2009.7.19
去る7月7日から14日までの8日間の日程で、ベルリン、プラハ、チェスキークルムロフ、ザルツブルグ、ウイーン、ブタペストの諸都市を巡る所謂『中欧の旅』に出かけた。
メンバーは合唱の仲間8人にそのうちの夫人と友人各一人を加えた計10人である。既成の企画されたツアーではなく、筆者の知り合いで近畿日本ツーリストの関連会社に依頼して単独のツアーとした。
当初の目的は音楽の都での音楽会めぐりであったが、諸般の事情から出発が夏休みの7月に入ってしまったため、予約のできる音楽会はなく、結局はぶっつけ本番で行くこととなってしまった。
それにしてもかってはポーランドやユーゴースラビアなどとともに共産圏であったこれら中欧・東欧といわれる国々は、その歴史や文化、自然にあこがれて訪れる日本人は年々増加して、旅行者のツアー計画もめじろ押しの人気を誇るようになったと聞く。今回の10人のメンバーでは全てが初めてという者はいなく、どこかには来たことがあるという。筆者もまだ東西に分かれていた当時のベルリンとウイーンには訪れた経験がある。
さて、いちいちの旅行記はあえて書かないが、思いつくままにこの旅行の記憶となることを記す。
(1)今回の旅は、中部国際空港からフィンランド航空機でヘルシンキ経由ベル リンに入り、後は全て国から国へたった10人が大型バスに揺られての旅行
であった。 その走行距離は旅行社がくれた「旅のしおり」によれば、ベル リンからブタペストまでの都市間移動だけで1,310キロ、都市内の移動 も含めれば1,400キロに及ぶ超長距離ドライブの旅である。
(2)旅行中の音楽会めぐりは、
①プラハでは二組に分かれたが、一組は音楽会とは言いにくいが国立マリオネ ット劇場での人形劇による『魔笛』の上演、もう一組はスメタナ劇場での
ベルディの『レクイエム』公演を聴いた。筆者は人形劇のほうに参加した が、『魔笛』を人形で表現させる面白さは日本では見られない。
もう一方の『レクイエム』は地元のチェコチェンバーオーケストラと180 人からなるアメリカのコロラドシンフォニーコーラスによる競演で楽しめた という。
②ザルツブルグではホーエンザルツブルグ城の広間で行われたモーツアルトカ ンマーオーケストラによるいわば宮殿音楽を聴くことができた。
メンデルスゾーン、バッハ、モーツアルトの曲であったが、中でもモーツア ルトの日本ではアルプスホルンと呼ばれる巨大な楽器による協奏曲は珍し く、ここでしか聴けないものであった。
③ウイーンでは、国立オペラ座でのウイーンモーツアルトコンサートによる公 演で、モーツアルトの交響曲35番の第1楽章や有名な歌劇のアリアなど楽 しい音楽会であった。最後のアンコールで「美しく青きドナウ」と「ラデツ キー行進曲」ときてはまるでニューイヤーコンサートの雰囲気であった。
④最後のブタペストでは、聖ステファン大聖堂でのオルガン演奏があって、チ ケットが入手できたが、聴きに行ったのは元気な3人のみであった。筆者と しても大聖堂でのパイプオルガンの演奏は聴きたかったが、さすがに体力の 限界で諦めた。
(3)今回訪れたどの都市も世界遺産に登録されているところばかりであり、街の 景観は実に素晴らしい。一つひとつの建物が芸術作品であり、全体が調和し ていることもよい。緑も豊かで、公園、街路での木の豊かさは日本との大き な違いである。二つの世界大戦で、多くの都市が破壊されたが、戦後60有 余年を過ぎて見事に復活している。
チェコがナチスドイツに対して無抵抗であったことから、却って街の破壊が
ほとんどなかったそうであるが、教訓である。
(4)7日間の滞在を通じて、日本人のガイド4人、現地のガイド3人、運転手は 最後の空港までの運転手を除いて、ベルリンからブタペストまで一人のハン ガリー人が担ってくれた。日本人も現地のガイドも仕事としてきちんとした 対応であったと思う。いくつかトラブルがあったが、それぞれ対処してくれ た。
今回のように添乗員のいない旅行ではガイドからガイドへのつなぎがうまく いかないと困ってしまうが、その点のトラブルがなかったことはよかった。 あらかじめ旅行社にきつく指示しておいたことが効をそうしたと思う。
(5)特に印象に残った施設としては、『ウイーン美術史美術館』をあげたい。
(6)最後に14日中部国際空港に到着して、一人の団員の手荷物が紛失している というトラブルに遭遇した。。翌朝にはヘルシンキ空港に積み忘れてあった ことが判明したものの、旅の充実した気分を壊されたことは否めない。
以上、思いつくままに書いたが、早くも記憶が薄れた。また書く機会があるかもしれない。
去る7月7日から14日までの8日間の日程で、ベルリン、プラハ、チェスキークルムロフ、ザルツブルグ、ウイーン、ブタペストの諸都市を巡る所謂『中欧の旅』に出かけた。
メンバーは合唱の仲間8人にそのうちの夫人と友人各一人を加えた計10人である。既成の企画されたツアーではなく、筆者の知り合いで近畿日本ツーリストの関連会社に依頼して単独のツアーとした。
当初の目的は音楽の都での音楽会めぐりであったが、諸般の事情から出発が夏休みの7月に入ってしまったため、予約のできる音楽会はなく、結局はぶっつけ本番で行くこととなってしまった。
それにしてもかってはポーランドやユーゴースラビアなどとともに共産圏であったこれら中欧・東欧といわれる国々は、その歴史や文化、自然にあこがれて訪れる日本人は年々増加して、旅行者のツアー計画もめじろ押しの人気を誇るようになったと聞く。今回の10人のメンバーでは全てが初めてという者はいなく、どこかには来たことがあるという。筆者もまだ東西に分かれていた当時のベルリンとウイーンには訪れた経験がある。
さて、いちいちの旅行記はあえて書かないが、思いつくままにこの旅行の記憶となることを記す。
(1)今回の旅は、中部国際空港からフィンランド航空機でヘルシンキ経由ベル リンに入り、後は全て国から国へたった10人が大型バスに揺られての旅行
であった。 その走行距離は旅行社がくれた「旅のしおり」によれば、ベル リンからブタペストまでの都市間移動だけで1,310キロ、都市内の移動 も含めれば1,400キロに及ぶ超長距離ドライブの旅である。
(2)旅行中の音楽会めぐりは、
①プラハでは二組に分かれたが、一組は音楽会とは言いにくいが国立マリオネ ット劇場での人形劇による『魔笛』の上演、もう一組はスメタナ劇場での
ベルディの『レクイエム』公演を聴いた。筆者は人形劇のほうに参加した が、『魔笛』を人形で表現させる面白さは日本では見られない。
もう一方の『レクイエム』は地元のチェコチェンバーオーケストラと180 人からなるアメリカのコロラドシンフォニーコーラスによる競演で楽しめた という。
②ザルツブルグではホーエンザルツブルグ城の広間で行われたモーツアルトカ ンマーオーケストラによるいわば宮殿音楽を聴くことができた。
メンデルスゾーン、バッハ、モーツアルトの曲であったが、中でもモーツア ルトの日本ではアルプスホルンと呼ばれる巨大な楽器による協奏曲は珍し く、ここでしか聴けないものであった。
③ウイーンでは、国立オペラ座でのウイーンモーツアルトコンサートによる公 演で、モーツアルトの交響曲35番の第1楽章や有名な歌劇のアリアなど楽 しい音楽会であった。最後のアンコールで「美しく青きドナウ」と「ラデツ キー行進曲」ときてはまるでニューイヤーコンサートの雰囲気であった。
④最後のブタペストでは、聖ステファン大聖堂でのオルガン演奏があって、チ ケットが入手できたが、聴きに行ったのは元気な3人のみであった。筆者と しても大聖堂でのパイプオルガンの演奏は聴きたかったが、さすがに体力の 限界で諦めた。
(3)今回訪れたどの都市も世界遺産に登録されているところばかりであり、街の 景観は実に素晴らしい。一つひとつの建物が芸術作品であり、全体が調和し ていることもよい。緑も豊かで、公園、街路での木の豊かさは日本との大き な違いである。二つの世界大戦で、多くの都市が破壊されたが、戦後60有 余年を過ぎて見事に復活している。
チェコがナチスドイツに対して無抵抗であったことから、却って街の破壊が
ほとんどなかったそうであるが、教訓である。
(4)7日間の滞在を通じて、日本人のガイド4人、現地のガイド3人、運転手は 最後の空港までの運転手を除いて、ベルリンからブタペストまで一人のハン ガリー人が担ってくれた。日本人も現地のガイドも仕事としてきちんとした 対応であったと思う。いくつかトラブルがあったが、それぞれ対処してくれ た。
今回のように添乗員のいない旅行ではガイドからガイドへのつなぎがうまく いかないと困ってしまうが、その点のトラブルがなかったことはよかった。 あらかじめ旅行社にきつく指示しておいたことが効をそうしたと思う。
(5)特に印象に残った施設としては、『ウイーン美術史美術館』をあげたい。
(6)最後に14日中部国際空港に到着して、一人の団員の手荷物が紛失している というトラブルに遭遇した。。翌朝にはヘルシンキ空港に積み忘れてあった ことが判明したものの、旅の充実した気分を壊されたことは否めない。
以上、思いつくままに書いたが、早くも記憶が薄れた。また書く機会があるかもしれない。