光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

久しぶりに、雪道を歩くと

2008-12-07 18:33:11 | 散策
  雪道というと奥山、深山、山越えてという感じだが、山越えも、山の奥も関係ない、一応はアスファルト舗装されている道のことで、この上に雪は降り積もる。一部はいつものとおり、ビチョビチョで、まことに歩きにくい。これも、初めての雪道という感じだと、コロッと滑って照れ笑いですむが、どっこいそんなことは考えられない。どこに陥穽はあるか、これは知る人ぞ知るに近いものであって、いつも歩いていないと、その危険な箇所には気が付かない、最初からそうゆう話は望ましくはない。

  靴というと運動靴だが、これだけ雪が降ると仕方なく長靴で、しかも防寒仕様だから重い。重いのに加えて、足首以上の動きが固定される感じがある。長靴にもその人に適した大きさがあって、これの加減はむつかしい。ちょっと短いッじゃないの、それだとすぐに水が跳ね返ってくる。中まで水浸し。っというのもあれば、くるぶしより上が長すぎると、これまた動きづらい。さらに、靴下の厚さがあって、どの程度の大きさ、長さがいいかわからないもので、これこそ販売店で、何足も履いてはたしかめをやりたい。
  これは山歩きの、靴選びに似ている。登山靴もまた選ぶのには難儀するが、これは過去の問題で、省略。
  長靴選びにどうのこうのは出来ない時代で、今は足を靴に合わせる。靴下を色々持ってくる。ちょうどいいとなると、こんどは脱ぐのに大変であって、これを考えると登山靴より長靴選びは大変で、実際そのとおりである。苦労して履いている。

  足首辺りより上のあたりの可動性が、あるいは柔らかさと弾性がない靴の歩きにくいこと。それに雪があって、ズルズルといきそうだが、ここは歩幅を短くするしかない。これもなんだか山登りの歩き方の基本みたいだが、それよりもからだが脆弱になったというのが本当のところ。空気はまだ冷たい。  
  しばらく歩くと、少し胸が締め付けられるような感じもあるが、それも次第なくなってゆく。こんなことを書いていると重大な病気の前兆であるとか言われそうだが、人の命というものはわからないもので、あまり気にしない。気にするだけそんな場合もあるから、これも忘れて重い、それから動きの悪い靴を、凍った路面に置くようにしながら歩く。結構疲れるし、昔むかし登山靴を履いていたころの感触が思い出されるかというと、これは違った。登山靴は低山なら、それこそ、くるぶしまでは固定されるがそれ以上は問題はない。

  久しぶりに昔歩いていた、周回路を、半時計回りに歩いた。これが定番の歩く道。どうでもいいようで、その理由はあった。今年はキカラスウリは、予想どおりない。それから、いつもだともう少し賑やかな、鉢の花々も少ない。赤いというと、今ごろようやくナンテン(南天)が目立つ。このナンテンも当たり年とそうでないときがありそうだ。好きなものだから少し残念である。途中、酒屋さんによる。このためというよりは、途中で思い出したのである。靴を引きずって、酒屋さん。

  それから、少し慣れたような気もするが、やはり慣れない靴で歩くのは疲れる。子供さんが遊んでいる。一生懸命に雪かき。一所懸命より、一生懸命のほうがいいかな。そこをしばらくすると、
  これこそしばらくぶりに、いつも見かけていたワンちゃに会う。ひとり目は、なんだかうつろで、それもそのはずで外は晴れだが、暖かくはない。周りに、雪の溶けている水も流れているというか、それが少しずつ広がるようで、そのワンちゃんは、恨めしそうである。本来なら、いつもの暖かな箱の中で、ゴロリンしている。だが現実は、そろそろ自分のそばに雪解けの水が。

  もうひとりのワンちゃんは珍しく、これもきょうは快晴になったから、飼い主の方が、道に面しているところに、そのワンちゃんを移動させていた。日光浴の意味もあるのだろう。その道を歩くとすぐに対面する。こちらによって来そうで、しかし同じように、濡れたところがあると躊躇するようで、そこで止まっていた。もっとも、それは私が勝手に思いこんだものだ。

  こうして帰って来たが、なんだかからだが鉛のように重い。
  それで、これで、ただ歩くだけのことなら何とかなりそうな靴だが、雪を出すとなると、これは少し大変で、屈伸がもう少し楽に出来るものが欲しい。雪だと、靴の片側だけが減るという状態、O脚の宿命でもあるが、これもあまり関係がない。そうゆうことになって、それこそ穴が開くまではそれでやらざるを得ない。


  変わらず、雪の様子。




  もう少し後によって、雪の乗っかっている木々の全体の様子。
  といっても、これは木というのも眺める位置によってぽかんと穴が空いている、ということを狙っていた。




  先に、変則して、太陽光と雪のくっ付いている木々のシルエット。
  なんだかこうゆう時間帯のものが一番よかった。




  カエデの大木。10mくらいはあるのではないか。これだけ大きくなるのに、その時間というものを考えるが、やはり有界の時間である。




  枝の雪。この雪が多くなる。粘着性のある雪だともっと付くから、その重みで枝は折れる。折れて折れて、この木がある。

氷の花・華

2008-12-07 16:28:33 | 散策
  快晴のお天気になったけれど、ただまぶしいだけ。
  まー、雪とか雨よりはいいが、それより
  お日様が出ても、気温が上がらないようで、
  がんばって歩いても、汗もかかない。寒い、これだけ。

  どうだろうか、やっぱり今もまだ雪は溶けずに残っているから、
  最低でも10cmくらいは積もったのではないだろうか。
  その歩きにくいこと。減量にはいいかな、と思うが
  空気は冷たく、足は重い。

  雪の花が、氷の花になった。凍っていないようなものもあるが、
  一応は氷の花、あるいは華。




  もう晴れ間が出ているころ、だと思う。最初は雪を落とそうと思った。
  しかし自然に落ちるのは時間の問題で、そのままに。




  溶けて凍ってというもの。何かに似ている。動物の顔。




  雪も多いが、ところどころ光っている。それで、それは氷だと思う。




  こちらの方が、凍っている部分がはっきりしている。
  氷の花はきれいだが、朝の寒いときだからか、青味のかかった
  単調なものになってしまう。最後は、




  カエデの赤い葉に、助けてもらって、色を添える。
  それでもやはり薄い青い氷。これは氷の実かな。

氷点下ではないが、凍っている

2008-12-07 06:50:49 | 散策
  朝のお天気、晴れ間のある、曇り空。夜の積雪は、さほどなかったと思う。静かな夜で、しんしんと冷えた。寒いと思いつつ眠っている。アメダスの6時の気温、0.1℃、気圧は、1028.9hPa、積雪、6cm。室温、5℃。ほぼ冷蔵庫。寒い。

  あー雪よりも寒さが堪える。といってもどこにも行きようがなく、この寒さに耐えるしかない。堪えるというのは我慢するという意味があるようだ。

  眠りながら、寒いと思うのは最近のことだが、お腹が出ているからか、特に背中が寒い。大体右か左を向いて眠っている。すると背中に空間が出来るのも事実で、しかし背に脂質の層はないから、やっぱり背中は寒がり。
  寒いと眠れないというが、不思議とよく眠れた。あっさりと眠ってしまった。これまた不思議。さみー、っと思いながら、眠っていて、しかし起きることもある。このときに、まずはカーディガンを着て、さらに寒いから一枚薄いものを上に足し、それからある用を足して、さて窓から外を見て、積雪、雪の降り方を眺める。大したことはない。そう、これは普通。
  すると布団のなかは一段と寒い。それで、寝返りをうち、手であちこちをさすって少し暖かくなるとまた眠る。まーアホらしいというか、その程度のものだが。

  ついに、目覚ましのベルが鳴る。喉が少し妙だが、これも程度の問題だろう。それで、体を曲げて温度計を見る。5℃。東の方を見るが、こちらは晴れの領域がある。南はというと、凍って窓は開かない。無理はいけない。まー窓が開かないのも、普通。

  朝食のリンゴ。最近思うのは、リンゴの甘みというか、その他見た目、ブランド名に文句はないが、硬いのである。ふわふわだった、秋口のリンゴが懐かしい。

  新聞を引っぱり出す。配達の方にご苦労様。それで、ガラガラ、という感じで戸を開けて、外を見るが、まー積雪は多いところで10cmで、少ないと、2、3cm。これでは除雪車の、自分のこと、出番はない。もっとも、20cmあろうが、こんなに早くから雪かきなど出来るわけがない。まずは体調を整えてからでないと。

  寒いし、一応雪は降った。新聞の一面は、雪の中のノロノロ自動車。でもここは、豪雪地帯に近い。同じところに住んでいても、そうゆうところもある。意外と、そうゆうことは知らないもので、まーもっというと、高い高い山はとおの昔から、もう厳冬。

  寒い。