「日本国憲法は、自由で公正な社会を築き、支えていく上で重要な、国家と個人、あるいは個人相互の基本的な在り方を、国民自身が定めたものであります。」
日弁連の説明のように、国家と個人が対立するものとして答えていません。
「日本国憲法をはじめとする立憲主義憲法は、みんなで自由で公正な社会を築き、支えることを目指すものであるといってよいでしょう。」
国が国民に命令するのでなく、みんなで努力するものであると言い、「みんな」の中に、国民と政府、国民同士が含まれています。憲法が目指すのは、「自由で公正な社会」であるという説明です。
「〈自由で公正な社会〉とは、多様な生き方を求める人々が、お互いの生き方や考え方を尊重しながら、共に協力して生きていくことができる社会をいいます。」
中学生に教えるという前提ですから、丁寧な言葉で書かれています。
「そこでは、一人ひとりの人間が、自分の権利を主張することができるとともに、他人の権利も尊重しなければなりません。」「また、〈自由で公正な社会〉は、誰かに任せておけば自然にできあがるものではなく、一人ひとりが社会の運営に参加し、常に努力し続けることで実現・維持できるものです。」
保守も左翼も、自分たちの権利ばかりを主張するのでなく、互いの権利を尊重しなければならないと戒めています。条文には書かれていませんから、法務省の意見です。
「したがって、各人は、自由で公正な社会の担い手として、公共的なことがらに参加する責任感を身に付ける必要があります。」
権利には義務がともない、自由には責任が伴うという説明ですが、ここまで来ると憲法の定義の話を外れている気がします。興味深いのは、最後の文章でした。
「しかし、生徒の中には、憲法というものを、自分たちの生活には縁遠く、また、国家が自分たちを一方的に縛るものであると思っているものも多く、憲法に対する理解を深める必要があります。」
日弁連、共産党、立憲民主党の、憲法解釈への反論と否定です。
「このような生徒の憲法に対する意識をどのようにしたら変えることができるかが、授業のポイントです。」
詳しく書かれていますが、憲法の定義としては、結局最初の2行ということになります。あとは、法務省が考える「憲法解釈」です。憲法は、国と個人の基本的な在り方を決めた最高法規ですから、国も個人も守らなければなりません。「権力者を縛る法律」という偏った解釈は、どこからも生まれません。
法務省が、「日弁連」、「共産党」、「立憲民主党」の憲法解釈に反論を付け加える気持を理解しますが、これを読むと日本の特殊性が見えてきます。
参考までに、アメリカの「合衆国憲法」がどのようになっているかを紹介します。
「合衆国憲法」は、前文、本文、修正条項 の大きく3つの部分からなっています。アメリカの憲法改正は、元の規定を残したまま、修正内容を「修正条項」として、憲法の末尾に付け足していく方法がとられています。
修正のたびに第一次修正、第二次修正と順次番号が付されており、現在は第二十七次修正まで行っています。
「通常、立憲主義の国では、憲法を変えるには、普通の法律を変えるより厳しい手続が必要とされています。」
日弁連はこう説明をし、憲法改正の難しさを強調して、戦後77年間一度の修正にも応じませんが、アメリカはすでに27回も修正しています。嘘が簡単にバレるとは思わなかったのでしょうが、ネットの世界になったこれからはもうダメです。
「合衆国憲法」の前文を紹介すれば目的を達しますので、転記します。
「われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。」
国の基本を、次のように明確に定めています。
・完全な連邦の形成 ・正義の樹立 ・国内の平穏
・共同防衛体制 ・福祉の増進 ・自由の確保
各州の平穏を守るため、州警察制度と州兵制度があり、米国全体の防衛のためには米国陸海空軍が規定されています。「平和憲法」や「軍隊は不要」という規定はどこにもありません。
「法務省のホームページ」、「合衆国憲法前文」と長い紹介をしましたが、今回の結論は民主党の時に述べたものと同じ言葉になります。
「立憲民主党と共産党は、国民の支持を失う。」
自分の国を愛さず、歴史と文化を否定する党は、必ず国民に見放されるという事実は変わりませんので、これにも「国民の審判」と、名づけます。
次回は、最後の3件目の記事です。珍しく、明るい「ねこ庭」となる予定です。
〈 3. 3月29日 「植村秀樹・流通経済大教授」「日米一体化 抑止にならぬ」
「小谷哲男・明海大教授」 「切れ目埋め 危機に対処を」 〉