名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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長崎平和祈念式典で被爆者代表の平和への誓い

2014-08-10 20:51:34 | Weblog
2014.8.10(日)
 長崎は昨日8月9日、被爆から69年目の日を迎え、平和公園で原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を行った。長崎市長に続いて被爆者代表の城台美弥子さん(75)は「平和への誓い」を読み上げたが、その中で集団的自衛権の行使を容認した7月1日の閣議決定を「憲法を踏みにじる暴挙」と鋭く批判した。
 これは原稿にはなかったアドリブであったそうだが、城台さんは「憲法をないがしろにする政治家たちを見て、怒りがこみあげました」と言っている。
 城台さんはさらに続けて、「日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」と問いかけたが、これはそこにいる安倍首相に言っているように感じたのは筆者だけではないであろう。
 一方、田上富久長崎市長は集団的自衛権の行使容認について「不安と懸念の声に真摯に耳を傾ける」ことを政府に強く求めた。城台さんの主張に比べれば集団的自衛権容認反対ではなく、「懸念」という表現にとどまったのはいかにも弱いが、市長としては政府や自民党への気配りも必要であったのであろう。しかし、6日の広島市長の平和宣言には集団的自衛権の行使容認という言葉すらなかったことを思えば、田上市長の不戦への思いははるかに立派である。
 一方、安倍首相は6日の広島市の式典でおこなった挨拶が昨年のものとほとんど同じだったと指摘され「コピペ(文章の切り貼り)だ」と批判を受けたが、長崎の挨拶でもおよそ半分が昨年と同じだった。
 そして最後の言葉は、「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことをお誓いし、……」と全く形式的に終わっている。まさに被爆者を侮辱していると言っても過言ではあるまい。

【参考】被爆者代表「平和への誓い」全文 
~前の部分省略~
 今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。
 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。
 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。
 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。
 平成二十六年八月九日
 被爆者代表 城台美弥子