いよいよ、押し迫ったというか、ゆくところがなくなったというか、ニッチもサッチもゆかなくなった、という気になるから、不思議なものだ。この緊迫感はどこから来るのだろうか。自分の先行きというものも、もう見えているかのようで、それを数えるのも、アホらしい気もする。そんなことを考えてどうする、その暇があれば、年賀状のリストでも作ったらどうか、こうゆうことをゆう、もう一人の自分がいる。憎たらしいもう一人がいる。
さらに、ちゃんと少なくてもPR誌は買っているのだ。それを読んだらどうだ、もう一人の、けちん坊で、お金に細かい自分がいる。これも、そんなくだらないことを考えるより、年賀状というのと似ているが、・・・、ここより先、見えないところにはまだいけないので、何とか自分を保っている。
PR誌は来た。二つ購入しているが、そのうちの一つは珍しく、月が変わって来た。いつもなら、12月号は、11月のおしまいに来るが、ことしも、とおの昔に年末モードで、それでもやはり遅れるのだ。それから、大体遅れるが、早く来るときもあるものも、2日遅れで来た。それらをパラパラは見るが、なかなか読み込むというか、少なくてもその字面を追うことさえも出来ない。情けないものがあるが、これはいつもの自分なのである。それでも、何とかこれまでは、一回だけでも目を通したが、それも出来なくなっている。
目も疲れるし、辞書を引くのも面倒で、平がなの一つ、ルビでも打ってくれたら、すぐに辞書を引けるが、この辺りは訓練でもあるから、ヒントのヒの字も与えないという、なんだかテスト対策のような、冊子でもある。最近は、漢字を知らなくても、少なくとPCだと字を書けば、打てば、妙な漢字ばかり出て、そのまま印刷されて、それが本になって、こんどはそれの正しい意味というか、言葉は何か、というものまで出てきそうで、それとこれとはずいぶんと違う。自分の頭の構造を今さら変えるわけにはゆかない。
大きな辞書を買うことは出来る。実際、『大辞林』だの、『広辞苑』だの色々版も違ったものはある。広辞苑の最新版はないが、買うことは可能だが、それを置くとなると、玄関辺りということになり、辞書を引くのも大変である。この辞書を片手でつかめないと、まずは本は読めない。それから、その辞書を置くスペースがないとなー。
幾つかもう年末で、「込み合う」からこれは止めたという感じのものがあって、そんなことだと永久に、その目的も達成出来ないといわれそうだが、さすがに今になって、薄型の、地上波ディジタル対応TVというものをすぐに購入する気はなくなった。大きさの問題とか、それから、その見え具合はどうか、という問題もあるが。この先使えなくなるTVゆえ、購入するということが、問題なわけで、もしこうゆうことがなければ、一々買い換えることはない。大体が、10年はTVはもつものである。そうでないとおかしい。それでも、自分ひとり頑張ったって、そのときは来る。TVが見えなくなると困るだろう。
なんだか、姉はTVなど見ないで、『本と新聞』しか見ない人だと思っていたが、そうでもないらしい。姉の様子を一つ判断の材料にしよう。優柔不断。
この例に従うと、新しいOSだの、それから、ケータイだのは問題外になってくる。ケータイ、相変わらずよくはわからない。それ以外だとどうか、課題は増える。
減量の問題があった。きのうは少しだけ長く歩いた。色々と思い出すことも多かったが、歩いた距離は、せいぜい4kmあるかないか、時間でゆくと1時間であって、これじゃ運動にもならない。せいぜい、血中のグルコースの濃度は少し下がったか、で、これではお腹周りの、これは例えで、実際は血中の中性脂質や、その他の物質が関係するだろうが、お腹の油が燃えるところまでは行かない。実際に、血中の中性脂質が、エネルギの直接のもととなるためには、どのような反応が起こらないといけないのか、このあたりが難しい。グルコースだとわかりやすい。いつに、脂質に変化が生じるか、生体の中では様々な反応が起こっていて、互いにやり取りをしているから、糖が脂質に、あるいはその逆は、通常の生活でも起こっているのだろう。もしも、油しか燃えないとしたら、それこそ大変である。互いのバランスというのも大切であるが、いかにも脂質が多そうな体型になった今、どうにかそのものが減らないか思うが、これは考えてもだめか。
ちょっと支離滅裂になってしまった。
日めくりカレンダというのがあるが、月めくりで、自分のファイルの中から、ランダムに、というか、つまりは適当にここで、ということで、そこから昔のものから、なにかを引っぱり出さないといけない状況である。
久しぶりに、シーンという音をたてて、ディスクは動いた。今年の4月。それが一世代前の、一番古い月。
4月だから、まずはカエデの赤い葉っぱがあってしかも水玉付き。これは一度出ているかも知れない。
たくさん落ちた、ヒメオドリコソウの上にも、ツバキの花。
今だと、新鮮としかいえない、新緑。なんかまずいことやっているかも。
ヤマブキに、
レンギョウ。このレンギョウは蜘蛛の巣があって、その上に水玉がある。
さらに、ちゃんと少なくてもPR誌は買っているのだ。それを読んだらどうだ、もう一人の、けちん坊で、お金に細かい自分がいる。これも、そんなくだらないことを考えるより、年賀状というのと似ているが、・・・、ここより先、見えないところにはまだいけないので、何とか自分を保っている。
PR誌は来た。二つ購入しているが、そのうちの一つは珍しく、月が変わって来た。いつもなら、12月号は、11月のおしまいに来るが、ことしも、とおの昔に年末モードで、それでもやはり遅れるのだ。それから、大体遅れるが、早く来るときもあるものも、2日遅れで来た。それらをパラパラは見るが、なかなか読み込むというか、少なくてもその字面を追うことさえも出来ない。情けないものがあるが、これはいつもの自分なのである。それでも、何とかこれまでは、一回だけでも目を通したが、それも出来なくなっている。
目も疲れるし、辞書を引くのも面倒で、平がなの一つ、ルビでも打ってくれたら、すぐに辞書を引けるが、この辺りは訓練でもあるから、ヒントのヒの字も与えないという、なんだかテスト対策のような、冊子でもある。最近は、漢字を知らなくても、少なくとPCだと字を書けば、打てば、妙な漢字ばかり出て、そのまま印刷されて、それが本になって、こんどはそれの正しい意味というか、言葉は何か、というものまで出てきそうで、それとこれとはずいぶんと違う。自分の頭の構造を今さら変えるわけにはゆかない。
大きな辞書を買うことは出来る。実際、『大辞林』だの、『広辞苑』だの色々版も違ったものはある。広辞苑の最新版はないが、買うことは可能だが、それを置くとなると、玄関辺りということになり、辞書を引くのも大変である。この辞書を片手でつかめないと、まずは本は読めない。それから、その辞書を置くスペースがないとなー。
幾つかもう年末で、「込み合う」からこれは止めたという感じのものがあって、そんなことだと永久に、その目的も達成出来ないといわれそうだが、さすがに今になって、薄型の、地上波ディジタル対応TVというものをすぐに購入する気はなくなった。大きさの問題とか、それから、その見え具合はどうか、という問題もあるが。この先使えなくなるTVゆえ、購入するということが、問題なわけで、もしこうゆうことがなければ、一々買い換えることはない。大体が、10年はTVはもつものである。そうでないとおかしい。それでも、自分ひとり頑張ったって、そのときは来る。TVが見えなくなると困るだろう。
なんだか、姉はTVなど見ないで、『本と新聞』しか見ない人だと思っていたが、そうでもないらしい。姉の様子を一つ判断の材料にしよう。優柔不断。
この例に従うと、新しいOSだの、それから、ケータイだのは問題外になってくる。ケータイ、相変わらずよくはわからない。それ以外だとどうか、課題は増える。
減量の問題があった。きのうは少しだけ長く歩いた。色々と思い出すことも多かったが、歩いた距離は、せいぜい4kmあるかないか、時間でゆくと1時間であって、これじゃ運動にもならない。せいぜい、血中のグルコースの濃度は少し下がったか、で、これではお腹周りの、これは例えで、実際は血中の中性脂質や、その他の物質が関係するだろうが、お腹の油が燃えるところまでは行かない。実際に、血中の中性脂質が、エネルギの直接のもととなるためには、どのような反応が起こらないといけないのか、このあたりが難しい。グルコースだとわかりやすい。いつに、脂質に変化が生じるか、生体の中では様々な反応が起こっていて、互いにやり取りをしているから、糖が脂質に、あるいはその逆は、通常の生活でも起こっているのだろう。もしも、油しか燃えないとしたら、それこそ大変である。互いのバランスというのも大切であるが、いかにも脂質が多そうな体型になった今、どうにかそのものが減らないか思うが、これは考えてもだめか。
ちょっと支離滅裂になってしまった。
日めくりカレンダというのがあるが、月めくりで、自分のファイルの中から、ランダムに、というか、つまりは適当にここで、ということで、そこから昔のものから、なにかを引っぱり出さないといけない状況である。
久しぶりに、シーンという音をたてて、ディスクは動いた。今年の4月。それが一世代前の、一番古い月。
4月だから、まずはカエデの赤い葉っぱがあってしかも水玉付き。これは一度出ているかも知れない。
たくさん落ちた、ヒメオドリコソウの上にも、ツバキの花。
今だと、新鮮としかいえない、新緑。なんかまずいことやっているかも。
ヤマブキに、
レンギョウ。このレンギョウは蜘蛛の巣があって、その上に水玉がある。