本来なら、長く中断している渡部昇一氏の著書『日本史の真髄』へ戻るべきなのに、仮説シリーズから離れられないのには、二つの事実があります。一つは前回述べた「ウィキペディアの突然変異」で、今ひとつは、その時偶然目にした動画です。
9月24日に公開された【報道特集】(TBSNEWS DIG)の動画で、次のタイトルに惹かされました。
「日本はとんでもない間違いをした」岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三…3代続く関係性から見える旧統一教会が目指した “ 国家宗教 ” ( 306,032 回視聴 )
すでにこの動画を見られた方がいるのかもしれませんが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々のうち、見られていない方のため紹介いたします。重々しいアナウンサーの声で、動画が始まります。
「安倍元総理の国葬が3日後に迫るなか、旧統一教会はどう政界に入り込み、何を目指したのか。岸家・安倍家3代との関係性に焦点を当て、検証します。起点となったのは、81年前の開戦を宣言する詔書。ここに旧統一教会と自民党の深い関係の起点とされる人物の名がある。」
セピア色に変色した詔書が画面に映し出され、政府関係者の毛筆の署名がぼんやりと見えます。ぼんやりとと言うのは、画像の処理がそのようにされ、末尾の3人の署名しか読めなくなっているからです。
「賀屋興宣、岸信介、八田嘉明」3氏の署名だけが鮮明に読め、アナウンサーの説明が入ります。
「署名しているのは当時商工大臣で、敗戦後はA級戦犯として収監されていた岸信介。安倍元総理の祖父である。」
しかしこの映像はよく考えてみますと、統一教会とは何の関係もありません。岸氏が忌まわしい戦争に賛成した軍国主義者だったと、視聴者に印象づけるために使われているようです。
「 岸は復権を果たすと、1957( 昭和32 )年に内閣総理大臣に就任。一方、その翌年、教団は日本で布教を始める。6年後、宗教法人として認証されると、岸の自宅の隣に本部教会を移し、1968( 昭和43 )年には、反共産主義を掲げる政治組織「国際勝共連合」を設立。「国際勝共連合」は、その活動を後押しした岸と共鳴していった。」
ナレーションが「ウィキペディア」の説明と似ているので、目が離せなくなりました。画像が変わり、昭和55年に 勝共連合が発行する「思想新聞」のインタビューを受けた時の氏の映像になります。
「世界で君、30年憲法を一字も変えないのは日本だけですよ。それほど変えてならんほどいい憲法かというと、そうでもない。」
笑顔で語る岸氏の場面で、アナウンサーの声が入ります。
「一貫して主張するのは、自主憲法制定とスパイ防止法成立だ。自主憲法制定を訴える大会の「思想新聞」の記事には、必ず岸の存在がある。デモ行進に参加し、「憲法改正!」「マスコミの偏向を許すな!」と叫んでいたと書かれている。」
「岸は、たびたび教団を訪れ、信者に国際情勢などを話したとされ、教団の初代会長は、こう称えている。 「岸先生に懇意にしていただいたことが、勝共運動を飛躍させる大きなきっかけになったことは間違いありません」 岸が死去した際の「思想新聞」(1987年8月16日付)には、〈勝共運動に理解を示し、陰に陽に支援、助言を行ってきた〉とし、岸が文鮮明を〈最も尊敬する一人〉と呼んだと伝えた。」
部分的には違う表現がありますがトーンは、「ウィキペデイア」の説明に似ています。残る説明は、ウィキペディアより詳細なので、次回も紹介を続けます。