光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

手書きが苦痛になること

2007-10-11 07:19:55 | 散策
  朝の天気、晴れ。きれいな秋の雲がある。風は弱く、穏やか。室温18℃。
  天敵でもないが、PR誌の定期購読継続の封筒が来た。
  ただいま2誌を読んでいるが、あと、K社のもの、S社のもの、それと青春で始まるものも、購入したいとふと考えるが、なかなかそれを申し込む気にもなれない。もう一冊が限度な気もする。
  ただ、値段的にいうとこれらは、その性格上ほどほどの値段であって、その割りに読まねばいけないところがたくさんあって、もはやカタログと化した、それでも1000円はする雑誌1冊と比べると、再びグラグラと揺れる気になる。雑誌、止めちゃおうかな。
  その購読の手続きは、郵便振替が通常で、しかしこのちっぽけな用紙、数字を書き込む欄はさほど抵抗はないが、住所と名前のところがやけに小さく、書くのにいつも苦労する。住所と名前は大切である。お金の額のところは、小さくてもいいが、住所と名前のところは、もっと大きくスペースを取ってほしい。
  字がへたである。さらに、正確に書こうと思えば思うほど、間違えたりする。何十回となく書いている自分の名前を間違えたりする。うまく文字の線がつながらない。5と6が、1と7が、同じように見えて、その上をなぞると、余計ひどく、読みにくくなる。これは、何も郵便振替の用紙だけではなく、葉書きにしろ、何とかの申し込み用紙にしろ、そうゆう風になる運命にあるようだ。
  紙に、自分のために、文字を書いているが、これがまたひどい。先にひらがなを書いて、その後ろにこれはいけないと、漢字で書き直す。その漢字がまたひどい。いつの間に、へただった文字が判読不可能になってしまったのか。
  滅多にないが、なにかの時に、年に一回くらい、ある日のメモを探すことがある。これがまた、大変な作業だ。最近は、これは重要と言うところは、書きながら、赤のボールペンでアンダラインを入れている。もっとも、こうゆうのは再び読む返す必要がない、というものでもある。

  さて、郵便振替の用紙であるが、すでに、名前、住所、皆印刷されていた。あと、なん年購読するか、四角に印を入れて、金額を書くだけ。これじゃ、なんかただ”すかたん”になってゆくだけである。年賀状も書く日が近い。緊張して文字を書く訓練が必要だ。
  もっとも、この書き込みも、方式は違うが、誤字やら、文字の不統一やらが多すぎる。ぼんやり頭ではなかなかそれを発見できない。あー、また、ああーまた、という毎日で、ここは、知らん振りをしている。面の皮はますます厚くなる。

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