ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

国民の審判 - 3 ( 法務省のホームページと合衆国憲法 )

2022-04-11 17:29:07 | 徒然の記
 法務省のホームページに「法務省リツィート」があり、質問者の問いに答えています。「中学生に憲法を教える時、どのように教えたら良いか。」という質問に対する、法務省の回答です。

 「日本国憲法は、自由で公正な社会を築き、支えていく上で重要な、国家と個人、あるいは個人相互の基本的な在り方を、国民自身が定めたものであります。」

 日弁連の説明のように、国家と個人が対立するものとして答えていません。

 「日本国憲法をはじめとする立憲主義憲法は、みんなで自由で公正な社会を築き、支えることを目指すものであるといってよいでしょう。」

 国が国民に命令するのでなく、みんなで努力するものであると言い、「みんな」の中に、国民と政府、国民同士が含まれています。憲法が目指すのは、「自由で公正な社会」であるという説明です。

 「〈自由で公正な社会〉とは、多様な生き方を求める人々が、お互いの生き方や考え方を尊重しながら、共に協力して生きていくことができる社会をいいます。」

 中学生に教えるという前提ですから、丁寧な言葉で書かれています。

 「そこでは、一人ひとりの人間が、自分の権利を主張することができるとともに、他人の権利も尊重しなければなりません。」「また、〈自由で公正な社会〉は、誰かに任せておけば自然にできあがるものではなく、一人ひとりが社会の運営に参加し、常に努力し続けることで実現・維持できるものです。」

 保守も左翼も、自分たちの権利ばかりを主張するのでなく、互いの権利を尊重しなければならないと戒めています。条文には書かれていませんから、法務省の意見です。

 「したがって、各人は、自由で公正な社会の担い手として、公共的なことがらに参加する責任感を身に付ける必要があります。」

 権利には義務がともない、自由には責任が伴うという説明ですが、ここまで来ると憲法の定義の話を外れている気がします。興味深いのは、最後の文章でした。

 「しかし、生徒の中には、憲法というものを、自分たちの生活には縁遠く、また、国家が自分たちを一方的に縛るものであると思っているものも多く、憲法に対する理解を深める必要があります。」

 日弁連、共産党、立憲民主党の、憲法解釈への反論と否定です。

 「このような生徒の憲法に対する意識をどのようにしたら変えることができるかが、授業のポイントです。」

 詳しく書かれていますが、憲法の定義としては、結局最初の2行ということになります。あとは、法務省が考える「憲法解釈」です。憲法は、国と個人の基本的な在り方を決めた最高法規ですから、国も個人も守らなければなりません。「権力者を縛る法律」という偏った解釈は、どこからも生まれません。

 法務省が、「日弁連」、「共産党」、「立憲民主党」の憲法解釈に反論を付け加える気持を理解しますが、これを読むと日本の特殊性が見えてきます。

 参考までに、アメリカの「合衆国憲法」がどのようになっているかを紹介します。

「合衆国憲法」は、前文、本文、修正条項 の大きく3つの部分からなっています。アメリカの憲法改正は、元の規定を残したまま、修正内容を「修正条項」として、憲法の末尾に付け足していく方法がとられています。

 修正のたびに第一次修正、第二次修正と順次番号が付されており、現在は第二十七次修正まで行っています。

 「通常、立憲主義の国では、憲法を変えるには、普通の法律を変えるより厳しい手続が必要とされています。」

 日弁連はこう説明をし、憲法改正の難しさを強調して、戦後77年間一度の修正にも応じませんが、アメリカはすでに27回も修正しています。嘘が簡単にバレるとは思わなかったのでしょうが、ネットの世界になったこれからはもうダメです。

 「合衆国憲法」の前文を紹介すれば目的を達しますので、転記します。

 「われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。」

 国の基本を、次のように明確に定めています。

  ・完全な連邦の形成  ・正義の樹立   ・国内の平穏

  ・共同防衛体制    ・福祉の増進   ・自由の確保

  各州の平穏を守るため、州警察制度と州兵制度があり、米国全体の防衛のためには米国陸海空軍が規定されています。「平和憲法」や「軍隊は不要」という規定はどこにもありません。

 「法務省のホームページ」、「合衆国憲法前文」と長い紹介をしましたが、今回の結論は民主党の時に述べたものと同じ言葉になります。

 「立憲民主党と共産党は、国民の支持を失う。」

 自分の国を愛さず、歴史と文化を否定する党は、必ず国民に見放されるという事実は変わりませんので、これにも「国民の審判」と、名づけます。

 次回は、最後の3件目の記事です。珍しく、明るい「ねこ庭」となる予定です。

 〈 3.  3月29日 「植村秀樹・流通経済大教授」「日米一体化  抑止にならぬ」

         「小谷哲男・明海大教授」  「切れ目埋め  危機に対処を」 〉

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国民の審判 - 2 ( 立憲民主党、日弁連、共産党の憲法論 )

2022-04-10 13:54:23 | 徒然の記

 今回は、共同通信社の2件目の記事です。  

 〈 2.   3月29日 「立民〈憲法集会〉を初開催」 〉

 記事を読んで、何が書いてあるのかを理解できる読者は、ほとんどいないはずです。「ねこ庭」で憲法改正を何度も取り上げてきた私でも、何がどうなっているのか。記事からは、正確に読み取れません。

 自民党が提案する衆議院の「憲法審査会」に、野党は出席を拒否していますから、自民党は「九条」を引っ込め、別件を出し野党の歩み寄りを求めました。主眼は九条の改訂なのに、いつの間にか「緊急事態発生時の議員任期延長問題」や、「緊急事態を判断するのは、首相か内閣か国会か」と、別の問題にすり替わっています。

 仕事に忙しい多くの読者には、おそらく分からないだろうと思いつつ、3月29日の記事を紹介します。書き出しの文章です。

 「立憲民主党憲法調査会は28日、党が掲げる〈論憲〉に理解を求める対話集会を、オンラインで初めて開いた。」

 ここだけ読みますと、立憲民主党には「憲法調査会」が党内にあり、前向きに議論しているように見えます。コロナ下なので、オンラインを使ってまで集会をしていると誤解します。

 衆議院での改憲論議を「一切不要」と否定しているのは共産党ですが、後ろ向きなのが立憲民主党と公明党です。同党の奥野総一郎氏が、改憲について記者たちに質問され、渋々答えていました。

 「今は緊急時だから、国民の関心も高い。」「なかなか背は向けられない。」

 審議拒否を続けている訳にいかないという姿勢を、やっと示した程度です。次に続く記事が、相変わらず同党を誤解させます。

 「憲法は国家権力を縛るために制定されたとする、立憲主義に基づき、」「憲法を論議する〈論憲〉の姿勢を説明。」「自民党主導の改憲論議を、牽制する狙いがある。」

 立憲民主党の憲法解釈は、自由な討議を国会でしようとする自民党の提案を否定するものです。この解釈を前提にする限り、共産党と同じで「改正論議は一切不要」と拒絶することになります。だが共同通信社の小さな記事で、読者はそのようなところを読み取れません。

 「自民党主導の改憲論議を、牽制する狙いがある。」という 1 行で、同党のかたくなな姿勢を説明したつもりなのでしょうが、「女系天皇」の報道と同じ説明不足の記事です。共同通信社は、立憲民主党を支援しているつもりなのか、枝野幸男氏の意見を伝えています。

 「民主党政権で官房長官として、東日本大震災や東電の福島原発事故に対処した経験を振り返り、」「憲法の縛りによって、したいと思ったことで、できなかったことは一つたりともなかった、と強調。」「自民改憲案4項目の、緊急事態条項の新設は不要との認識を示した。」

 憲法の縛り以前に、原発事故の際、枝野氏は出すべき情報を公開せず、事故処理を遅らせ、被害を拡大させ、国民を混乱させた人物です。原発事故を前にして、「慌てないでください」「落ち着いてください」としか発表できかった無能な官房長官に、憲法を語る資格があるのでしょうか。

 避難する住民を収容する大型施設の即時解放や、住民救出のための自衛隊の緊急出動など、政府としてやるべき決断を何もしていないのですから、憲法の縛りに抵触するはずがありません。

 あの時国民がどんな思いで事故を見つめ、津波に飲まれる人々の映像に胸を潰していたか。知らない共同通信社でないはずなのに、国民が忘れているとでも思っているかのように、枝野氏を助ける記事を書きます。

 「自民党を念頭に、〈憲法は権力を縛るルールだ〉〈権力を持つ側が改憲を訴えるのは、好き勝手にさせろ〉と、言っているに過ぎないと批判した。」

 この叙述が、記事の最後に来ています。立憲民主党の議員は判で押したように、〈憲法は権力を縛るルールだ〉と言います。彼らは政府を権力としてだけ捉え、国民に対立する壁でもあるかのように語ります。巨大な権力を持つ政府が、弱い国民を勝手に支配しないように縛るのが、憲法であると考えています。

 息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に、興味深い事実を紹介します。

 〈 日本弁護士連合会  ( 日弁連   ) による「憲法」の説明 〉

 「憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)です。」

 「国民が制定した憲法によって、国家権力を制限し、人権保障をはかることを〈立憲主義〉といい、憲法について最も基本的で大切な考え方です。」

 「国民の権利・自由を守るため国に縛りをかけるという役割をもっている憲法が、簡単に変えられてその縛りが緩められてしまうようでは困りますから、通常、立憲主義の国では、憲法を変えるには、普通の法律を変えるより厳しい手続が必要とされています。」

 共産党が支配する日弁連は、国内最強の反日左翼団体の一つで、国連を舞台に中国、韓国政府と手を組み、日本攻撃活動をしています。「南京事件」「慰安婦問題」「徴用工題問題」「女性宮家問題」などを、国連人権委員会で提起し批判、攻撃しています。

 つまり立憲民主党は、日弁連と同じ憲法解釈をしている党です。ということは、共産党と同じ考えの党だということになります。偏ったブログにしないため、次回は法務省による「憲法」の説明を紹介します。

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国民の審判 ( ネットで発信される愛国情報 )

2022-04-09 13:44:37 | 徒然の記

  「ねこ庭」から世間へ発信することが、無意味な行為でないと教えられる記事を発見しました。本日は江畑氏の書評を離れ、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々にご報告します。

 千葉日報に配信された、共同通信社の記事3件です。2件は小さな記事なので、うっかりすると読み飛ばしますが、あとの一件は、ページの半分を使う大きな記事です。3件の記事に、「国民の審判」とタイトルをつけた理由を説明する前に、見出しを紹介します。

  1.   3月20日 「政権党要件維持へ」「福島氏〈正念場〉」「社民党大会」

  2.   3月29日 「立民〈憲法集会〉を初開催」

  3.   3月29日 「植村秀樹・流通経済大教授」「日米一体化  抑止にならぬ」

          「小谷哲男・明海大教授」  「切れ目埋め  危機に対処を」

 「ウクライナ危機」と「コロナ騒ぎ」を、忘れさせてくれる朗報でないかと思いますので、順番に説明します。

  〈 1.   3月20日 「政権党要件維持へ」「福島氏〈正念場〉」「社民党大会」〉

 3月19日に、社民党が都内で定期党大会を開き、ここで福島瑞穂党首が述べた言葉を紹介する記事です。氏は夏の参議院選挙について、次のように語っています。

  ・「なんとしても、政党要件の得票率2%をクリアーしなければならない。」

  ・「社民党にとって、本当に正念場の選挙だ。」

 続いて共同通信社が、読者への説明をします。

 「社民党は、今回の参院選で改選を迎える福島氏を含めて、4人が当選するか、」「2%の得票率を確保できなければ、公選法上の政党要件を失う。

 「福島氏は比例1議席に120万票が必要として、240万票以上を獲得し、」「2人以上の当選を果たそうと、訴えた。」

 今度の参院選で社民党が政党要件を失い、政界から消えるかどうかは、まだ不明ですが、ここに見えた事実が「国民の審判」です。

 いうまでもなく社民党は、昔の日本社会党で、名前を変えたのは村山富市首相が、内閣総辞職した時平成8年の1月でした。同月「社会民主党」( 社民党  )に名前を変え、3月に第一回党大会を開き、「日本社会党」( 社会党 )の名称が消滅しました。

 社会党は敗戦直後の昭和20年に作られた、日本を社会主義国にしようとする政党で、総評が支持基盤でした。昭和33年の総選挙では、166人の議員が当選し自民党の287名に迫ったことがありました。万年野党と言われながらも、野党第一党として自民党に対峙し、土井たかこ氏が委員長になった時は、マドンナ旋風が巻き起こり、女性議員が大量当選しました。

 社会党が議員数を伸ばし、土井氏は女性初の衆議院義議長となりましたが、党勢の頂点はこの辺りまででした。「戦争反対」と「憲法改正反対」をスローガンに、「安保反対」「自衛隊反対」「PKO反対」を主張し、外交的には「非武装中立」「全方位外交」を唱え続けました。

 党活動の基本にあるのは、「平和憲法への信仰」と東京裁判史観に基づく、「戦前の日本の歴史・文化の否定」でした。共産党にも負けない教条主義姿勢と、頑迷さが次第に国民の支持を失い、「なんでも反対の社会党」と言われるようになりました。決定的な打撃となったのは、村山氏が首相となった時の発言でした。

 「自衛隊の存在は、合憲である。」

 憲法改正反対を唱え、平和な日本に自衛隊は要らないと叫ぶ社会党が、党の方針を捨てたことになる発言でした。政治は理想論だけでやれないという、現実の問題で、当然の発言でしたが、党の凋落がここから現実のものとなりました。

 福島瑞穂氏は、かっての社会党を引き継いだ党首として孤軍奮闘し、政界で息巻いてきました。現在の社民党は日本社会党との連続性を標榜していますが、平成8年の成立時は、社会党との断絶を強調していた。そういう過去を知っているのか、知らないのか、テレビのインタビューで、氏は常に元気良く、攻撃的で、自信に満ちて党の方針を語っていました。

 その党が今回の参院選で、政党要件を失う事態になっているというのですから、大きなニュースです。共同通信社も特ダネとして扱わないほど、社民党は無視されていますが、原因は何かといえば、ただ一つです。

 「社民党は、国民の支持を失った。」

 奢れるものは久しからず、ただ春の夜の夢の如し・・平家物語を思い出します。自民党も金権不敗の政治で、利権にまみれていますが、救いは「反日左翼」でないところです。自分の国を愛さず、歴史と文化を否定する党は、必ず国民に見放されるという事実を発見し、これを「国民の審判」と、名づけました。

 次回は、次の記事の説明をします。

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 43 ( 不思議な国インドと日本の比較 )

2022-04-07 21:55:43 | 徒然の記

 200ページ、「南アジア諸国の民族紛争」に関する続きです。

 〈 パキスタン  〉

  ・カラチを中心にシンド州に住むシンド人と、北のパンジャブ州を中心に政治・軍事の実権を握るパンジャブ人との間に、根深い対立がある。

  ・シンド州では、インドから移り住んできたイスラム教徒のモハジール人が、政治勢力の拡大を目指し、シンド人やバタン人と対立している。

  ・バチスタン州にはアフガニスタン系のバルチ族も住み、分離独立運動を起こしている。

 シンド人、パンジャブ人、モハジール人、バタン人と、耳慣れない民族の名前が次々と出てきます。どういう民族なのか知らないため、読んでも頭に入りません。氏の説明を読みますと、民族が同じなら宗教が違っても同じ土地に住み、一緒になって独立運動をしています。

 対立は宗教の違いから生じると思っていましたが、異民族間にいさかいが生まれる方が先で、過激派活動になるようです。同じ国に住んでいても、民族が違うと、ほとんどが独立自治を目指しています。

 東南アジア諸国も南アジア諸国も、そもそもどうして異民族を包含したまま国を作ったのでしょう。力の強い民族が武力で支配し、有無を言わせず弱い民族を国民にしたとしても、長い間に融和しないのでしょうか。それとも険しい山岳地帯や、人の入らない密林の奥で暮らす少数民族が、知らぬ間にどこかの国に編入され、その強権に反抗しているのでしょうか。

  風俗習慣の違いや、言葉に強い方言があっても、日本に住んでいるのは日本人ですから、一つの国にまだら模様で異民族が点在している状況が、自分の経験にありません。在日朝鮮人の人々が60万人いて、いざこざが時に生じるとしても、彼らは過激派武装集団でありません。

 安い労働力を求める経済界のため、安倍総理が「移民法」を成立させ、アジア諸国から大量の移民を受け入れるようにしましたが、50年、100年経った時、国の安全を脅かす因にならないのかと、心配はやはりここにきます。他民族を排斥する心の狭い日本人と、冷笑されますが、子々孫々の不幸を考えますと、心の狭さとは違った問題であると思えてなりません。

 バングラデシュ、ネパール、ブータン、モルディブには、取り立てて言うほどの問題がないのか、氏の説明はここで終わっています。201ページ以後は、軍事面から見た南アジアです。

 「インド洋方面で、軍事的な脅威となりうる戦力を保持しているのは、」「インド、パキスタン、イランの3ヶ国だけである。」

 バングラディシュは人口が1億2千万人なので、日本とほとんど同じですが、世界の最貧国の一つであるため、国防予算も限られており、近代化も増強もできないと言います。

 「当面強力な軍隊を必要としない要因も幸いし、この国にとって最大の脅威は、」「今のところ自然災害である。」

  同国にはこれ以上深く言及していませんが、次の説明が心に残りました。

 「しかし注目すべきは、バングラディシュ軍の装備が、ほとんど中国製であることだろう。」「必要とあれば中国が、バングラディシュの基地を使用したり、」「補給支援を期待できることを意味する。」

 「ミャンマー、バングラディシュ、そしてイランと、」「中国は、これらの国との関係を親密化することによって、」「インド包囲網の完成と、通商路の安全確保を着々と進めている。」

 タイトルは「南アジア諸国の民族紛争」ですが、内容は隣接するパキスタン、イランによって引き起こされる紛争の影響にありました。

 南アジアでの唯一の大国はインドで、インドを脅かしている唯一の国が中国です。中国と軍事的に対抗するため、インドが頼ってきたのが旧ソ連でした。核開発について、米国とカナダが支援していますが、初期段階で協力したのはソ連でした。米英仏の兵器も購入していますが、陸軍と海軍の兵器はメインがソ連製です。

 今回のウクライナ侵攻について、ロシア非難の決議に加わりませんでしたが、インドは不思議な国で、米英とも対立せずソ連とも協調しています。日本も真似をすれば良いような気がしますが、それは無理です。

 インドは南アジアで唯一の超大国で、自国を守る軍を持ち、核兵器を所有しています。日本は東アジアの小国で、アメリカの従属国で、軍隊もなく核兵器も持っていません。国際社会での発言力は、インドに及ばないというのが現実です。

 米国とEUは、大国であるインドを自陣に引き入れたいと機を伺っていますが、日本にはその必要がなく、むしろ軍事的には役に立ちません。江畑氏は、ここまであからさまに説明していませんが、言外のメッセージとして受け取れます。

 次回は「超大国インド軍」と、「バキスタンの核開発」に関する氏の意見を紹介します。

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 42 ( 民族紛争が激化する南アジア )

2022-04-05 21:03:33 | 徒然の記

 南アジアに関する、江畑氏の意見を紹介します。197ページです。

 「1990 ( 平成2 ) 年代に、東南アジア諸国では国内の安定化が顕著になった。」「これと反対に国内不安、特に民族紛争が噴き出したのが、南アジア諸国である。」

 南アジア諸国とは、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、モルディブの7カ国で構成されています。

 「冷戦時代の超大国の確執が消滅し、この地域はその影響から抜け出したが、」「同時にそれまで潜在していた、民族、宗教問題が一気に噴出した。」「冷戦時代は超大国が自陣に引き入れるため、ある程度黙認してきたことも、」「世界政治の大きな問題として、指摘されるようになった。」「人権問題や、核兵器の開発などである。」

 冷戦後の南アジアの状況変化は、氏の説明でよく分かります。

  ・インド洋に、15~30隻の艦艇を常時展開させていたソ連海軍の姿はもうない。

  ・ペルシャ湾に1~2隻の戦闘艦と、補給艦一隻を置くだけとなった。

  ・米国もインド洋に、常時空母戦闘群を展開させる必要性も、経済力も無くなった。

  ・1993 ( 平成5 ) 年現在、イラク経済封鎖とソマリアでの平和維持活動のため、ペルシャ湾・ソマリア沖に、常時空母戦闘群を展開している。

  ・つまりペルシャ湾とソマリアの問題が解決したら、必要がない限り米国は、インド洋に常時空母戦闘群を展開することをしなくなるはずである。

 その代わり南アジアでは、米ソでなく、イランが脅威となっていると言います。日本ではほとんど報道されませんが、イランは軍事力を増強し、インド洋とペルシャ湾の覇権を狙っており、潜水艦や超音速爆撃機を持ち、長距離洋上攻撃能力を向上させ、世界の心配を呼んでいます。

 「そして現在インド、パキスタン、イランのいずれもが、」「核兵器を保有し、そこに大きな努力を払っているという不安定要因が、問題となっている。」

 本が出版されたのは平成6年 (1994) 年ですが、3国はこの時すでに核保有国になっていました。北朝鮮、パキスタン、イランの核開発については、アメリカが重大視し、阻止するため中ロを巻き込み騒ぎしましたが、インドの核開発は、いつの間にか既成事実が出来上がりました。

 北朝鮮は、昭和31 ( 1956 ) 年の朝鮮戦争終結と同時に核開発を開始し、昭和57 ( 1982 ) 年に核保有に成功したと言われています。核保有の事実を脅し文句に使い、アメリカだけでなく、ロシアや中国を手玉に取る手本を見せたのは、北朝鮮です。

 インド、パキスタン、イランは、北朝鮮のような独裁国家でありませんが、いざとなれば何をするか不明な国でもあります。プーチン氏の核の脅しに対し、米英仏が手出しをしない例を作りましたので、今後ますます地域安定の予測が難しくなりました。

 核問題について深入りするのを止め、氏の説明する当時の各国の民族紛争を紹介します。

 〈 スリランカ  〉

  ・1983 ( 昭和58 ) 年から、タミル人過激派の独立武装闘争が激化した。

  ・人口の74%を占める仏教徒シンハリ人の支配に対し、ヒンズー教とイスラム教を信じるタミル人が分離独立を求めた。

  ・その中心が、「タミル・タイガー」と呼ばれる武装集団である。

  ・1993 ( 平成5 ) 年、プレマサダ大統領以下24名を、自爆テロにより殺害した。

  ・同年、野党の民主統一国民戦線議長アトラトムダリ氏が暗殺された。

  (・1991 ( 平成3 ) 年のインド首相ガンジー氏の暗殺も、タミル人過激派制圧に協力した報復として、「タミル・タイガー」が行ったと言われている。)

 〈 インド  〉

          東部のジャルカンド建設運動、北東部のパンジャブ紛争、西部のカシミール帰属問題、そして国内には、ヒンズー教徒とイスラム教との対立問題を抱えている。

    1.  東部のジャルカンド建設運動

   ・ジャルカンド建設運動とは、森林資源や地下資源に富む高原地帯の少数民族が、居住地を自治州として認めるよう要求しているもの。

   ・少数民族の武力攻撃は警察力で対応できているが、他の国内紛争と連動し、インド政府の弱体化を図る恐れがある。

    2. 北東部のパンジャブ紛争

   ・シーク教徒が独立を要求しているものだが、州政府の強行制圧で今は沈静化している。

    3. 西部のカシミール帰属問題

   ・1947 ( 昭和22 ) 年のインド独立と、パキスタンの建国時以来、カシミールの帰属問題が決まっていない。

   ・第一次、第二次、第三次とカシミールの帰属をめぐり、両国が戦争しているがいまだに決着していない。

   ・インド内のイスラム教徒による、パキスタン編入運動が起こり、両国軍が衝突している。( インド政府は、パキスタンの過激派支援を非難している。 )

 昔はセイロンという名前だったスリランカは、日本では紅茶の国として有名です。インドは、無抵抗主義のガンジーと、平和主義のネール首相が日本人に親しまれ、上野動物園に贈られた象のはな子など、穏やかな国という印象を持たれています。

 江畑氏の説明を読みますと、「いずこも同じ秋の空」で、世界中安穏な国のないことが分かります。ロシアがウクライナを侵攻している今は、なおさらその感があります。明るい気持ちになれませんが、氏の書評を続ける意義は変わりません。

 スリランカ、インド、が終わりましたので、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、ブータン、モルディブと、次回も氏の本を読みます。

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 41 ( 国難を弄ぶ、共同通信社 )

2022-04-05 20:55:41 | 徒然の記

 ロシアのウクライナ侵略、中国による南沙諸島完全軍事化と、二つの社会主義独裁国家が世界を掻き回しています。今朝のニュースでは、北朝鮮のキム・ヨジョン氏が、韓国が北朝鮮を攻撃すれば、核で反撃すると述べたとのことです。

 核保有国を甘く見ると、想像を絶する大惨事になると脅しています。プーチン氏が、核攻撃を口にして以来、アメリカもEUもロシアに手出しができなくなった事実を見て、ヨジョン氏までが悪ノリしています。

 核の脅しがあれば、他国は何も手出しができなくなるのか、これが大きな課題として浮かび上がってきました。

 それでも私は、予定通り江畑氏の書評を続けます。

 今回は197ページ、「インド洋の軍事環境」です。28年前の著書で語られている状況は、様変わりしていますが、「バランス・オブ・パワー」の基本は同じです。各国が国益という名のエゴをむき出しに、せめぎ合う姿は今も変わりません。亡くなった氏が、私たち日本人へ遺した貴重なメッセージを読み取ることが、解決の鍵になります。

 奇しくも氏のテーマは集団安全保障で、ASEANが単なる東南アジアだけの機構でなく、アジアから太平洋へと広がる様子を語っています。プーチン氏だけでなく、習近平、キム・ヨジョン氏らを見れば分かる通り、核の脅しをするのは決まって共産主義国の独裁者たちです。

 米、英、仏は、核保有国ですが、国連での〈核5大国の約束〉、「決して核は使わない」を律儀に守っています。核を使えば核で反撃されるという恐怖心を、米、英、仏の指導者たちが共有しています。ひとたび核を使えば、人類破滅の核戦争になると、これが〈核5大国の約束〉と常識です。

 プーチン氏が〈核5大国の約束〉を反故にし、常識と理性を捨て、「核攻撃を示唆」すると、他の独裁者が真似をします。習近平氏は、台湾と尖閣を攻撃しても、米英仏は動けないと見ました。意思表示をヨジョン氏に先を越されましたが、ウクライナの次は、台湾です。

 北朝鮮が暴走しても、習近平氏が暴走しても、犠牲になるのは日本です。だから江畑氏の著作のメッセージが、重要性を持ちます。

 「集団安全保障体制」を作ること・・・これが答えです。「座して死を待つくらいなら、家族と国のために命を捨てる。」・・ウクライナの兵士たちの合言葉だそうですが、国難を目の前にすれば、自然と人間はそうなります。これも世界の常識です。

 3月22日の千葉日報に配信された、共同通信社の記事は、世界の常識から外れていました。あいも変わらぬ反日左翼記事で、日本の進路を狂わせます。だから、江畑氏の書評を続けようと決めました。新聞記事は後ほど紹介するとして、私が読み取った氏のメッセージを紹介しておきます。

  ・暴走する国が核で脅してきたら、集団安全保障体制で対抗するしかない。

  ・たとえ核がない国の集まりだとしても、先制攻撃する軍事力があれば、抑止力になる。

  ・日本も安全保障体制に参加し、リーダーシップを取るべきである。

  ・そのためには、他国と同様の軍事力がいる。(  憲法改正は当然の話 )

 今のところ、謙虚な氏は、自分の思いをそのまま述べていませんが、著書を真面目に読めば、一貫した流れが根底にあります。最後まで読めばわかることですから、書評はここでやめ、3月22日の共同通信社の記事を紹介します。紙面の半ページを使った大きな記事です。安倍元総理と岸田総理への、批判、攻撃、冷笑記事で、国際危機を感知しない、三流通信社の報道です。

 「自民また 国難強調」「17年衆院選の再現狙いか」「ウクライナ横目に参院選へ」

 これが記事の見出しです。共同通信社がどのレベルの会社か、読めばすぐに分かります。同じ記事が、北海道から沖縄まで、全国の地方紙に配信されているのですが、日本国民にとって必要な会社なのか、つい考えたくなります。記事の書き出し部分を、そのまま紹介します。

 「夏の参院選をにらむ自民党が、ウクライナ危機の影響で〈国難〉に直面した日本を救えるのは、」「自民・公明の連立与党だけだと、訴え始めた。」「〈国難〉を強調すれば安定を求めて、与党支持が増えるとの読みが透ける。」

 「念頭には、2017年の衆院選があると見られる。」「当時の安倍晋三首相は、北朝鮮の核・ミサイルに立ち向かうとして、」「〈国難突破〉を叫び、与党を勝利に導いた。」「自民総裁の岸田文雄首相は〈二匹目のどじょう〉を狙う構えだが、」「成果は見通せない。」

 日本だけでなく、世界でも有名な巨大通信社ですが、彼らには世界の危機と国難が、参院選の小道具にしか見えていないようです。安倍元総理と岸田氏について、是々非々の態度、というより、むしろ批判的な私ですが、それでも共同通信社のように卑小な見方はしません。

 国難は事実で、日本の危機は目の前にあります、日本の舵取りをする首相が、選挙の道具に使っていると、そこまで政治家をみくびっていいものかと考えます。政権を批判すれば、読者が喜ぶ時代は終わったのです。真面目な記事を書かなければ、国民の怒りが共同通信社へ向かいます。地方紙の不買が始まり、定期購読者が減少すれば、朝日新聞の二の舞です。国難が社難に連動していると、早く気づく賢さも無さそうです。

  今回は197ページ、「インド洋の軍事環境」です。

 とうとう1行だけで、江畑氏の書評が終わりましたが、次回から始めます。〈国難〉を考えておられる方々は、「ねこ庭」へ足をお運びください。お待ちしています。

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 40 ( 「孤立した文明国」ではない日本」 )

2022-04-03 15:14:02 | 徒然の記

 日本が「孤立した文明国」でない根拠を述べる前に、ASEANに関する江畑氏の意見を紹介しておく必要があります。

 「1993 ( 平成 5 ) 年7月の、シンガポールにおけるASEAN拡大外相会議では、」「ゲストとして参加したロシアや中国も含め、アジア太平洋地域の安全保障のため、」「本格的な枠組みづくりに着手することが、決められた。」

 こうしてアセアンは、東南アジア唯一の、地域全体の連帯機構への道を歩き始めました。同時に、太平洋全域にまで連帯を拡大する機構となる可能性を、見せ始めました。

 「しかし現在のアセアン諸国が、米軍の誘致に積極的なのは、」「アジア太平洋インド地域の巨大勢力、なかんずく中国の進出に対抗する目的が大きく、」「果たして中国を含めた連帯機構となりうるのかについては、なお大きな疑問が残る。」

 アセアンは中国、ロシアだけでなく、米国や日本をゲストとしてメンバーに加えていますが、順調な船出は先の話になりそうです。氏の意見も、楽観的ではありません。

 「各国の地域的特性、宗教の違い、経済力の差、領土領海問題などを考慮すると、」「ASEANを、集団安全保障機構と発展させることは、相当の困難を伴うかもしれない。」

 「だがそれでも、現在のところ、この地域においては、」「紛争の予防と解決を図り、地域の安全保障を高めるための、」「唯一の既存組織なのである。」

 必ずそうなると言わず、希望的予測が、ASEANに関する氏の結論です。これからの日本が国際社会で生き抜くためには、「孤立した文明国」のままではダメで、沢山の仲間が必要です。アメリカや中国、ロシアなどの大国ばかりに目を向けず、ASEANとともに進むという選択もあるのだと思います。

 現在の日本はまだ、明治維新以来の「脱亜入欧」の進路を変えていません。「追いつけ追い越せ」の時代は終わっているのですから、アジアに位置する国として、軸足をアジアに乗せる時がきているのではないでしょうか。

 日本が「孤立した文明国」でない根拠を説明すると言いましたが、ここからはそのことを述べます。

 平成6年、当時の村山首相が、土井たか子衆議院議長と共にマレーシアを訪問し、この時マハティール首相が、二人に語った言葉を紹介します。
 
 「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。」
 
 「日本は、これからのアジアの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たしてほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なことだ。」
 
 社会党の党首でもあった村山富一首相と、土井たか子衆議院議長は、帰国してもマハティール氏の言葉を国民に伝えず、マスコミも得意の「報道しない自由」で、ほとんど記事にしませんでした。
 
 左翼政党のトップだった村山氏と土井氏が、マハティール氏の言葉を伝えなかったのは、当然と言えば当然です。認めることのできない意見ばかりだったからです。息子たちのため、私なりの説明をしてみます。
 
 「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」
  いい加減に、東京裁判史観から卒業してはいかがですか。地域のために、平和維持軍も出せないようでは、一人前の国ではありません。
 
 「過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。」
  日本は力のある国なのだから、アジアの国々のため、もっとリーダーシップを発揮してほしい。ASEANにも、積極的に協力してもらいたい。
 
 マハティール氏の意見を実行するには、「日本国憲法」の改正がなくてはできません。東京裁判史観と日本国憲法は、戦後の日本を動けなくしている土台ですから、村山氏と土井氏は国民に伝えるどころでなく、自分たちの耳を塞ぎたかったのではないでしょうか
 
 日本は「孤立した文明国」でなく、アジアの国々の指導者たちは日本の協力とリーダーシップを求めています。肝心の自民党の議員たちが、東京裁判史観と日本国憲法に縛られ、聞く耳を持たない現実があります。
 
 反日左翼の人々は、自分に都合の良い意見を紹介すると反発するかもしれませんが、もう一つ紹介します。「ねこ庭」で紹介していますので、覚えている方もいると思います。
 
 〈 ククリット・プラモート氏の意見 (昭和50年 タイ首相) 〉
 
  「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおかげであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあったためである。」
 
 「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭して、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはならない。」
 
 ここまでくればもう一つ、マレーシアのラジャ・ダト・ノンチック氏の詩を紹介しなくてなりません。氏は戦時中に日本が受け入れた、東南アジア留学生の一人で、戦後マレーシアの上院議員になっています。アセアンの設立に尽力した、リーダーの一人です。
 
 氏は現在の日本人に手厳しく、戦前の日本人の方を評価しています。しかし単純な評価でなく、批判も忘れていません。「ねこ庭」で何度か紹介していますから、覚えている方はスルーしてください。 1989年 (平成元年)にクアラルンプールで作られていますが、題名は知りません。
 
  かって 日本人は 清らかで美しかった
  かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
  アジアの国の誰にでも
  自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
  何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
  おこりんぼや わがままな人もいた
  自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
  いなかったわけじゃない
 
  でも その頃の日本人は そんな少しの いやなこととや
  不愉快さを超えて おおらかで まじめで
  希望にみちて明るかった
 
  戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
  学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
  まじめに
  自分たちの父祖や先輩は
  悪いことばかりした残酷無情な
  ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
  だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
  私たちはそんなことはいたしませんと
  いえばよいと思っている。
 
  そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
  自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
  うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
  ひとりよがりの 
  自分本位の えらそうな態度をする
  そんな 今の日本人が 心配だ
 
  ほんとうに どうなっちまったんだろう
  日本人は そんなはずじゃなかったのに
  本当の日本人を知っているわたしたちは
  今は いつも 歯がゆくて 
  悔しい思いがする
 
   自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
  ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
  さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
  こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
 
  どうして日本人は
  こんなになってしまったんだ         
 
 次回は197ページ、「インド洋の軍事環境」です。           
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『 日本が軍事大国になる日 』 - 39 ( ASEANの拡大と変化 )

2022-04-02 19:24:03 | 徒然の記

 1967 ( 昭和42 ) 年に、ASEANが5ヶ国で設立されて以後、現在の10ヶ国となるまでの経緯を、整理してみました。

  ・ 1984 ( 昭和59 ) 年、ブルネイ加盟

  ・ 1995 ( 平成 7 ) 年、ベトナム加盟

  ・ 1997 ( 平成 9 ) 年、ラオス,ミャンマー加盟

  ・ 1999 ( 平成 11 ) 年、カンボジア加盟

  最後のカンボジアが加盟し、仕組みが出来上がるまで32年かかっています。対立する国々が、曲がりなりにも一つの組織を作ったという事実には、驚くべきものがあります。EUは先行する共同体ですが、キリスト教文明という共通の土台がありますので、東南アジア諸国に比べると容易な気がします。

 何よりEUの各国は、それぞれが独立国で、大国の強い影響下になく、独自の判断で何事も決定できます。世界の先進工業国ばかりで、彼らこそがついこの間まで世界をかき回した強国でしたから、ASEAN諸国の慎重さと気遣いの大変さには最初から無縁です。

 ちょうど良い機会ですので、ASEANやEUのような地域経済共同体が、他にいくつあるのか調べてみました。

         加盟国     人口     GDP      GDP/人    貿易額(輸出+輸入) 

 ASEAN    10カ国     6億人    3兆億米ドル   4,500米ドル   2兆8千億米ドル

 E U               27カ国                4億人      15兆億米ドル      33,928米ドル  10兆5千億米ドル

 NAFTA            3カ国                  4億人       23兆億米ドル    49,653米ドル   5兆3千億米ドル

 MERCOSUR  6カ国      3億人    2兆億米ドル  6,482米ドル    5,630億米ドル

  ( 註1:NAFTA (北米自由貿易協定)  米国、カナダ、メキシコの3ヶ国  )
  ( 註2:MERCOSUR (南米共同市場)    ) ( 註3:令和2年の資料    )
 
 ASEANとEUの他にも、NAFTAとMERCOSURがありました。貿易額の大きさが共同体の順位を決めまので、それで見ると1位がEU、2位がNAFTAです。NAFTAはたった3ヶ国ですから、経済力の大きな米国がいることの意味がわかります。
 
 経済共同体にしても、安全保障にしても、ASEANが米国や中国、あるいは日本との関係を無視できない理由がここにあります。大東亜戦争以前は、タイを除けば他の国々は皆欧米諸国の植民地でした。弱い国がいくらたくさん集まっても、大国に太刀打ちできない現実を、これらの国々は嫌というほど知っています。
 
 平成3 ( 1991 ) 年クアラルンプールで開かれた、第二回アセアン拡大外相会議での、中山太郎外相とホスト側のアブドラ・マレーシア外相とのやりとりを、江畑氏が紹介しています。
 
 中山外相
 「アジア太平洋地域での共通の関心事について、率直に意見交換できる場が必要である。」「ASEAN拡大外相会議を、その場として活用してはどうか。」 
 
 アブドラ外相
 「ASEAN拡大外相会議を、安全保障の協議の場に格上げするつもりはない。」
 
 江畑氏の意見
 「外相会議では、経済協力だけを論じていられないことが、」「共通の認識となりつつあることは、否定できなかった。」「つまりASEANの政経分離路線を、変更せざるを得なくなってきたのである。」
 
    「孤立した文明国  」だと言ったのはハンチントン氏でしたが、これからの日本を考える上では、参考になる指摘です。孤立したと思っているのは戦後の日本人だけで、むしろハンチントン氏は、日本を「孤立した文明国」のままにしておきたい米国人の一人です。  

 次回は、その根拠となる説明を合わせていたします。まだ肌寒い「ねこ庭」ですが、新芽の蕾や、緑の若葉が目を楽しませてくれます。皆様のお越しを、お待ちします。

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 38 ( ASEANの拡大 )

2022-04-02 13:48:32 | 徒然の記

 久しぶりに江畑氏の著作へ戻ります。190ページ、「ASEAN」です。

 「東南アジア諸国の軍備近代化、あるいは増強は、」「必然的に、軍事的衝突の可能性を拡大することになる。」「このままいけば東南アジアが、基本的に不安定化するのは明白である。」

 前回までに教わったことを繰り返しますと、東南アジア諸国の背後には大国がいます。

 「クーデターを起こし、アウンサンスーチー氏を軟禁し続けているビルマ軍政府は、親中政権です。ベトナムは反中・親ロ政権で、カンボジアは途中で親中のロン・ノル政権ができましたが、今は親米政府です。」

 しかも各国が国内に、反政府武装勢力を抱えているのですから、それだけでも不安定です。本題に入る前に、東南アジアにある11の国について、国名、首都、人口を再確認します。 ( 人口は、令和2年現在  )

    1.  ブルネイ    ( バンダルスリムガワン )        44 (万人)

    2.  カンボジア   ( プノンペン )           1,672

    3.  インドネシア  ( ジャカルタ )         27,352

    4.  ラオス     ( ビエンチャン )         728

    5.  マレーシア   ( クアラルンプール )       3,237

    6.  ミャンマー   ( ネピドー )・・旧 ヤンゴン      5,441  

    7.  フィリピン   ( マニラ )             10,958

    8.  シンガポール  ( シンガポール )          569

    9.  タイ      ( バンコク )                               6,980

     10.  ベトナム    ( ハノイ  )                                   9,734

      11.  東チモール    ( ディリー )           132

 東南アジアの安定化のためには、軍事でなく、外交の力で関係国間の信頼を高めることが必要だと、氏が言います。

 「それは一国だけでできるものではなく、一国だけが突出することも好まれない。」「中国、インド、あるいは日本などの外部勢力の進出に対抗するため、」「結束することが求められる。」

 日本が外部勢力に入れて語られるのが意外ですが、戦前のことを思えば、そういう分類になるのでしょうか。

 「新たな集団安全保障機構を創設するのは、容易でないが、」「既存の組織を元にして、安全保障機構に発展させられれば、」「それは比較的に容易く実現できよう。」

 それがASEANだと、言います。ASEANは、1967 ( 昭和42 ) 年に、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンの5ヶ国で発足した、地域的経済協力機構でした。( 上記、青字で表示した国  )この時期の国際情勢を反映し、当初は反共連合的な性格でしたが、その後は各国の経済発展を助長する、経済協力機構の性格が強くなりました。

 「軍事機構にはしないという約束が、加盟国で確認され、」「特に非同盟主義を打ち出しているインドネトアが、その堅持を強く求めている。」

 東南アジア11ヶ国のうち、人口が一億人を超える大国は、インドネシアとフィリピンですから、インドネシアの意向は尊重されたと思います。政治や軍事に傾くと、必ず大国の介入を招きますから、経済に絞るというのは彼らの知恵でした。

 「それでもアセアン諸国間で、ベトナム軍や、駐留するソ連軍に関する軍事情報の交換や、」「ある程度の兵器導入共通化の、協力が行われてきた。」「平成2 ( 1990 ) 年からは、各国軍の参謀長間での非公式会議が持たれるようになった。」

 氏の説明を読んでいますと、軍事機構にしないという建前を崩さず、目の前の事態には現実的対応をするという、アセアン独特の「現実主義」を見ます。

 ・平成3 ( 1991 ) 年、マニラで初のASEAN安全保障協力会議を開催。

  米国、中国、ソ連、日本、オーストラリアの8ヶ国から、外務省、防衛省の専門家が個人資格で参加。

 ・第二回会議が、マレーシアのクアラルンプールで開催。

  米軍のフイリピン撤退の動きがあり、ASEANも地域安全保障に取り組むべしという意見が出た。

  この時点ではまだ、ベトナム、ラオスが参加していませんが、大きな市場が期待できるベトナムに対し、各国は個別に接触を始めていました。氏の説明によると一番熱心なのがタイで、これに影響され、インドネシアとマレーシア、シンガポールが民間レベルでの投資に動いていたと言います。

 次回は、ASEANの拡大について、氏の説明を続けて紹介します。

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