田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

カッターナイフの害意 イジメ教師は悪魔の顔/麻屋与志夫

2011-09-09 05:07:03 | Weblog


「ただいま」
翔太の声がみようにくぐもっていた。
美智子はあわてた。
食器洗いを中断した。
ふりかえった。
なにかで指をきった。
痛みはない。 
エプロンで手を拭くことも忘れた。
わが子の顔を見た。
真っ青だ。
興奮している。
美智子の濡れた手から滴が床にしたたっている。
血も。
それにも気づいていない。
痛みを感じていない。

翔太の顔をひとめ見た。
なにか不吉なことが起きている。

「どうしたの」
翔太が抱きついてきた。 
肩がわなわな震えている。

「どうしたの?」
翔太!!
声をかけた。
はっと息をのんだ。

翔太のランドセルがなにかおかしい。
パクパク上蓋が揺れている。
垂れ下がっていた。
翔太は泣きながら頭をよこにふっている。

ぼくじゃない。  
ぼくがやったんじゃない。
美智子は困惑しながらも翔太をぎゅっと抱きしめた。

誠がキッチンに入ってきた。
妻が翔太をしっかりと抱きしめている。
どうした。
誠は、かけよった。
美智子の手から血がしたたっている。
翔太のカバンの蓋がぶらんとたれている。

「どうした? なにがあったんだ」
「ぼくじゃない。ぼくはやらない」
翔太が両親の剣幕に泣き出した。

翔太のランドセルの蓋の部分が鋭利な刃物で断ち切られていた。
使用されたのはおそらく、カッターナイフだ。
ぐさっと突き立てかなりの力とスピードで切り裂いてある。
切断面はなめらかだった。
直線だ。
なんのためらいもなくスパット切りこんでいる。
迷いがない。
迷いがあれば、切り口にギザギサができる。
波打つ刃の跡になる。
ゆるやかな波線を描くはずだ。
刃の動きは一直線だ。
それに、かなり深く切り込んでいる。
深く裏側にまで達した切り口。
みているうちに誠は恐怖でふるえだしていた。
翔太にむけられた害意の凶暴さ。
からだのふるえは止まらなかった。
翔太に悪意をもっている生徒がいる。
翔太が狙われている。
翔太に害意をもつ生徒がいる。
恐怖が誠をおそった。
体がさらに震えた。
はげしい動揺の中で誠はくやしさに叫びだしていた。

「どうして、いつも、いつも。
わたしたち家族だけなのだ。
迫害をうけるのはどうして、わたしたちなのだ」                  
深く裏側までたっしていた切り口には、害意がみえていた。
そのあまりの深さに、害意をとおりこして殺意すら感じた。

ランドセルの蓋はわずかにその本体についていた。
翔太が喉音を滾らせて泣きじゃくるとぶらぶらゆれた。
ついに床に落ちてしまった。

翔太は学校からもどった。
カバンもおろさず母に抱きついた。
体をふるわせて泣き出した。
家に帰るまではと懸命に堪えていたのだ。
母の顔をみるとそれまで堰止めていたくやしさ。
悲しみが一気に流れだした。   
床におちた蓋とその切り口が蘇芳色の血を吹いた。
翔太が喉を耳のほうまで切り裂かれた。
チョークの使い滓。
黒板とチョークが接触して摩滅してできた粉。
絶えずくりかえして塗られたワックスとニス。
児童たちの体臭を吸収してマホガニーのような芳香をただよわせている広がり。
そうした、もろもろの教室を形成している物質と香りの底に翔太が倒れている。
夥しい血の海ができてそのなかに翔太が倒れている。
血は喉もとからまだ流れ、凝固していない。
誠はそのかたわらにたっている。 
なにも、してやれない。 
翔太がまばたきをしている。
生きている。
まだ生きているのに誠はなにもしてやれないでいる。
「痛いよ。痛いよ。パパ、助けて」
訴えかけている顔。
しだいに死相をおびる。
なにもしてやれない。
金縛りにあったように誠は動けない。
翔太の虹彩が光を失っていく。
なにもしてやれない。  
みるみる翔太に体は蛆虫がわく。
白骨化する。
くだけ、白い粉末となり消えてしまった。
切りきざまれ血をながして床にたおれている翔太が消えた。
出血多量でぐったりとしていた翔太が消えた。
血の海のなかに倒れて死んでいる翔太はもうどこにもいない。
イメージが薄らぐ。
消えた。
 
誠は現実にもどっている。
翔太を抱きしめていた。
親子三人。
キッチンで抱き合っていた。

どうしてこんなことが起こるのか。
起きたのか? 
誠は目の前にいる翔太をさらにきつく抱きしめる。
なんの前ぶれもなくおそってきた悪意。
誠は理不尽なものを感じた。
それをどうかわせばいいのかわからなかった。
よせばいいのに憤慨した妻が、担任の我田先生に電話で訴えた。
砂粒が耳につきささったような表情を妻がしている。  
「そんなことするわけないでしよう。
翔太がじぶんのランドセルの蓋を。
カッターナイフで切るなんてことするわけないでしよう。
だいいち、うちではカッターナイフなんて使わせていません。
持ってもいません」
妻の瞼が怒りを必死で堪えているのでぴくぴく痙攣している。
「ぜったいにそんなことするわけありません。
先生が、うちの翔太が……。
じぶんのランドセルをナイフで切り裂くところを本当に見たのですか。
目撃したのですか」
妻の手が握った受話器ごとふるえている。
「日ごろの行いから見て、見なくてもわかるってどうしいうことですか。
見てもいないのにそういうこといって、断定していいのですか。
そんなこと……するわけは、絶対にありません。
調べてみることもできないのですか。
クラスの子にきくのが、どうして子供たちの心を傷つけることになるのですか。
それではうちの翔太がうけた疑いは晴れないのですか」
妻が泣き声になっている。
「ぜったいにしていません。
翔太の自作自演だなんて、そんなひどいこと。
そんなバカなことを翔太がするわけがありません」
握り締めた手がひびわれるほど、力がはいっている。
受話器を持った手がふるえている。
もうよせ。
だめだ。
なにをいってもだめだ。
あきらめろ。
それは翔太くんが、じぶんでやったのでしょう。
という応えがもどってきたというのだ。
いまであったら――。
大人の知恵をはたらかせ――。
そんな抗議をしてもむだだと――。
妻をとどめただろう。
そのときそうはしなかった。

二人とも、神沼という閉鎖空間に住む恐さがわかっていなかった。
この街がじぶんたちにとっては、忌避すべき土地である。
ことを――。
まだ自覚していなかった。
年老いた病弱な母を放っておくわけにもいかず。
父の要請もありしぶしぶ帰省した街が。
生まれ育って、熟知しているはずだったこの神沼が――。
奇怪な様相を帯びている。

教師には、事態の重大さがてんで理解できていないのだ。
いや、神沼をおかしくしてしまったのは教師だ。
悪魔のような教師がおおすぎる。
いまでも体刑が多発している。
教師が生徒をなぐるのだ。
いくら抗議してもむだなのだ。
悪辣なみえみえの自己弁護。
現実を歪曲しての保身。
高等教育をうけ、喋ることで毎日生きている教師。
妻の脆弱でなよなよした性格では勝目はなかった。

そんなことをする生徒はいませんから。
それは翔太くんが自分でやったんでしょう。
調べてみます。
などという言葉はもどってこなかった。
とても常識で考えられない担任教師の対応だった。
ぼくのカバンを、ぼくは切っていない。
と翔太が泣く……。
ぼくはカッタナイフなんか持ってないもん。
喉元に高く低く悲しみの顫音をひびかせ泣きじゃくりながら……。
細々と間歇的に言葉を紡ぎはじめた……それからがたいへんだった。

教室の窓のカギがなくなった時もーー。
翔太がやったと皆が囃した。
事実を確認することもなく、先生に体刑をくわえられた。

「翔太。どうしてウソつくの。
嘘をつくのは悪いことなのよ。
白状しなさい。
あんたがやっていることは悪いことなのよ。
カギはかくすすし、ウソはつくし、どうしょうもない悪い子ね。
翔太がやったのでしょう。白状しなさい」
ビシっと頬を殴られた。
沈黙。                         
……だってやっていないもの。
……やったなんていえるわけないよ。
……パパにはぼくのくやしさわかんないよ。
……先生にイジメられるんだよ。
……友だちにイジメられたときに助けてくれるはずの先生が。
ぼくのことをイジメるんだよ。
逆らえないじゃないか。
どんなにくやしくったって、ケンカできないもん。
相手が先生じゃかなわないもん。
……逆らえないよ。
……くやしいよ。



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