「初めに」 「金日成をどう見るか」 黄 民基 ( ファン・ミンギ )
第一部 証言 「隠された真実」 北朝鮮人民軍作戦局長 兪 成哲 ( ユ・ソンチョル )
第二部 手記 「暴かれた歴史」 元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂 政 ( ヨ・ジョン )
「初めに」・・黄 民基
極論に走る日本人に対し、氏は金日成の実像を語る一つの事例を紹介します。平成元年に東亜日報に掲載された、元朝鮮人民軍副参謀総長李相朝 ( リ・ヨンジョ ) 氏の証言です。彼は朝鮮戦争の停戦会談において、北側軍事調停委主席代表を務めた人物で、金日成の粛清の嵐が吹き荒れた時ソ連に亡命しました。
「1940 ( 昭和15 )年から1945 ( 昭和20 )年まで、金日成はソ連にいた。」「当時中国共産党指導部が私 ( 李 ) を満州へ送り、〈群衆を組織し、可能ならば軍隊を作って抗日闘争をせよ〉と、命令しました。私は満州に拠点を設けたのち、村民らの信用を得て、本格的抗日パルチザン活動を展開することができたのです。」
「しかしこの時、どの場所でも金日成の姿はありませんでした。私が金日成を批判するのは、まさにこのことです。当時の満州は、抗日パルチザン運動ができないほど厳しい状況でもなかった。」
「金日成がソ連のハバロフスクに逃亡したのは、全く彼が、革命家としての能力がなかったからだと私は思います。彼は戦略上後退したのではなく、逃走したのです。」
「従って金日成が朝鮮解放の英雄であり、百万の関東軍が彼を捕まえるために派遣されたという北朝鮮側の宣伝は、真っ赤な嘘です。」
平成元年はすでに、金日成の統治体制が確立していた時ですから、当時の日本人、ことに親北の彼らは、この証言を頭から信じなかったのだと思います。極論と極論の間に実像があると考える氏は、こうした日本人に我慢がならなかったのでしょう。次のように述べています。
「金日成の実像について、最も多く、最も正確に知りうる人々は、金日成と共に独立運動を闘い、共に朝鮮戦争に参加し、そして、金日成によって粛清された人々を置いて、他にいないだろう。」
「彼らの証言が現れたとき、それまで私たちが日本の中で伝え聞いていた〈金日成の実像〉が大きく色褪せてしまったのである。」
在日コリアンである氏は、日本の新聞を読みテレビの報道を見てもどかしさと腹立たしさを覚え、3年後の平成4年にこの本を出版したのかもしれません。日本人が金日成を褒めすぎても、否定しすぎても、どちらにも賛成できない氏の気持ちが分かる気がします。
日本の敗戦後に、ソ連とアメリカに分割されるまでは、朝鮮は大韓民国という一つの国でしたから、金日成は同じ民族のリーダーの一人です。個人的には批判や反論があるとしても、他国の人間に勝手な評価をされるのは許せないのではないでしょうか。
「東欧社会主義国とソ連が、よもやこれほどまでドラスティックな転換を迎えるとは、金日成も予想だにしなかっただろう。」
「歴史の奔流は、金日成に祖国を追われ、亡命したかっての同志たち、命からがら〈金日成の国〉を脱出した、かっての熱狂的な〈金日成崇拝者〉たちの口を開かせ始めたのである。」
「本書で語る兪 成哲 ( ユ・ソンチョル ) と呂 政 ( ヨ・ジョン ) が、まさにそれらの人々だ。金日成を間近で見続け、直接粛清された体験を持っている彼らの話は、おそらくその最たる証言となるだろう。」
「彼らの証言を聞き出すのに成功した、韓国日報と東亜日報の説明に耳を傾けてみよう。」
私はまだ、この本の中身を読んでいません。氏の「前書き」を読み、その報告を息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々にしているだけです。ここまで本の中身に踏み込んでいると、後で報告することがなくなり困るのでないかと、そんな気もしますが、氏の言葉には、私を惹きつけて離さないものがあります。おそらくそれは、「引き裂かれた祖国への愛」・・ではないのでしょうか。
自分の国を愛する人間の気持ちには、通じるものがあるのかもしれません。たとえ氏が、日本を嫌っている在日コリアンであるとしても。