ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 26 ( 仁徳天皇の仁政 )

2022-12-24 19:56:04 | 徒然の記

   一闋 日出処 ( ひいずるところ )  「日本」という国名の起源   6行詩

   二闋 三韓来 ( さんかんきたる)  古代の大英雄、日本武尊   11行詩

                     神功皇后の「三韓征伐」

   三闋 炊煙起 ( すゐえんおこる  )  仁徳天皇の仁政       6行詩 

 最後の二行に関する、渡部氏の解説を紹介します。

  ・一方民衆の方では、みんな豊かになり家にも蓄えができ、落とし物を拾う人もいなくなった。

  ・自分たちがこんなに豊かになったのに、宮殿の修理もしないでいては天罰が当たると人々が申し出ても、天皇はお許しにならなかった。

  ・ようやく治世10年の10月に宮殿を造ることになったが、上から促されなくとも、老若を問わず民衆が自発的に材料を選ぶなどして、昼夜の別なく競走するように働いたと言う。これが、次の二行の詩の背景である。

  「八洲に縷縷たり 百萬の煙」

  「皇統をそうようして 長く天に接す」

 「この話はあまりにも美談的であるが、仁政を行われた天皇であることに間違いない。このような善政が続けば、この大八洲(おおやしま)の民は富み、炊煙が縷縷として立ち昇ったことであろう。」

 「ここで頼山陽が述べているのは、『日本書紀』の記述を詩によってまとめると共に、日本における皇室と国民のあり方を示す理念を語ることであった。」

 氏の解説が終わりますが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介したいのは、続く氏の次の意見です。

 「『日本書紀』の記述で、仁徳天皇の事績は主として国内のことに限られている。新羅が朝貢を怠ったので催促したと言うことが、二、三件記されているが、遠征もなければ、侵略もされなかった。このような天皇の事績について、外国の歴史書に記録が残っているわけがない。」

 「ところが戦後の日本の専門家たちは、外国の記録にあるものしか資料としてまともに考えなくなったので、仁徳天皇の名は年表にも入れらず、それを取り扱えば右翼的だと左翼に非難されている。」

 やはり氏の意見は、ここに集約されます。

 「交通も通信も極めて不自由な古代の歴史を、外国の歴史書によって再編成しようと言うことほど、おかしなことはない。」

 何と言う学者が、どんな歴史書を書いているのか、具体的に氏が述べていないので紹介できないのが残念です。歴史をきちんと整理せず、曖昧のままにしているから、GHQの押しつけ憲法で過去を否定されても、何も感じない人間が生まれてきます。著名な学者たちが、イデオロギーを優先し過去を改竄するから、おめでたい「お花畑の住民」が増えます。

 渡部氏が指摘している問題点は、現在の私たちに直結しており、過去の話で終わっていません。日本の戦争が自衛のためであったことを教えられていないため、歴史を知らない左翼活動家たちが、国を守るための自衛隊の整備に反対しています。敵対国の核爆弾で、一瞬のうちに国民もろとも破壊されると言うのに、反撃は憲法違反と寝言を言っています。

 12月17日の千葉日報の記事が、日本の無惨な実情を語っています。防衛費増と、安保三文書の閣議決定に関する、2ページ全面を占める反対記事です。

 「反撃力保有へ歴史的転換」「長射程ミサイル26年配備」

 「兵器で国民守れない」「戦争ヘの道たどるのでは」「慎重審議求める声も」「攻撃対象になる」

 中国、北朝鮮、ロシアの核ミサイルが、日本の都市と在日米軍基地に照準を合わせ、配備されていると言うのに、反日左翼と自民党内のリベラルと称する議員たちは、何を考えて反対しているのでしょう。

 歴史を大切にしない馬鹿者には、日本を大切にする心がありません。自分の国を愛することもできず、憎むべき自民党と共に国ごと消えて仕舞えば良いと、自暴自棄になっています。歴史教育を軽んじてきた戦後が、こうした一部の国民を育てたことを考えますと、渡部氏の意見を真面目に受け止めずにおれません。

 「仁徳天皇については、自国の歴史 (『日本書紀』の記述 ) では、20ページもの記録がある。」「固有名詞の地名・人名が沢山あり、兄を殺した話も、皇后が不従順だと言う話もある。左翼史家の言うような、皇室美化の歴史書だとはとても思われない内容である。」

 「重要なことは、仁徳天皇の行為が日本の統治理念として、その後も日本の歴史に定着したことである。」

 反日左翼学者たちは、どうやら朝鮮の『三国史記』を元に『記紀』の記述を否定しているようですが、ハッキリと説明していません。平成2年の出版ですから、当時は今以上に反日左翼勢力が幅を利かせていたため、具体的に語れなかったのかもしれません。頼山陽の詩と離れた解説になりますが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々には、紹介しようと思います。

 仁徳天皇について、次回も続けます。

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『日本史の真髄』 - 25 ( 民のかまど )

2022-12-24 17:13:35 | 徒然の記

 久しぶりに、書評に戻りました。青色表示の三闋(けつ)です。 

   一闋 日出処 ( ひいずるところ )  「日本」という国名の起源   6行詩

   二闋 三韓来 ( さんかんきたる)  古代の大英雄、日本武尊   11行詩

                     神功皇后の「三韓征伐」

   三闋 炊煙起 ( すゐえんおこる  )  仁徳天皇の仁政       6行詩 

 本の構成に従い、内容を紹介します。

 〈「書き下し文」(頼山陽) 〉

   煙未だ浮かばず 天皇愁う 

   煙已に起こる 天皇喜ぶ

   漏屋へい衣 赤子を富ましむ

   子富みて父貧しき この世の理なし

   八洲に縷縷たり 百萬の煙

   皇統をそうようして 長く天に接す

 〈 「大 意」(徳岡氏)  〉

   民のかまどの煙が立たず、天皇は心配した

   やがて煙が立つようになって、天皇は喜んだ

   雨の漏る家、破れた衣に堪えて国民を富ませた

   子が富んで 父が貧しいわけはないのだと

   国中に縷縷としてたちのぼる百万の炊煙が

   皇統をむらがりつつんで、長く天につらなっている

 〈「解 説」(渡部氏) 〉   

   ・仁徳天皇の四年の春二月、高殿に登って国を望見なさったが、炊事をする煙が見えなかった。

   ・これはきっと民が疲弊しているからであろう。これから3年間は年貢などを免除し、百姓(こくみん)の生活を楽にしてやろうと言われた。

   ・これが、「煙未だ浮かばず 天皇愁う」という一行の意味である。

   ・そのため天皇の着物や履き物が破れてきたが、そのままにした。食事も倹約し、垣根が壊れても修理させず、屋根が傷んでも葺き替えさせなかった。

   ・その後3年間気候も順調で、百姓は豊かになった。百姓の間にも、御世を讃える声が上がった。

   ・高殿に登ってみると、至る所から炊事の煙が上がっている。それで天皇は皇后岩の媛の命 (いわのひめのみこと) に、「自分はもう豊かになった。これで心配することはない。」と言われた。

   ・これが、「煙已に起こる 天皇喜ぶ」とい一行の意味である。

 『日本書紀』によると、皇后は頑固者で天皇の言うことをなかなか聞かない女性だったそうです。垣根が壊れても修理せず、破れた屋根で着物が濡れる有様なのに、どうして豊かになったと言われるのか。子が豊かになっていて、親が貧しいと言うことは理に合わない、皇后は意味が分からないと問い返されたと言います。次が天皇の言葉です。

   ・そもそも君主というものがあるのは、百姓のためである。昔の君主は百姓が一人でも飢えたり凍えたりすれば、自分の責任として反省したと言うではないか。百姓が貧しいと言うことは、自分が貧しいことである。百姓の富は、とりもなおさず自分の富である。

   ・これが、「漏屋へい衣 赤子を富ましむ」「子富みて 父貧しきこの世の理なし」という二行の背景である。

 皇后が頑固な女性だったと言うことを除けば、それ以外は有名な話ですから、知っている人も多いと思います。皇后が天皇の言葉を素直に聞かなかったと言う事実を教えられると、今も昔も夫婦は似ているのかと親近感が湧きます。頼山陽の詩が二行残っていますが、スペースの都合で次回にします。

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