光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ほんの少し昔を振り返ると

2008-12-14 18:34:36 | 散策
  いよいよ、押し迫ったというか、ゆくところがなくなったというか、ニッチもサッチもゆかなくなった、という気になるから、不思議なものだ。この緊迫感はどこから来るのだろうか。自分の先行きというものも、もう見えているかのようで、それを数えるのも、アホらしい気もする。そんなことを考えてどうする、その暇があれば、年賀状のリストでも作ったらどうか、こうゆうことをゆう、もう一人の自分がいる。憎たらしいもう一人がいる。

  さらに、ちゃんと少なくてもPR誌は買っているのだ。それを読んだらどうだ、もう一人の、けちん坊で、お金に細かい自分がいる。これも、そんなくだらないことを考えるより、年賀状というのと似ているが、・・・、ここより先、見えないところにはまだいけないので、何とか自分を保っている。
  PR誌は来た。二つ購入しているが、そのうちの一つは珍しく、月が変わって来た。いつもなら、12月号は、11月のおしまいに来るが、ことしも、とおの昔に年末モードで、それでもやはり遅れるのだ。それから、大体遅れるが、早く来るときもあるものも、2日遅れで来た。それらをパラパラは見るが、なかなか読み込むというか、少なくてもその字面を追うことさえも出来ない。情けないものがあるが、これはいつもの自分なのである。それでも、何とかこれまでは、一回だけでも目を通したが、それも出来なくなっている。

  目も疲れるし、辞書を引くのも面倒で、平がなの一つ、ルビでも打ってくれたら、すぐに辞書を引けるが、この辺りは訓練でもあるから、ヒントのヒの字も与えないという、なんだかテスト対策のような、冊子でもある。最近は、漢字を知らなくても、少なくとPCだと字を書けば、打てば、妙な漢字ばかり出て、そのまま印刷されて、それが本になって、こんどはそれの正しい意味というか、言葉は何か、というものまで出てきそうで、それとこれとはずいぶんと違う。自分の頭の構造を今さら変えるわけにはゆかない。
  大きな辞書を買うことは出来る。実際、『大辞林』だの、『広辞苑』だの色々版も違ったものはある。広辞苑の最新版はないが、買うことは可能だが、それを置くとなると、玄関辺りということになり、辞書を引くのも大変である。この辞書を片手でつかめないと、まずは本は読めない。それから、その辞書を置くスペースがないとなー。

  幾つかもう年末で、「込み合う」からこれは止めたという感じのものがあって、そんなことだと永久に、その目的も達成出来ないといわれそうだが、さすがに今になって、薄型の、地上波ディジタル対応TVというものをすぐに購入する気はなくなった。大きさの問題とか、それから、その見え具合はどうか、という問題もあるが。この先使えなくなるTVゆえ、購入するということが、問題なわけで、もしこうゆうことがなければ、一々買い換えることはない。大体が、10年はTVはもつものである。そうでないとおかしい。それでも、自分ひとり頑張ったって、そのときは来る。TVが見えなくなると困るだろう。
  なんだか、姉はTVなど見ないで、『本と新聞』しか見ない人だと思っていたが、そうでもないらしい。姉の様子を一つ判断の材料にしよう。優柔不断。

  この例に従うと、新しいOSだの、それから、ケータイだのは問題外になってくる。ケータイ、相変わらずよくはわからない。それ以外だとどうか、課題は増える。

  減量の問題があった。きのうは少しだけ長く歩いた。色々と思い出すことも多かったが、歩いた距離は、せいぜい4kmあるかないか、時間でゆくと1時間であって、これじゃ運動にもならない。せいぜい、血中のグルコースの濃度は少し下がったか、で、これではお腹周りの、これは例えで、実際は血中の中性脂質や、その他の物質が関係するだろうが、お腹の油が燃えるところまでは行かない。実際に、血中の中性脂質が、エネルギの直接のもととなるためには、どのような反応が起こらないといけないのか、このあたりが難しい。グルコースだとわかりやすい。いつに、脂質に変化が生じるか、生体の中では様々な反応が起こっていて、互いにやり取りをしているから、糖が脂質に、あるいはその逆は、通常の生活でも起こっているのだろう。もしも、油しか燃えないとしたら、それこそ大変である。互いのバランスというのも大切であるが、いかにも脂質が多そうな体型になった今、どうにかそのものが減らないか思うが、これは考えてもだめか。
  ちょっと支離滅裂になってしまった。


  日めくりカレンダというのがあるが、月めくりで、自分のファイルの中から、ランダムに、というか、つまりは適当にここで、ということで、そこから昔のものから、なにかを引っぱり出さないといけない状況である。

  久しぶりに、シーンという音をたてて、ディスクは動いた。今年の4月。それが一世代前の、一番古い月。




  4月だから、まずはカエデの赤い葉っぱがあってしかも水玉付き。これは一度出ているかも知れない。




  たくさん落ちた、ヒメオドリコソウの上にも、ツバキの花。




  今だと、新鮮としかいえない、新緑。なんかまずいことやっているかも。




  ヤマブキに、




  レンギョウ。このレンギョウは蜘蛛の巣があって、その上に水玉がある。 

冬のシトシトの雨

2008-12-14 16:15:48 | 散策
  雨が止まない。またシトシト、降り始める。
  きょうは昼には雨も上がって、っと思っていたが、
  少し明るくなると、またミゾレのような雨が降る。この降り方は、
  なんだかバケツを引っくり返した感じ、音がそうなのである。

  雨の道を歩く。轍ね、切っては貼り付けの、デコボコ路面。
  たくさんの雨が行き場もなく、そこに溜まる。

  葉書を何枚か書いて、出す。これは年賀状ではない。
  きょうそれを出すと年内というか、早いと明日かあさってに
  着いてしまうはず。
  でも、郵便局も変わったから、そのくらいの気をきかしてくれるかも。
  雨の日の、郵便ポストに葉書を入れるときは、気を付けないと
  濡れれしまう。慎重に鞄から取り出す。
  最後まで、押し込む。


  雨が長く降る。




  苔、石の上。接近しているから、紐のようにも見える。今はまだ緑濃い。




  葉を落とした、鳥の止まる、背も高い木。少しトゲトゲしているのは、
  葉っぱの芽だろうか。




  アジサイの葉っぱが、ゆでたように皆、シナッとなってきた。

  ナンテン(南天)。



  赤いナンテン。11月も後半になるとこの赤味が出る。
  白いというか、大豆色のものもある。




  ナンテンは赤い実が目を引くが、この緑濃い葉もなかなかいいものだと、
  私は思う。

北風の冷たい朝

2008-12-14 06:52:59 | 散策
  朝のお天気、きのうの宵の口から雨のような感じがあった。それからは、たぶんずっと雨。風は北風で、見るからに、寒い。風は見えないが、そう思う。アメダスの6時の気温、6.4℃、気圧は1014.9hPa、風速は、10m、やっぱりねー。室温、10.5℃、冷たい感じがする割に、室温は下がっていない。

  晴れ間が出て、田んぼの中にゆくと、我一人と言う感じが強く、辺りぐるっと360度眺めることも出来るし、いい気持ちのような、しかし落ち着かないものもある。まずは人がいない。みな、怖いからこんなところ歩かないのか。そうでもないが、たしかに、だれも歩いていない道、一本道を一人で歩くのは多少の不安はあるが、もう一人の方が遠くからこちらに向かって歩いてきたら、きっとそれ以上の恐怖みたいのが、あるかも知れない。
  それと、明るさというのも、妙なもので、十分な明るさがあるが、辺りは、枯れ野といってもよく、さらに太陽の高度が低い。十分な明るさがあって、しかし影は長い。電信柱や、鉄塔の影は結構に長いが、その陰影は薄い。それゆえか、十分な明るさというものを感じることが出来ない。結局、気分も半分はそぞろになる。
  この12月という月も、お天気の関係もあるのだろうが、子供さんには嬉しく、お孫さんを待つ方も明るく嬉しく、その他の方は、灰色の季節だな。

  体重計の問題。これに乗らなくなって、結構な時間がたった。最近になって、体重って何と思うこともある。地球と、自分が引っ張り合いをしているのだけど、てな感じだが、向こうの引力が増えたわけではなく、こちらの重量が増えたわけだが!。そんなに敏感なものなのか疑問が残る。
  まずは、1.5リットル入りのペットボトルに水を入れて、それを横に置く。最初に、自分だけ乗っかってみる。XXkgと出る。それから1.5リットルの水を入れた、ボトルを持って、また体重計に乗る。すると、はたして、そのメータは、XX+1.5kgになるか、たしかめる。さて、いよいよ面白いところになる。水を、そのためには我慢して1.5リットル飲む。このために修行がいる。さて、その水を飲んで体重がXX+1.5kgになっているかどうか、一回でいいからやってみたい。これと、

  体重というか、その概念とは、あまりに関係がないので、気にしない方も多いとは思うが。