掃除の「そ」の字も気にしなかったときが懐かしいが、今も大して汚れとか、汚いとか、あるいは、食べることは出来ないとか、気にしないようで、これは病原性がある、など、多少気にすることはある。ものをどちらかというと、溜める方向にある性格なので、相変わらず物の量は減らない。はっきりゴミというものが大部分だが、それも置いてある。
目に付くのは、昔のPC、あるいはDOS時代のものといったらいいか、それの代表が、フロッピで、あるいはディスケットとも言うようだが、これも小型のもので、5インチのものは少なく、こちらは雑誌の付録。買っているのは、もっと小型のもので、これも、今はハードを触らないから、必要性があるが、USBメモリでも代用出来そうで、要らないかも知れない。でも、フロッピの10枚や20枚はあってもいいが、その10倍くらいはありそうだ。その他、もう使わない、古いけどその時代のOSなら十分に実用性のある、これまた雑誌の付録のCDも多く、そのまま。
掃除の話し。大掃除はやったことがない。出来ない。でも、掃除はまあるくやっている。いつの時代からか、多少の不潔恐怖もあって、外から帰ってきたときなどは、上着やら、靴やら、靴下も脱いで、一応払う、ゴミを落とす。こんなことはそれこそ若いときはやらず、いったいいつからこんなことをやるようになったのか、自分でもわからない。うちの中というものも、もうキレイであり続けることが出来ない時代なのに、外と大して変わらないのに、一応上着を払ったり、たたいたりする。靴だって、底の泥を落とす。そのくせ、帰って来ての手洗いやら、うがい、それも鼻うがい、を忘れるからちゃらんぽらんだ。
掃除の話しだが、なかなかそこにゆかない。大体、掃除器をあてて、しばらくするかしないかのうちに、目に見えるゴミがあるから、この掃除器を使用しての掃除も当てにならないが、大体からそれ以外のところ、窓の桟とかにゴミは多い。本箱も、いろいろなものを置いてある棚も、はっきりいうと薄くあるところは厚く、綿ぼこりが乗っかっている。だから、掃除器で空気をかき回せばそこに新しい空気の流れが出来て、軟着陸していたゴミも浮かび上がって、それで、フワフワ別のところに落ちるのも、もっともなことなのである。そうか、やっぱり小掃除というのは、やっても意味がないか。
しかし、いつものは小掃除とも言えないようで、ついにあるとき、あまりにまあるく掃除をしていたから、それより向こうのところのゴミが目だって、ついに、四角く掃除をすることにした。そこには、なにもないところもあれば、やっぱりというか、箱があったり、段ボール箱が折りたたんであったり、それこそ本が積まれていたりする。そのこのゴミを吸い取るには、その先っぽが細くなったものがあると便利で、探したらあった。これを、常に掃除器にくっ付けることが出来るようになっていることもわかって、ようやく、小掃除をやったという気になった。
それにしても、隅っこというのは、埃の山である。あるいは圧縮されていて、それがズルズル出て来るというか、引っぱり出されるのを見ると、怖気立つものがある。ノズルの先が細すぎるのか、うまく入ってゆかない。まったく、手ごわい相手である。高が、綿ぼこりと侮るなかれ。しかし、こんな細かいというか、大きな手ごわい綿ぼこりを掃除器で吸い取っていいものか、考え物でもある。掃除器も壊れるときがあるから。
いずれにしろ、窓の、カーテンに隠れてるゴミなども積極的に、吸い取るようにして、少し四角いところあるいは普段掃除器をあてないところにも、久しぶりにやって、それでも、まだまだゴミの溜まっているところは多い。いったいここはどこという感じだが、昔よりは多少はきれいになった感じもする。そうゆう感じを大切にしたいと思う。
それにしても、中掃除というと、ありとあらゆるものを一回は外に出さないと、いけない気がする。とでもじゃないが、それは出来ない。なんだかもう逆戻り出来ないのははっきりした。どんな掃除好きの方も目を丸くし、開いた口がふさがらないだろう。そうに決まっている。
大掃除というと、どうなるか、すべてのものを外に出して、それからうちの中を、多分洗剤か何か、強力なものを使わないと、きれいにならない気がする。洗剤にもよし悪しがあって、今ごろシック・ハウスもしゃれにもならない。よって、大掃除というものも出来そうにない気がする。
ところで、朝に目が開いてというときに、足にスチーム付きの電気ヒータを引っ掛けて、その辺りが水浸し、プールになった。その水もかなりに汚いもので、これはある意味、ヒータの方の「水入れ」はきれいになった、と言えないか。さらにもうそれですっかり目も覚めたが、冷たい水と布でその辺りをきれいにするのは、まことに情けない気がした。これも、しかし考えようによっては、部分的ではあるが中掃除くらいした気がする。なんとなれば、その白いタオル、これも雑巾になり下がったもんだが、その白いところがかなり黒くなったから。
まー悪いことばかりではない。でも、白かったぼろの雑巾の黒いものは、ほぼそのまま残る。掃除というものも、あるところはきれいになるが、あるところは汚れるものという一面もあるようで、なんだか最後はふやけてしまった。
単調なファイルの中、光の玉を集めてみた。これも、意識して作っていないから、探すのはしんどい作業になる。
これがいけないというか、これを見て光玉集めをやり始める。
この辺りはまー結構早く見つかる。絞りの形がわかるもの。
これも、光玉で出て来るもの。こうゆうものばかりだと飽きてしまう。たまにだから、いいのである。
最後の一枚というのがなかなか決まらなくて、これにしたが、3枚まではあって、4枚目というのはなかなかないもののようだ。
目に付くのは、昔のPC、あるいはDOS時代のものといったらいいか、それの代表が、フロッピで、あるいはディスケットとも言うようだが、これも小型のもので、5インチのものは少なく、こちらは雑誌の付録。買っているのは、もっと小型のもので、これも、今はハードを触らないから、必要性があるが、USBメモリでも代用出来そうで、要らないかも知れない。でも、フロッピの10枚や20枚はあってもいいが、その10倍くらいはありそうだ。その他、もう使わない、古いけどその時代のOSなら十分に実用性のある、これまた雑誌の付録のCDも多く、そのまま。
掃除の話し。大掃除はやったことがない。出来ない。でも、掃除はまあるくやっている。いつの時代からか、多少の不潔恐怖もあって、外から帰ってきたときなどは、上着やら、靴やら、靴下も脱いで、一応払う、ゴミを落とす。こんなことはそれこそ若いときはやらず、いったいいつからこんなことをやるようになったのか、自分でもわからない。うちの中というものも、もうキレイであり続けることが出来ない時代なのに、外と大して変わらないのに、一応上着を払ったり、たたいたりする。靴だって、底の泥を落とす。そのくせ、帰って来ての手洗いやら、うがい、それも鼻うがい、を忘れるからちゃらんぽらんだ。
掃除の話しだが、なかなかそこにゆかない。大体、掃除器をあてて、しばらくするかしないかのうちに、目に見えるゴミがあるから、この掃除器を使用しての掃除も当てにならないが、大体からそれ以外のところ、窓の桟とかにゴミは多い。本箱も、いろいろなものを置いてある棚も、はっきりいうと薄くあるところは厚く、綿ぼこりが乗っかっている。だから、掃除器で空気をかき回せばそこに新しい空気の流れが出来て、軟着陸していたゴミも浮かび上がって、それで、フワフワ別のところに落ちるのも、もっともなことなのである。そうか、やっぱり小掃除というのは、やっても意味がないか。
しかし、いつものは小掃除とも言えないようで、ついにあるとき、あまりにまあるく掃除をしていたから、それより向こうのところのゴミが目だって、ついに、四角く掃除をすることにした。そこには、なにもないところもあれば、やっぱりというか、箱があったり、段ボール箱が折りたたんであったり、それこそ本が積まれていたりする。そのこのゴミを吸い取るには、その先っぽが細くなったものがあると便利で、探したらあった。これを、常に掃除器にくっ付けることが出来るようになっていることもわかって、ようやく、小掃除をやったという気になった。
それにしても、隅っこというのは、埃の山である。あるいは圧縮されていて、それがズルズル出て来るというか、引っぱり出されるのを見ると、怖気立つものがある。ノズルの先が細すぎるのか、うまく入ってゆかない。まったく、手ごわい相手である。高が、綿ぼこりと侮るなかれ。しかし、こんな細かいというか、大きな手ごわい綿ぼこりを掃除器で吸い取っていいものか、考え物でもある。掃除器も壊れるときがあるから。
いずれにしろ、窓の、カーテンに隠れてるゴミなども積極的に、吸い取るようにして、少し四角いところあるいは普段掃除器をあてないところにも、久しぶりにやって、それでも、まだまだゴミの溜まっているところは多い。いったいここはどこという感じだが、昔よりは多少はきれいになった感じもする。そうゆう感じを大切にしたいと思う。
それにしても、中掃除というと、ありとあらゆるものを一回は外に出さないと、いけない気がする。とでもじゃないが、それは出来ない。なんだかもう逆戻り出来ないのははっきりした。どんな掃除好きの方も目を丸くし、開いた口がふさがらないだろう。そうに決まっている。
大掃除というと、どうなるか、すべてのものを外に出して、それからうちの中を、多分洗剤か何か、強力なものを使わないと、きれいにならない気がする。洗剤にもよし悪しがあって、今ごろシック・ハウスもしゃれにもならない。よって、大掃除というものも出来そうにない気がする。
ところで、朝に目が開いてというときに、足にスチーム付きの電気ヒータを引っ掛けて、その辺りが水浸し、プールになった。その水もかなりに汚いもので、これはある意味、ヒータの方の「水入れ」はきれいになった、と言えないか。さらにもうそれですっかり目も覚めたが、冷たい水と布でその辺りをきれいにするのは、まことに情けない気がした。これも、しかし考えようによっては、部分的ではあるが中掃除くらいした気がする。なんとなれば、その白いタオル、これも雑巾になり下がったもんだが、その白いところがかなり黒くなったから。
まー悪いことばかりではない。でも、白かったぼろの雑巾の黒いものは、ほぼそのまま残る。掃除というものも、あるところはきれいになるが、あるところは汚れるものという一面もあるようで、なんだか最後はふやけてしまった。
単調なファイルの中、光の玉を集めてみた。これも、意識して作っていないから、探すのはしんどい作業になる。
これがいけないというか、これを見て光玉集めをやり始める。
この辺りはまー結構早く見つかる。絞りの形がわかるもの。
これも、光玉で出て来るもの。こうゆうものばかりだと飽きてしまう。たまにだから、いいのである。
最後の一枚というのがなかなか決まらなくて、これにしたが、3枚まではあって、4枚目というのはなかなかないもののようだ。