ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『金○成』 - 4 ( 通じあう愛国心 ? )

2022-06-24 18:08:36 | 徒然の記

   「初めに」   「金日成をどう見るか」          黄 民基 ( ファン・ミンギ  ) 

      第一部 証言 「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲 ( ユ・ソンチョル  )

     第二部 手記  「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政 ( ヨ・ジョン  )

 「初めに」・・黄 民基

  極論に走る日本人に対し、氏は金日成の実像を語る一つの事例を紹介します。平成元年に東亜日報に掲載された、元朝鮮人民軍副参謀総長李相朝 ( リ・ヨンジョ ) 氏の証言です。彼は朝鮮戦争の停戦会談において、北側軍事調停委主席代表を務めた人物で、金日成の粛清の嵐が吹き荒れた時ソ連に亡命しました。

 「1940 ( 昭和15 )年から1945 ( 昭和20 )年まで、金日成はソ連にいた。」「当時中国共産党指導部が私 ( 李 ) を満州へ送り、〈群衆を組織し、可能ならば軍隊を作って抗日闘争をせよ〉と、命令しました。私は満州に拠点を設けたのち、村民らの信用を得て、本格的抗日パルチザン活動を展開することができたのです。」

 「しかしこの時、どの場所でも金日成の姿はありませんでした。私が金日成を批判するのは、まさにこのことです。当時の満州は、抗日パルチザン運動ができないほど厳しい状況でもなかった。」

 「金日成がソ連のハバロフスクに逃亡したのは、全く彼が、革命家としての能力がなかったからだと私は思います。彼は戦略上後退したのではなく、逃走したのです。」

 「従って金日成が朝鮮解放の英雄であり、百万の関東軍が彼を捕まえるために派遣されたという北朝鮮側の宣伝は、真っ赤な嘘です。」

 平成元年はすでに、金日成の統治体制が確立していた時ですから、当時の日本人、ことに親北の彼らは、この証言を頭から信じなかったのだと思います。極論と極論の間に実像があると考える氏は、こうした日本人に我慢がならなかったのでしょう。次のように述べています。

 「金日成の実像について、最も多く、最も正確に知りうる人々は、金日成と共に独立運動を闘い、共に朝鮮戦争に参加し、そして、金日成によって粛清された人々を置いて、他にいないだろう。」

 「彼らの証言が現れたとき、それまで私たちが日本の中で伝え聞いていた〈金日成の実像〉が大きく色褪せてしまったのである。」

 在日コリアンである氏は、日本の新聞を読みテレビの報道を見てもどかしさと腹立たしさを覚え、3年後の平成4年にこの本を出版したのかもしれません。日本人が金日成を褒めすぎても、否定しすぎても、どちらにも賛成できない氏の気持ちが分かる気がします。

 日本の敗戦後に、ソ連とアメリカに分割されるまでは、朝鮮は大韓民国という一つの国でしたから、金日成は同じ民族のリーダーの一人です。個人的には批判や反論があるとしても、他国の人間に勝手な評価をされるのは許せないのではないでしょうか。

 「東欧社会主義国とソ連が、よもやこれほどまでドラスティックな転換を迎えるとは、金日成も予想だにしなかっただろう。」

 「歴史の奔流は、金日成に祖国を追われ、亡命したかっての同志たち、命からがら〈金日成の国〉を脱出した、かっての熱狂的な〈金日成崇拝者〉たちの口を開かせ始めたのである。」

 「本書で語る兪 成哲 ( ユ・ソンチョル  ) と呂 政 ( ヨ・ジョン  ) が、まさにそれらの人々だ。金日成を間近で見続け、直接粛清された体験を持っている彼らの話は、おそらくその最たる証言となるだろう。

 「彼らの証言を聞き出すのに成功した、韓国日報と東亜日報の説明に耳を傾けてみよう。」

 私はまだ、この本の中身を読んでいません。氏の「前書き」を読み、その報告を息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々にしているだけです。ここまで本の中身に踏み込んでいると、後で報告することがなくなり困るのでないかと、そんな気もしますが、氏の言葉には、私を惹きつけて離さないものがあります。おそらくそれは、「引き裂かれた祖国への愛」・・ではないのでしょうか。

 自分の国を愛する人間の気持ちには、通じるものがあるのかもしれません。たとえ氏が、日本を嫌っている在日コリアンであるとしても。

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『金○成』 - 3 ( テレビ・新聞や学者の影響力 )

2022-06-24 14:22:12 | 徒然の記

   「初めに」 「金○成をどう見るか」          黄 民基

      第一部 証言 「隠された真実」    北朝鮮人民軍作戦局長     兪  成哲

     第二部 手記 「暴かれた歴史」  元北朝鮮人民軍師団政治委員 呂  政

  「初めに」・・黄 民基

 〈 日本の知識人が持つ、贖罪意識 〉に関する説明を紹介します。

  「金○成の実像を不明瞭にさせてきたもう一つの状況は、少なからずの日本の知識人の中に、植民地時代への贖罪感が作用してきたことだ。」

 「この贖罪感は民族的偏見を取り除こうとするあまり、金○成に対する否定的な事実に出会っても、それに目を向けまいとするほとんど条件反射的な心理と、無意識のうちに、北朝鮮側の資料を理解しようとする心理を、生み出させてきた。」

 この例として、昭和46年に作られた日本映画について説明しています。映画の中では、抗日パルチザン時代の金○成が語られていました。

 「日本が中国を侵略して行った時代の満州と、日本を舞台にしたこの映画は、いろんな意味で物議を醸したが、朝鮮人パルチザン役を準主演級で登場させ、わずかな語り口であったにせよ、金○成将軍を正当に取り扱ったということから、少なからずの人々が、このシーンだけは高く評価していた。」

 「北朝鮮当局のプロパガンダよりも、山本監督の用いた二言三言の台詞の方が、はるかに説得力を持っていたという話である。」

 「事実、北朝鮮当局の宣伝に懐疑的であった人の中からも、今の金○成は少しおかしいが、彼が日本軍と戦い独立に貢献したことはやはり事実であったし、偉大なことだったと、金○成を再評価する声が上がったくらいである。」

 昭和46年といえば日本が高度成長時代で、私は会社の若手社員の一人でした。週休二日制のない時で、月月火水木金金と皆んながむしゃらに働いていました。だから私は、この映画について何も知りません。氏の説明によりますと、次のような概要です。

  題名・・「戦争と人間」  映画会社・・日活   原作・・五味川純平  監督・・山本薩夫 

  中国共産党員役・・山本学  朝鮮人遊撃隊リーダー・・地井武男 

 映画の持つ力の大きさを教えられましたが、同時に私は、テレビ・新聞や学者の影響力の大きさも考えました。昭和30年代から40年代は、反日左翼の学者たちの意見がマスコミで大きく伝えられ、岩波書店などが反日左翼の本を洪水のように出版していました。

 金日成を称賛した末川博氏や、小田実氏がいましたし、北朝鮮の素晴らしい建国ぶりを伝える朝日新聞記者の特集記事もありました。かってシリーズで取り上げた、「変節した学者」たちの顔が浮かびます。こうした全体として考えますと、氏の分析は間違っていませんが、むしろ答えはこちらの方にある気がします。

  「極論から極論へ走る日本人の思考」

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