朝も暖かめ。だから、ちょっと違うかも知れないが、小春日和。穏やかで、暖かな南風が吹いた。これはいいが、汗をかくから、小春日和よりも暖かかったということにもなるかも知れない。
なるべくなら、遠くまで歩く。そうでなくてもここを歩いて、という散歩道を作って、作ったわけではないか、まずは歩くことが出来る、道というものが出来た。妙な書き方だがそうなる。そこの道は、まずまずで、車のことも交差点を渡るときのみ、いくら青でも車が来るときがあるからね、気を付ければよく、それ以外だとあまり安全の面では問題はなかった。まー暑くなると、これは自分のせいで熱中症などになるから、そこはまた結構苦労する。格好の問題で、スマートに行きたいが、出来ない。水を含ませた、タオルハンカチを持って、あるいは首に巻いて歩いた。それ以外に夏だと、もう水が垂れるくらいのものを用意して、そのハンカチを絞って、背中に水を流しこんだ。それなら、ペットボトルの一つも持ってと考えるが、そこがまたむつかしい。このことも、ずいぶんと書いた気がする。
ときどきに道を変える。なんだか井の中の蛙だが、それでも違うところというのはある。不思議なもので、河があれば、川だった、昔は多分大きな小川、それが用水路になるのに時間はかからなかった。川があると、川べりにどうしても花が出てきたりする。野菜も出て来る。さらに不思議なもので、その川沿いの道というと、お地蔵さんやら、その他読む事も出来ない石碑もあったるもする。そうゆうところに、鶏頭の花が咲いている。これも、もう何度か登場した。
雪が降る。しかし雪はもういい。そうゆうことを私も思うが、たまに降る雪は、学生の休みのときに、来たときはなかなかいいものだと思った。今考えると、しかしそれはずいぶんと小さいときのようで、その他は夏のようで、冬はやはりもうここには来ていない。夏だけで、冬はさすがに来なかった。
もっとも、帰省の先がここになると、冬だろうが夏だろうがもう行くところはなく、しかたなく帰って来て、雪の降る駅で、雪の溶ける水たまりの中に入りながら、それでもなんとも思わなかった。この辺りは怪しいが、多分なんとも。もっというと、歩道に高々と雪が積まれて歩けない。
しかし今は、このあいだ、間、間隔というのはまったくの不連続だが、今は雪が降ると、条件がよければ、寒いと思いつつ、持つものを持って、のこのこと出かける。遠いようで、近いところに田んぼはあって、さすがに冬の間、作物は雪の中か、なにもない。稲が実るときもあれば、麦もあって他には大豆。大豆で焼酎を作ったらどうなのだろうか。それより、この国産の大豆の納豆はうまいと思う。ただ、値段は高いだろう。
お酒はやめて、納豆のほうで考えると、大豆がうまいというと、無論納豆もうまい、と思う。他に黒豆やら、ソラマメやら、その他小豆に、インゲンマメに、と候補は少し出て来るが、黒豆の納豆はさぞかしうまいだろう。食べたことはないが。
雪も、そのうちに降るが、最近は、散歩道も少し変わって、雪山がよく見えるほうへとゆく。鶏頭の道でも同じようであるが、これは北か南かの違いによる。海まで行きたいが、これはちと話しが飛んでしまうので、止めて、
その雪山が見える散歩道というのも、これまた普通の道であるが、歩かれる人は、ポツポツだがおられる。一応歩道もある。それに比べると、最初の周回散歩道を歩く、という人に私はお目にかかっていない。これはもっともで、そうゆう人はまずはいない。いないと思う。確信している。でも、その可能性はある。周回しているので、会う可能性が少ないのである。
どうも、落ち着かなくなってきた。早い話しが、それらの散歩道のうち、今日は鶏頭の咲く道を歩いていたが、それは青空に柿の実が映えるかもと思ったからで、それを少し前に見ていた。それで、早足で行って来たのである。
きょうの画像は、なんだか変だとすぐにわかった。先に出た、月と金星と木星のものからだが、ホワイトバランスが蛍光灯になっていたのである。こんなこともあるのだね、だから妙な色をしているのである。まったく、
この枯れ木は、大きくてしかも枝が細かく分かれていて、いつ見てもこんなものがよく出来たなと感心する。葉が出ないのである。枯れ木だから、枝もだんだんと無くなるはずだが、しかし丸2年くらいはたつと思うが、枝の様子も変化はあまりない。おかしい、がしかし、面白い。
この柿の木は、一度はたしか出た。そのときは、まだ葉っぱがあったが、今はない。
拡大してみる。かなり熟している、と思う。この柿はどうなってしまうのか。取るのも面倒だといえばそうだが、渋柿で鳥も食べない?。
今だと、水が流れていないときもある用水。しかし、このところ雨が降って流れもあるようだ。この水の色が、ホワイトバランスのせいもあるのだろうがやけに美しい。こんなきれいな用水見たことない。
なるべくなら、遠くまで歩く。そうでなくてもここを歩いて、という散歩道を作って、作ったわけではないか、まずは歩くことが出来る、道というものが出来た。妙な書き方だがそうなる。そこの道は、まずまずで、車のことも交差点を渡るときのみ、いくら青でも車が来るときがあるからね、気を付ければよく、それ以外だとあまり安全の面では問題はなかった。まー暑くなると、これは自分のせいで熱中症などになるから、そこはまた結構苦労する。格好の問題で、スマートに行きたいが、出来ない。水を含ませた、タオルハンカチを持って、あるいは首に巻いて歩いた。それ以外に夏だと、もう水が垂れるくらいのものを用意して、そのハンカチを絞って、背中に水を流しこんだ。それなら、ペットボトルの一つも持ってと考えるが、そこがまたむつかしい。このことも、ずいぶんと書いた気がする。
ときどきに道を変える。なんだか井の中の蛙だが、それでも違うところというのはある。不思議なもので、河があれば、川だった、昔は多分大きな小川、それが用水路になるのに時間はかからなかった。川があると、川べりにどうしても花が出てきたりする。野菜も出て来る。さらに不思議なもので、その川沿いの道というと、お地蔵さんやら、その他読む事も出来ない石碑もあったるもする。そうゆうところに、鶏頭の花が咲いている。これも、もう何度か登場した。
雪が降る。しかし雪はもういい。そうゆうことを私も思うが、たまに降る雪は、学生の休みのときに、来たときはなかなかいいものだと思った。今考えると、しかしそれはずいぶんと小さいときのようで、その他は夏のようで、冬はやはりもうここには来ていない。夏だけで、冬はさすがに来なかった。
もっとも、帰省の先がここになると、冬だろうが夏だろうがもう行くところはなく、しかたなく帰って来て、雪の降る駅で、雪の溶ける水たまりの中に入りながら、それでもなんとも思わなかった。この辺りは怪しいが、多分なんとも。もっというと、歩道に高々と雪が積まれて歩けない。
しかし今は、このあいだ、間、間隔というのはまったくの不連続だが、今は雪が降ると、条件がよければ、寒いと思いつつ、持つものを持って、のこのこと出かける。遠いようで、近いところに田んぼはあって、さすがに冬の間、作物は雪の中か、なにもない。稲が実るときもあれば、麦もあって他には大豆。大豆で焼酎を作ったらどうなのだろうか。それより、この国産の大豆の納豆はうまいと思う。ただ、値段は高いだろう。
お酒はやめて、納豆のほうで考えると、大豆がうまいというと、無論納豆もうまい、と思う。他に黒豆やら、ソラマメやら、その他小豆に、インゲンマメに、と候補は少し出て来るが、黒豆の納豆はさぞかしうまいだろう。食べたことはないが。
雪も、そのうちに降るが、最近は、散歩道も少し変わって、雪山がよく見えるほうへとゆく。鶏頭の道でも同じようであるが、これは北か南かの違いによる。海まで行きたいが、これはちと話しが飛んでしまうので、止めて、
その雪山が見える散歩道というのも、これまた普通の道であるが、歩かれる人は、ポツポツだがおられる。一応歩道もある。それに比べると、最初の周回散歩道を歩く、という人に私はお目にかかっていない。これはもっともで、そうゆう人はまずはいない。いないと思う。確信している。でも、その可能性はある。周回しているので、会う可能性が少ないのである。
どうも、落ち着かなくなってきた。早い話しが、それらの散歩道のうち、今日は鶏頭の咲く道を歩いていたが、それは青空に柿の実が映えるかもと思ったからで、それを少し前に見ていた。それで、早足で行って来たのである。
きょうの画像は、なんだか変だとすぐにわかった。先に出た、月と金星と木星のものからだが、ホワイトバランスが蛍光灯になっていたのである。こんなこともあるのだね、だから妙な色をしているのである。まったく、
この枯れ木は、大きくてしかも枝が細かく分かれていて、いつ見てもこんなものがよく出来たなと感心する。葉が出ないのである。枯れ木だから、枝もだんだんと無くなるはずだが、しかし丸2年くらいはたつと思うが、枝の様子も変化はあまりない。おかしい、がしかし、面白い。
この柿の木は、一度はたしか出た。そのときは、まだ葉っぱがあったが、今はない。
拡大してみる。かなり熟している、と思う。この柿はどうなってしまうのか。取るのも面倒だといえばそうだが、渋柿で鳥も食べない?。
今だと、水が流れていないときもある用水。しかし、このところ雨が降って流れもあるようだ。この水の色が、ホワイトバランスのせいもあるのだろうがやけに美しい。こんなきれいな用水見たことない。