光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

暮れゆくときの、ラジオ

2008-12-31 18:46:20 | 散策
  もう押し迫って、明日の新聞の一部が、来た。ちょうど外に出るというときに、ほどほどに馴染みの新聞屋さんが、「はい、と言って、だったかどうか」、そうではないが、感じでとしてそうゆう感じで、第二部からの明日の新聞を渡してくれて、また、挨拶というものもちゃんと一言あって、こうゆうところは自分ではなかなか出来ないと思う。慌てて、口ごもる感じで、こちらこそとかいった風に思うが、悪い感じは残っていない。
  ラジオがあって、新聞があるが、新聞配達をされる方がいる、というところが大いに違って、またラジオは消えてゆく。新聞は、一日は残るようで、そのあとは行方不明、これっというものが、そうゆう場合も多いようだ。まったく電波の変わりに、新聞配達をされる方がおられるというのはありがたいものだ。

  毎日は大体がラジオで、子守唄というパターン。それでまだ日付が変わらないときに、目が開く、開くようなリズムがあって、聴いたこともないような音が聞こえる時もあって、つまりはラジオも、眠るときは子守唄だが、それが時間がたつと、はっきりした言葉となって、よみがえってくる。いやなときもあるが、これもしょうがない。いつも聴きよい音が、リズムが、音色が波長があるとは限らない。先にラジオを消して、それから、また眠る。

  ラジオの今頃のよさというのは、生放送であって、ということ。アナウンサさんも、この暮れのときに、あるいは年末年始関係なく、働かないといけない、という立場にある人は、これもなかなか経験が出来ないようで、そうゆう方が後々、こうゆうことがあって、など話されるときが来るだろう。あるいは書物にもなったりもする。
  今は大体が、双方向ということになるが、放送局側に取捨選択の権利があるのは間違いないことで、これを聴いていて嫌だなと思うことは少ない。
  妙な、例えば電子メールとかは、あるいはファックスとかはない。また、局のアナウンサも、適度に突っ込まれながらも、うまくさらっと流すことが上手で、なるほどこうゆう手があるか、感心する。同じ感じで、年末年始が稼ぎどきという方からのお便りもあるが、最近はというと、どっちかと言えば、きょうはお節料理作ってますとか、来年はダイエット、などというものが多かったような気がする。自分もそうゆうことを、たぶん送るとしたら、そうゆう内容になるだろう、というもの。

  それにしても、12月の31日である。少しはゆっくりしたいと思うのが、人情と思うが、そうでもないらしい。こうゆうことは当然のことという最初からの決まりはあるが、それにしてもお正月くらいは、皆と一緒に遊びたいとか、うちに帰りたいとかいう考えはないのだろうか。この辺りもちょっと聴いてみたい気もする。それを話されてもいいような気もするし、しかしもうそろそろというとき、ことしは、年末が31日で、いつものとおりの放送があります、とか宣伝したりする。
  なるほど、それはいかん、これはお正月だろうが、年末だろうが、ラジオを聴かないといけない、という感じが一時(いっとき)辺りに漂う。なるほどね、それに今年は、31日が水曜だと、来年の一日は木曜で、次に金曜もある。あれあれ、これだとラジオ関係の皆さんは、ことし、いや間違った、来年のお正月はというと先延ばしになるということ。なんだかやっぱり、このお正月は地元のラジオ局の番組というか、お喋りを聴かないといけないような気にもなってくる。

  ラジオはなかなかいいもので、ものすごくいいときもある。本音などがチラリと出るときの、そのときの電波には感動が含まれている。こちら、聴いている側も大いにうなづき、また満足して、同感もする。
  ことしの生放送、ラジオのものは、まだあるかどうか、たぶんあるだろうが、これを聴いている人も同じ思いだろう。

  そして、明日もあさっても、いつもどおりの番組があるというのが、これがもっともラジオのいいところである。いつもと変わらないこと。このことが、毎年年の瀬になるといつも思うことである。

  

  小雪の中の、小さな景色。これも軽いファイルです。




  コンクリート塀の上には時間がたつと、大体、苔がある。コンクリートで生きられる生き物の代表かも。雪が溶けて、まるい水玉になって。




  ちょっと、奥まったところも見てみる。小さい世界に色と形の妙がある。




  枯れアジサイ。薄く白いのは雪が降っていて、ちょうど画面に入ったのだろう。




  朝の瓦というと、少しだけ金色に輝いていた。


  一年見ていただきまして、ありがとうございました。

スイセンと淡雪と

2008-12-31 16:16:15 | 植物・花(冬)
  小雪が時々舞っているが、さほど寒くはない。
  寒くないような格好をしていたから、寒くない感じがする
  というのが、正しいようだ。
  淡い雪で、すぐに溶ける。雨にも変わるし、
  寒気が来ると、また雪になるという感じ。
  
  この雪は、傘には結構積もった。これが、面白いといえば
  面白い。高々、10分くらいかな、小雪の中を歩いた。
  歩いたというよりは、カメさんとあるものを睨んでいた。
  それでも、さほど寒くない。
  かなり、着膨れ。
  で、途中から、傘が重い、と思う。
  大雪だよ、という声も聞こえる。
  この傘の積雪が一番面白かったかも知れない。

  スイセンの撮り直し、これは大袈裟かな、他のところの
  もう一箇所のスイセンも。

  軽いファイルです。




  雪が降っていて、傘を差しながら。




  白いのが雪です。スイセン三兄弟。




  真っ白ではないところがいいというか、惜しいというか。




  淡雪が少し。




  場所を変えて。ちょっと暗かった。




  合焦点を、左のスイセンに変えてみる。違和感がある。
  おかしなものだなと思う。

雪の大晦日の、朝

2008-12-31 06:49:46 | 散策
  朝のお天気、これは目で、肌でたしかめたが、雪。それも小雪で、綿雪のようで、めでたい。しばらくして、瓦にも雪がある。風はほとんどない。アメダスの6時の気温、0.7℃、気圧は1017.1hPa、積雪はまだ、0cm。室温、6℃。

  ちょうど起きる予定の、1時間前に、目が開いて用を済ませてまだ、後1時間は布団の中にいれる、という幸せ感と寒さを味あう。朝は布団も冷えている。それから、悩みのようなものも、ここにすべて書いているから、朝の頭には残っていない。あっという間に、時間が来て、ピピピピという警戒音。
  ウー寒い。時計を見て、まださほど遅れていないと思い、温度計を見ると、6℃もある。窓の外は、暗くてわからない。ただ、静か。

  さっさと、新聞を取り出した。それからついでに、外に出てそれでもまだ雨かどうか不明。上はお空というところ、に出るとそんなに感じないが、冷たいものがあって、これは雪だとわかった。薄っすら、空気と違うが、形はあるが、空気のようなものがある。これは雪。めでたいような気もする。何しろ静かなのがいい。

  きのうは雨風のそれも一番きついときに、わずかな距離だが歩いた。傘を開いて前にゆくのにも、足を踏ん張らないといけない。押し戻される感じもある。ずぶ濡れこそないが、これを早く避けるには、まずは歩かないといけなく、そのせいかきょうは多少の筋肉痛がある。それにしても、お天気に翻弄された。
  他にも、いろいろムカムカすることはあったが、これはまー自分の事でもないし、忘れるしかないか。いらぬ詮索もしないほうが、結局は我が身のためになる。

  何か朝に思うことはないか。きょうはきっと寒い一日。灯油をヒータに入れないといけない。それから、最近は、リンゴの皮を付けたまま食べることにしている。これではおいしいリンゴの味も、少し落ちる。なぜか、ゾウ、動物のゾウは、バナナもリンゴも、何でもかんでも、そのまま食べるなーとそんなことを思い出した。それから、食パンに塗るジャムなり、油ものもぐっと減らした。効果はないと思う、減量の。

  きょうは雪。シトシト降る雪であって欲しい。
  今は白い地面や景色も、見え出した。