ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 29 ( 蘇我氏対物部・中臣氏の争い )

2022-12-28 17:06:55 | 徒然の記

   四闋 四天王  ( してんわう )    用明天皇の「改宗」     5行詩

   五闋 大兄靴   ( おほえのくつ )   大化の改新                      7行詩

   六闋 復百済   (くだらをふくす)     白村江の戦い                  9行詩

   七闋 放乕南    (  とらをみなみにはなつ  ) 壬申の乱                7行詩

 今回は、シュナイダー教授と氏の会話を紹介します。

 〈 渡 部 〉

   ・日本の天皇は古代の神々の直系ということになっており、今でも神道の最高司祭のような方です。

 〈 教 授 〉

   ・それは、古代のゲルマン人の間でもそのようなものだった。仏教が来た時、天皇はどうしたのか。

 〈 渡 部 〉 

   ・日本では神道と仏教が共存しました。天皇が仏教の寺院を建てられたり、皇子や皇女が仏門に入ったり、天皇だった人が仏門に入る(法皇)になることもよくありました。

 〈 教 授 〉 

   ・天皇が神道の最高司祭であって、仏教徒でもあるようなことはいつ頃からなのか。

 〈 渡 部 〉

   ・六世紀末で、イギリスに聖アウグスティヌスが来た頃です。  

 会話の後自宅へ戻り、氏は教授の質問に正しく答えていなかった自分に気づきます。仏教渡来時の天皇について聞かれていたのに、そのことについて答えていなかったからです。

 「私自身最初に仏教に改宗した天皇について、聞いたことがなかった。日本史の本や年表を持ってきていたのに、どこにも〈天皇の改宗〉ということは書いてなかった。ヨーロッパならば、コンスタンティヌス大帝の改宗から始まって、王様や皇帝の改宗ということは重大事件である。」

 しかし日本では〈天皇の改宗〉について、歴史家の意識にほとんど上っていなかったのだということに気がつきます。帰国後に『日本書紀』を丁寧に読み、最初に仏教に改宗した天皇が用明天皇であることを知ります。

 「私の知る限り日本史の本では、古代の仏教については、欽明天皇の御世(538年)に仏教が渡来したとか、聖徳太子が仏教を興隆したとかいう話が中心で、どの天皇が最初に改宗したかという話は、無視されていたと言って良いと思う。」

 言われてみればその通りで、私も改宗した天皇について教わった覚えがありません。そもそも神道の最高位におられる天皇が、他の宗教へ変わられるなど考えたこともありませんでした。

 「頼山陽も、天皇改宗という問題意識は鋭くなかったようで、『日本学府(がふ)』においても、すぐに聖徳太子と四天王の仏像の功徳を扱う闋(けつ)となっている。しかし日本で仏教に改宗なさったのは、聖徳太子の御父の用明天皇である。」

 頼山陽の詩の背景にあるのが、4回の宗教戦争だったというのが氏の解釈です。用明天皇になられるまで、欽明天皇と敏達天皇がおられ、それぞれの御世に仏教に関し争いが起こっています。事件そのものは『日本書紀』に書かれているが、歴史家がこの争いを「宗教戦争」と見なかっただけであるというのが、氏の解釈です。

  1.  欽明天皇の御世・・蘇我氏対物部・中臣氏の争い

  2.  敏達天皇の御世・・蘇我氏対物部・中臣氏の争い

  3.  用明天皇の御世・・蘇我氏対物部・中臣氏の争い

  4.  推古天皇の御世 ・・蘇我氏対物部・中臣氏の争い ( 摂政・聖徳太子  )

 4回とも、蘇我氏対物部・中臣氏の争いとなっており、氏はこれを「六世紀における国際派と国粋派の戦い」とタイトルをつけています。どうしてそうなるのかは、蘇我、物部、中臣氏の系譜を読むと分かります。4回の宗教戦争の内容を知る前に、興味深い各氏の系譜を紹介します。今の日本は、保守対反日左翼勢力の対立・争いとなっていますが、当時は国際派と国粋派の争いだったということになります。

 古代から日本は、保守と外国に影響された勢力とが争ってきた事実を知ると、なんだそういうことだったのかと思えてきます。徳川300年間の鎖国時代が例外だった訳で、他の時代は国粋派が国際派と対立していました。これが普通の状態なら、今をめくじらを立て大騒ぎする必要もなさそうです。

 「外国の影響は受けても、日本の国そのものの本質は変わらないで続いている。考えている以上に日本は、柔軟性のある国ではないのか。」

 暮れも押し詰まった慌ただしい毎日ですが、大掃除や買い物の合間を縫い、余裕を持ってブログへ向かえる有り難さです。平常心を失わず、次回は氏が解説する蘇我、物部、中臣氏の系譜を紹介します。

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『日本史の真髄』 - 28 ( ドイツ留学での発見 )

2022-12-28 09:29:30 | 徒然の記

   四闋 四天王  ( してんわう )    用明天皇の「改宗」     5行詩

   五闋 大兄靴   ( おほえのくつ )   大化の改新                       7行詩

   六闋 復百済   (くだらをふくす)     白村江の戦い                  9行詩

   七闋 放乕南    (  とらをみなみにはなつ  ) 壬申の乱                7行詩

   八闋 和気清    ( わけのせい )    和気の清麿と道鏡       6行詩

 本の構成に従い、本日は四闋(けつ)の内容を紹介します。

 〈「書き下し文」( 頼山陽 ) 〉

   皇子は 頭 ( かしら  ) に四天王を戴き 

   大連の箭 (や ) は 傷つくるを得ず

   汝の家をすきて 我が家を建つ

   伽藍雲に連なりて 七宝輝く

   四天王の外 天王なし

 〈 「大 意」   ( 徳岡氏 )  〉

   聖徳太子は 頭に四天王を頂いて戦った

   大連 ( おおむらじ  )物部守屋の矢は、だから太子を傷つけることができなかった

   そなたの邸宅の後に 仏の寺を建てようぞ

   伽藍は高々と雲に届きそうに聳え 七宝の荘厳がてりかがやく

   四天王の外に 天王と呼ぶべきものはない

 頼山陽の「書き下し文」と徳岡氏の「大意」を読んでも、なんという感慨も湧きませんが、渡部氏の解説を読むと内容が生々としてきます。

 〈「解 説」    渡部氏 )     

  「日本には、ヨーロッパにおけるような宗教戦争がなかったと、よく言われる。たしかに中世や近世において、あるいは近代において宗派や宗教の間で、血を流すような戦争をやったことはないと言ってよかろう。」

 「しかし六世紀の後半には、仏教渡来に伴って、宗教戦争らしきものはあった。ただわれわれが教えられたきた日本史では、その頃のごたごたを〈宗教戦争〉というふうに把握していなかったので、何となく〈日本には宗教戦争なし〉という印象が残ったのだと思う。」

 氏は宗教戦争の本場とも言えるドイツに留学した時、「天皇の改宗」と「宗教戦争」について目を開かせられたと言います。

 「イギリスもドイツも、キリスト教が来るまではゲルマンの神々の地域であった。」

 ゼウスやアフロディテなどというギリシャ神話の神々を信じていたギリシャが、今ではギリシャ正教の国になっているのはなんとなく知っていましたが、イギリスやドイツが似たような道を辿っていたとは意外でした。ドイツの大学で氏の指導教官だったシュナイダー教授は、キリスト教渡来以前のゲルマン人の宗教や文化の権威だったそうです。

 ある時教授の自宅に招かれた時の会話が、氏の目を開かせたと言います。次回は氏が語るシュナイダー教授との会話を、省略せずに紹介します。ここで私が注目したのは、やはり「日本の特殊事情」でした。 

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