田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

最終章 あたし青山の秋が好き、あなたは……9/麻屋与志夫

2011-08-22 00:59:37 | Weblog
9

 下宿に置き去りにした荷物を時子が送り返してくれだ。
 段ボールが普及していない時代だった。
 荷物は柳ごうりが一つだけだった。
 野田高悟の『シナリオ構造論』の間に――。
「早く戻ってきてください」という花言葉を表す花のペン画がそえられていた。
 花の名はわすれた。
 なんの花であったか思いだすこともできない。

「すぐに……妊娠したらどうしょうと……こわかったのよ……」
 時子が不意に言った。
 彼女の声は少女のようにひびいた。
 ながいこと堪えていた。
 その言葉を一気にはきだしたようだった。
 言葉そのものを恨んでいる。
 呪っている。わたしそうした印象をうけた。
 発言の内容にいささかおどろいた。
「いまは……どうなの……」
 わたしは意地悪く、あらあらしくきいた。
「月のものもあがっている。妊娠の恐怖のないセックスなんて興味がなくなっている」
 あいかわらず、少女のような甲高い声がひびいてくる。
 
 わたしたちの運命はある一瞬交差した。
 そして、ただそれだけのことだった。
 それは、これからもわたしたちが生きている間、かわらないだろう。
 二度と会う機会もないだろう。
 わたしたちは、鶴巻公園のみえる街角まできて別れた。
 水玉模様が、なぜか霞んでみえた。
 時子の影が小さくなり、街の雑踏のなかに消えた。
 
 鼓笛隊のメロディはあいかわらず『上を向いて歩こう』だった。
 正門通りにでる。
 いま別れたばかりの時子が走ってくる。
 だが、服装がちがっていた。
 濃紺のベルベットのスーツを着ていた。
 胸にピンクのコサージをさしている。
 おそかったじゃないの、となじるように、女はわたしをみあげる。
 
 わたしはなぜか……そう気づいた。
 
 これは時子だ。
 
 わたしは、時子と結婚していたのだ。
 わたしは遠くをみる目で、眼交の妻の美佐子をみていた。
 はるか時空を超えて、彼女の後ろでは青山の公孫樹が散っていた。
 
 どうして、気づかなかったのだろう。

 パレードが止まった。
 休憩らしい。
 憲一が金色にきらめくトランペットを高く上げてわたしたちのほうに走ってくる。


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