光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

重い雑誌も、軽いものも

2008-12-13 18:24:28 | 散策
  あちこちに、邪魔だなと思えるものが増えて、結局のところ、身の安全というかその限度というものもある。箱の中の大きさは変わらないので、それまでは身の軽さで何とか凌いでいたものが、邪魔になったり、事故のもとにもなったりする。そうゆうことはわかっているが、溜め込んでしまって外に出せない。ゴミだとわかっていながら、面倒になって、ついにゴミのほうが優位に立つ。これはいけない。本末転倒。

  そう思ったかどうか、知らないが、たしかに身のこなしというものはいかにもそのバランスは悪く、ツッカケを履くのにその位置を間違える。だから、そこは昔なら土間だろうが、今はタイル?だが、変わりはない。うまく着地できなくて、おっとっととなってしまうので、笑えないのである。ツッカケとか、サンダルとの相性もある。
  「ドッカーーン」という感じでものを倒すことは何度もあった。ちょっと高めのミカン箱の上に、PCの箱(ケース)を置いて、それで何かの拍子に、そのミカンの段ボール箱からPCの組み合わせ中のものが落っこちたときがあるが、その痕はちゃんとフローリング、板のそれに残っている。板は無数の傷が付いている。その形から、大きさから、無数ということはいえなく、有界であることは自明だが、無数のと形容したくなる、傷である。色々そうゆうものはある。カメさんに、双眼鏡に、それになにがあるか。書いてもいいが、格好が悪くて書けないものも多く、その傷を見ると自分でやったものだが胸がつまる。さらに私は昔から「あわてんぼう」というか、オッチョコチョイの代名詞のように言われて、滑って転んでということが多い。これさえなければ、もう少しまともになったようだが、これは直らない。

  最近は、雑誌を書店で購入するということもやっているが、この雑誌というのは結構に重い。軽い紙を使ったものも多いが、写真が多いとどうしてもアート紙のようなもので出来ていて、値段よりも雑誌のほうの重さが、堪えるものがある。その点は、PR誌は、まずは大きさも手ごろで、軽い。しかしこれも、1年がたち、10年がたつとなると、まだ大丈夫そうで、収集家の皆さんも最後はそれをどうするかで悩みに悩んで処分するようだ。やっぱりなー、最後というものが何ものにもあるようで、
  しかし今の私の問題は、自分の身の安全という観点からのもので、新しく買ったのだから、それ故その辺りに積んである雑誌を外に持ち出すしかない。今頃気が付いたというか、これも、小掃除をしているから、その延長線上にこの「ものを捨てる」、というかものを外にとりあえずは出す、ということが出来るようになったようだ。

  実際、軽いっ雑誌はというと、結構軽い。10冊は大丈夫だ。10年前だとこの雑誌の厚さも、今の5倍はあった。それで、重いものも出す。これが真ん中を大きめの金属の爪で留めてあるような、そうゆう創りの雑誌でも10冊集まるとやたら重い。それで、階段を上り下りするのは、きつい。いかに、軟弱な生活をしているか、わかろうというものだが、事実だから重いのである。3往復して、どうにか、危険性もあると思う、邪魔になるところの雑誌、特に新しいもの、写真関係のものを外に出した。これで、お腹はへこまない。返って空腹を覚えたりもする。
  この種の運搬のコツは、急がず、少量主義で、休まずというのが鉄則のようだが、最後の休まずがだめ。この次はいつか、小掃除で、習慣が出来て、さてどうなるか。でも、新しい雑誌だけにもったいない気もするが、だが、もう見ることはやはりないのである。


  今日のお天気は、これまたパッとしないものだった。海までは行った。このときは、たまたま好天といってよかったが、その後は日も沈むのが早いから、いいお天気といってもすぐに暗くなってしまう。これは寂しいもので、侘しくもある。





  似たり寄ったりのものしか出ない。でも、普段登場することがないものが、注目されるのもこの季節。




  春を待つだけの、ドウダンツツジ。




  いくらかの枝は雪の重みに耐え切れず、折れてしまうだろう。このものは意外と、隙間がある。




  アオキだろうか。一本、昔はなかった、どこかからかタネが飛んで来て、この地点で芽を出して、この大きさになった。

北の海は意外と静かだった

2008-12-13 16:14:06 | 散策
  海は近いが、せいぜい2kmというところ、それでもなかなか
  行ってみようというに気にならなかったが、
  なぜか海が呼んでいる、これは違うけど、海くらいならいけそうな
  気もして、それで行ってきた。
 
  そこまでにゆく景色が、昔とかなり変わっていて、
  人口は増えていないのに、何でこんなに住宅が増えたのか、
  やけに不思議に思えた。
  新しい住宅は増えているようだが、この辺りは、
  開いたままの土地やらもある。

  そんなことはいいか。
  きょうはお天気がよかったからで、雨風になると、また雪が降れば、
  その住宅地の感じもかなり違うだろう。




  海ですね。西風で、少しだけ潮の匂い。




  もっと砂浜には、枯れ木などの漂流物やら、訳わからんものが
  あると思ったが、意外に少ないねー。




  この先は、大陸かというと、たぶん能登半島だと思う。




  足跡があった。これもあるといい。




  波、打ち寄せる波。その音は、この波の程度だと、静かというか、
  「ささー」というところで、正直もう忘れた。  

静寂の朝

2008-12-13 06:52:39 | 散策
  朝のお天気、曇り。先ほどまでは、今は晴れ間もある。なんでも天気で、路面は濡れたまま。月はかすかに見えていて、太陽の登る、アルプスの頂はほんのり赤い。アメダスの6時の気温、5.2℃、気圧は1021.1hPa。室温9.9℃、10℃でもいい。

  きょうも、月は起きると西の空にある。月が出たときも見えていて、あまりに東北の方向に近く、見づらい位置にあった。月が沈む位置は、まーまーの位置で、こんなことはかなり個人的な問題でもある。朧月ではない。
  外気温が下がっているから、一部は放射冷却もあったようで、窓も水滴で曇りがちであって、多分星空があった。ようやく、今頃の気温になるが、これに慣れるのにまた時間がかかる。

  薬の管理。ある方は、アセチルコリンエステラーゼの活性を阻害するというお薬を飲んでおられるので、これを管理するのはその御家族とあって、そのうちの一人であるわたくしが、しょうがなくこの薬を自分の机のそばに置いている。一日、一回であるから忘れようにも忘れることが出来ないようで、しかしこの規則はかなり厳重に守らないといけない。よって、緊張の一つもするが、ときに駄々をこねるというときもあって、そのままである。そこに出しても飲んでくれない。元気になる薬だからというが、どうも元気は必要ないということらしい。しかし、姉も「そのくらい自分で何とかしろ」、と言ってくるから、何とかしないといけなく、でもそっと、気が向いたらお飲みくださいといって、するすると引き下がる。
  夜には別の薬、これも一日一回。その他自分の薬というのもあって、この管理というか、間違えずに飲むことは非常に簡単なようで、昼と夜が反対になりそうにもなる。あー危ないねー、慌ててはいけない。

  そのほかだと、冬であるから、暖房関係の注意が特に必要である。しかし昔と違って、安全といえば安全だが、もったいないということもある。TVとか、コタツを付けっぱなしで、そこを離れるということもある。時々に、口に出す。注意する。「ただ」じゃないんだからね。
  給湯器もあって、これも使わないのに、夜から朝まで付いていて、もったいないなーとか、今は、炭酸ガスの生産も悪ということになっているようで、これにも気を使う。だんだんと、神経が磨り減るような気になる。さらに、蛍光灯だって明るいのにつけっぱなし。まるで、昔の自分じゃないか。

  さて、なにがさてか、きのう新しく取り替えた蛍光灯は1本だが、これには理由があって、1本しかなかった。便利な店でも、ここの在庫管理はちと誉められぬ。でもないよりはよかった。この1本の蛍光灯が、明るいのである。明るすぎるようで、なるほど世の中うまくゆかないものだと、あらためて思う。この会社の、蛍光灯型電球は暗すぎる。この一つの理由に、蛍光灯そのものが明るすぎるという問題もありそうだ。