「初めに」 「金◯成をどう見るか」 黄 民基 ( ファン・ミンギ )
第一部 証言 「隠された真実」 北朝鮮人民軍作戦局長 兪 成哲 ( ユ ソンチョル )
第二部 手記 「暴かれた歴史」 元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂 政 ( ヨ ジョン )
「初めに」・・黄 民基
「38度戦」「朝鮮人民共和国」「信託統治問題」について氏が説明しています。知っているようで、案外知らなかったことなので、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にも、紹介します。
〈 38度戦 〉
「1945 ( 昭和20 ) 年8月15日は、朝鮮半島の人々にとっては、祖国光復 ( 民族解放 ) の日だったが、この日に朝鮮民族の運命は、ソ連とアメリカの手に委ねられていた。」
「同年8月9日、ソ連は日本に宣戦を布告し、満州、北朝鮮地域に進出したが、その頃アメリカは沖縄に上陸し、日本本土の攻略を準備していた。米ソはヤルタ秘密会談で、朝鮮半島を共同管理することを約束していたが、アメリカ側からすれば、ソ連の動きはあまりにも予想を超えて早く、動きにブレーキをかける必要があった。」
この辺りの歴史は、日本ではほとんど教えませんので、子供たちは知らないのではないかと思います。私も知らなかったので、参考になりました。
「そこでアメリカは急遽、朝鮮半島に境界線を引き、ソ連の占領範囲を決めようとしたのである。」
「元々は日本軍の、18、19師団の管轄境界線だったものを、米ソが分割占領する境界線として設定したのが、38度線だった。」「要するに、朝鮮民族の全くあずかり知らぬところで、北緯38度線による分断が決められたのだ。」
「日本軍のせいで、朝鮮は二つの国に分断された。」
こう言って日本を責める朝鮮の人々がいます。何の話か分からなかったのですが、このことを言っていたのかもしれません。日本軍の18、19師団の管轄境界線だったものを、そのまま米ソが利用したのですから、日本軍も全く無縁ではありません。
しかし戦勝国だった米ソが勝手に決めたことなのに、どうして日本が原因と批判されるのでしょう。強い相手を責められないので、朝鮮政府は弱くなった日本を叩き、鬱憤を晴らしていたのでしょうか。
「この便宜的なラインが、朝鮮戦争の休戦ラインとなり、国土分断の象徴となった。江原道の山岳地帯からソウルの北方40キロの地点を通り、延白平野を横断して西海岸へ抜け、朝鮮半島を南北へ分断する250キロのラインである。」
東西ドイツを分断した「ベルリンの壁」は、155キロでしたから、さらに長いラインです。「38度線」の撤廃が朝鮮人の悲願となっていることは、多くの人間が知っています。せめて日本人は、これが「日本軍のせい」でないことを知っておきたいものです。反日左翼の活動家が言っていたら、間違いを正そうと思います。
説明している黄氏自身が、日本のせいにしていません。次回は、「朝鮮人民共和国」に関する氏の意見を紹介します。