今日から東亜日報・韓国日報編で黄 民基氏訳の、『金○成』 ( 平成4年刊 講談社 ) を読みます。30年前の本です。翻訳者の黄 民基 ( ファン・ミンギ ) 氏の略歴が、巻末にあります。
「昭和23年、大阪生まれ。」「早稲田大学中退、ノンフィクションライター、翻訳者。」
在日韓国人の氏は他にも、『韓国を震撼させた11日間』、『韓国のニューリーダー』など5冊の翻訳書や共著を出版しています。『金○成』がどのような本であるかは、目次を見ると分かるので紹介します。
「初めに」 「金○成をどう見るか」 黄 民基
第一部 証言 「隠された真実」 北朝鮮人民軍作戦局長 兪 成哲
第二部 手記 「暴かれた歴史」 元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂 政
黄氏の説明を読むと、『金○成』は東亜日報と韓国日報が出版したのでなく、両社が持つ個別の資料を氏が編集して翻訳したことが分かりました。
通常の本では、「はじめに」は著者による本の解説や、執筆の経緯などが簡単に紹介されますが、この本は違います。32ページを使い、訳者の意見が詳しく書かれ、この部分だけでも独立した小冊子です。だから今回は「初めに」も書評に加え、紹介します。
「金○成は1948 ( 昭和23 ) 年9月、建国と同時に弱冠36才の若さで首相、1972 ( 昭和47 ) 年からは国家主席となり、以来44年もの長きにわたって政権を維持し、しかも個人的に崇められてきた。」
「長期執権を常とする社会主義国の中にあっても、最長寿の政権である。彼はおそらく最高権力の座に座り続けたまま、長寿を全うするだろう。」「このような例は、そうあるものではない。思いつく限りで言えば、ベトナムのホー・チ・ミン、中国の毛沢東、ユーゴスラビアのチトー、アルバニアのホッジャくらいだろう。」
金○成が亡くなったのは平成6年で、本の出版は平成4年ですから、この時氏はまだ存命だったことが分かります。
「ある意味では、それだけ人民の信望を集め、崇拝されるだけの人物だからだと主張することもできるし、少し見方を変えれば、それだけ苛烈な粛清と徹底した鎖国体制を敷いてきたからだと、指摘することもできるだろう。」
私なら遠慮なく、圧政を強いた独裁者だと言いますが、礼儀を弁えた氏はそんな不躾はしません。
「歴史家たちの多くは、金○成に対する明確な評価を保留している状態だ。それでも金○成は、少なくともホー・チ・ミン、毛沢東、チトー、ホッジャたちとは、似て非なる人物だという点では一致した認識を持っているようだ。」
「少なくとも彼らはいずれも、スターリンに対してフリーハンドを保持し、自力で民族解放闘争に勝ち抜いた英雄であったし、その限りでは自国の民衆に推戴された指導者だったが、金○成はそうでないと見ているのである。」
金○成は、今では民族解放闘争の偉大な指導者として語られ、優れた将軍だったと北朝鮮で崇拝されていますが、実際にはソ連で育成され、北朝鮮に送り込まれた革命家だったと聞いています。連戦連勝の将軍という話が作りごとに過ぎず、金○成が北朝鮮人民軍に姿を見せた時は、ソ連の軍服を着た大尉だったそうです。
この事実は北朝鮮で語られず、金○成の生誕から国の最高権威者となるまで、輝かしい伝記が書き上げられています。黄氏が、他国の指導者と違うと述べているのはこのことです。興味深いのは、次の文章でした。
「日本でも北朝鮮は隣国であるだけに、韓国に次いで金○成に対する関心は強いと言えるだろう。しかしその割には金○成の実像が、日本の中で不明瞭なまま認識されてきたとは言えないだろうか。」
不明瞭も何も、私を含め多くの日本人は、わざわざ北朝鮮関係の本を買ったり、図書館で借りたりしませんから、金○成を知るのは新聞やテレビの報道しかありません。マスコミが曖昧に報道すれば、私たちの印象もハッキリしないものとなります。
なぜそうなるのかについて、氏が分析しています。勉強になりましたので、次回はそれを紹介します。