ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『金◯成』 - 10 ( 38度線について )

2022-06-30 17:48:46 | 徒然の記

   「初めに」    「金◯成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

       第一部 証言   「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ ソンチョル  )

     第二部 手記   「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

  「38度戦」「朝鮮人民共和国」「信託統治問題」について氏が説明しています。知っているようで、案外知らなかったことなので、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にも、紹介します。

 〈 38度戦 〉

 「1945 ( 昭和20  ) 年8月15日は、朝鮮半島の人々にとっては、祖国光復 ( 民族解放  )  の日だったが、この日に朝鮮民族の運命は、ソ連とアメリカの手に委ねられていた。」

 「同年8月9日、ソ連は日本に宣戦を布告し、満州、北朝鮮地域に進出したが、その頃アメリカは沖縄に上陸し、日本本土の攻略を準備していた。米ソはヤルタ秘密会談で、朝鮮半島を共同管理することを約束していたが、アメリカ側からすれば、ソ連の動きはあまりにも予想を超えて早く、動きにブレーキをかける必要があった。」

 この辺りの歴史は、日本ではほとんど教えませんので、子供たちは知らないのではないかと思います。私も知らなかったので、参考になりました。

 「そこでアメリカは急遽、朝鮮半島に境界線を引き、ソ連の占領範囲を決めようとしたのである。」

 「元々は日本軍の、18、19師団の管轄境界線だったものを、米ソが分割占領する境界線として設定したのが、38度線だった。」「要するに、朝鮮民族の全くあずかり知らぬところで、北緯38度線による分断が決められたのだ。」

 「日本軍のせいで、朝鮮は二つの国に分断された。」

 こう言って日本を責める朝鮮の人々がいます。何の話か分からなかったのですが、このことを言っていたのかもしれません。日本軍の18、19師団の管轄境界線だったものを、そのまま米ソが利用したのですから、日本軍も全く無縁ではありません。

 しかし戦勝国だった米ソが勝手に決めたことなのに、どうして日本が原因と批判されるのでしょう。強い相手を責められないので、朝鮮政府は弱くなった日本を叩き、鬱憤を晴らしていたのでしょうか。

 「この便宜的なラインが、朝鮮戦争の休戦ラインとなり、国土分断の象徴となった。江原道の山岳地帯からソウルの北方40キロの地点を通り、延白平野を横断して西海岸へ抜け、朝鮮半島を南北へ分断する250キロのラインである。」

 東西ドイツを分断した「ベルリンの壁」は、155キロでしたから、さらに長いラインです。「38度線」の撤廃が朝鮮人の悲願となっていることは、多くの人間が知っています。せめて日本人は、これが「日本軍のせい」でないことを知っておきたいものです。反日左翼の活動家が言っていたら、間違いを正そうと思います。

 説明している黄氏自身が、日本のせいにしていません。次回は、「朝鮮人民共和国」に関する氏の意見を紹介します。

コメント
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