のようだった気がする。これも、遡ると、つまり時間を「逆転」させると面白いことが起こる。そこにあるのものが、消えてゆき、またなかったものが現われたりする。せっかくゴミとして出した、新聞の塊が戻ってくる。これはどうしたこと。その他、掃除器で吸い取ったゴミさえも戻ってきたりする。もう少し時代を遡ると、自分が少し若かったりもして、でもなんだか今のほうがよかった場合もあるから、ただ若返ったからいいと、素直に喜べない。
無かった建物が現われる。その他、ここには道が無かった、そうゆうことにもなり、もう少し遡ると、うちがなくなることになる。おじいさん、おばあさんが登場する。こうゆうことを考えるのは楽しいが、その他よろしくないことも再現されて、その苦い経験を再度味わうのはさすがにもういい。時間の反転は、いいことだけでいいが、そんな都合のいいことは起こり得ない。
今年の最初に思ったのは、これはもう誰しもあるかもと思うが、ことしももうすぐ終わってしまうという、そうゆういやーな感覚で、実際これがそのとおりになる。だから、ことしの夢とか希望とか、その他目標をたてるなど、なかなかやれない。大体頭から、そんなことは考えていない。ことしが果して無事終わるか、そうゆう心配が強い。それにしても、
やっぱりことしも、ゴミは総じて増えた。捨てるところもないが、移動くらいは出来る、毎度思うこと。小掃除を、3日くらいやった。しかし小掃除も三日で終わってしまった。まだ、ことしは残っている。今から、でも、夢、ゴミ出しの夢は本物に出来る。これが本当の夢だったりもするのが、正直なところ。右にあるものを左に持ってゆくのも大変な気がする。何かを動かすと、雪崩が起きて、取り返しのつかないことにもなりそうである。
明日は、「ことしの宿題」というものを考えてみるかな。
暗い予感がある。きょうも少しだけ、寒い道を歩いて来た。きのうよりも暖かそうだったが、雨。でも、スイセンはやはり咲いているから、ことしが特に寒いというわけではない。雪続き。
黒白の朝の時間であるが、そこにあるアオキに葉の上に白い雪が淡く乗っかっている。この青いこと。こうゆう青さは、いただけない。
朝の、ツツジ。このツツジは、たぶんことしも、雪に埋もれる運命にある。毎年、横に出っ張ってくる。そのうち、雪が乗っても大丈夫になるか。
目の前の、この金属に雪がふんわりと乗る。また蜘蛛も、この金属の辺りに、暖かくなるとよくいる。雪のときにしか、これに目を向けることもない。
遠方を見つめている。いつもと同じ風景だが、この先に、今は太陽はいない。
寒空で、かなり灯油ヒータも使った。灯油の充填は気を使う。それだけ注意散漫にあるということに等しいが、これをやることにした。ほったらかしでもあるが、予感というものもあって、大体が当たっていた。これによると、きょうのある時間は、灯油を入れないといけない、と思われた。
この勘は当たって、もう残りの灯油も少なかった。いつものように、一枚は脱いで、身軽になって、段取りどおりのことをやる。少し違った気がしたが、それはまだ油を入れる前で、そのあとは大体大丈夫で、ホッと一息付く。灯油ヒータも結構油を消費する。それから、これも電気がないと燃えないものだから、停電にでもなったら、大変である。ただでも寒い。この寒さに慣れていない。昔の人、もういない人は、強かったようだ。でも、灯油の暖房器具はさすがに燃えていた。
日の当たらない、また日の出ない冬の日曜の午後は、いかにも寒々としている。せめて、1時間でも日が出ればと思う。大体が、気圧は高いし、ただ等高線が、高低を持って並んでいるだけ。それで、あるときは晴れ間が出る。辺りが一面に明るく、またガラスの中にいると暖か。その太陽が雲に隠れると、暗転する。反転とどっちが怖いか。これはわからない。
寒々しい、外の風景を、去年も同じようにして見ていたと思うが、その去年の今頃というのも、思い出せない。同じように寒かったはずで、しかし雪が降り始めたのは、例年並か。この辺りだと、お正月が過ぎて、ボチボチ雪は舞う。簡単に2、30cmは積もる。しかしそれは淡雪で、また太陽光が戻ると、一気に20cmくらいは溶ける。これは少し大仰かも知れない。しかし、降っては積もり、積もっては溶けるのが年始。
今年もお正月があった。なんにも思わない。意地になって思わないようでもあるし、思ったところで、せいぜいもう少しゴミを出さないといけない、くらいである。このゴミ出しこそ、ことしの夢のようだった気がする。これも、遡ると、つまり時間を「逆転」させると面白いことが起こる。そこにあるのものが、消えてゆき、またなかったものが現われたりする。せっかくゴミとして出した、新聞の塊が戻ってくる。これはどうしたこと。その他、掃除器で吸い取ったゴミさえも戻ってきたりする。もう少し時代を遡ると、自分が少し若かったりもして、でもなんだか今のほうがよかった場合もあるから、ただ若返ったからいいと、素直に喜べない。
無かった建物が現われる。その他、ここには道が無かった、そうゆうことにもなり、もう少し遡ると、うちがなくなることになる。おじいさん、おばあさんが登場する。こうゆうことを考えるのは楽しいが、その他よろしくないことも再現されて、その苦い経験を再度味わうのはさすがにもういい。時間の反転は、いいことだけでいいが、そんな都合のいいことは起こり得ない。
今年の最初に思ったのは、これはもう誰しもあるかもと思うが、ことしももうすぐ終わってしまうという、そうゆういやーな感覚で、実際これがそのとおりになる。だから、ことしの夢とか希望とか、その他目標をたてるなど、なかなかやれない。大体頭から、そんなことは考えていない。ことしが果して無事終わるか、そうゆう心配が強い。それにしても、
やっぱりことしも、ゴミは総じて増えた。捨てるところもないが、移動くらいは出来る、毎度思うこと。小掃除を、3日くらいやった。しかし小掃除も三日で終わってしまった。まだ、ことしは残っている。今から、でも、夢、ゴミ出しの夢は本物に出来る。これが本当の夢だったりもするのが、正直なところ。右にあるものを左に持ってゆくのも大変な気がする。何かを動かすと、雪崩が起きて、取り返しのつかないことにもなりそうである。
明日は、「ことしの宿題」というものを考えてみるかな。
暗い予感がある。きょうも少しだけ、寒い道を歩いて来た。きのうよりも暖かそうだったが、雨。でも、スイセンはやはり咲いているから、ことしが特に寒いというわけではない。雪続き。
黒白の朝の時間であるが、そこにあるアオキに葉の上に白い雪が淡く乗っかっている。この青いこと。こうゆう青さは、いただけない。
朝の、ツツジ。このツツジは、たぶんことしも、雪に埋もれる運命にある。毎年、横に出っ張ってくる。そのうち、雪が乗っても大丈夫になるか。
目の前の、この金属に雪がふんわりと乗る。また蜘蛛も、この金属の辺りに、暖かくなるとよくいる。雪のときにしか、これに目を向けることもない。
遠方を見つめている。いつもと同じ風景だが、この先に、今は太陽はいない。