ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 日本が軍事大国になる日 』 - 39 ( ASEANの拡大と変化 )

2022-04-02 19:24:03 | 徒然の記

 1967 ( 昭和42 ) 年に、ASEANが5ヶ国で設立されて以後、現在の10ヶ国となるまでの経緯を、整理してみました。

  ・ 1984 ( 昭和59 ) 年、ブルネイ加盟

  ・ 1995 ( 平成 7 ) 年、ベトナム加盟

  ・ 1997 ( 平成 9 ) 年、ラオス,ミャンマー加盟

  ・ 1999 ( 平成 11 ) 年、カンボジア加盟

  最後のカンボジアが加盟し、仕組みが出来上がるまで32年かかっています。対立する国々が、曲がりなりにも一つの組織を作ったという事実には、驚くべきものがあります。EUは先行する共同体ですが、キリスト教文明という共通の土台がありますので、東南アジア諸国に比べると容易な気がします。

 何よりEUの各国は、それぞれが独立国で、大国の強い影響下になく、独自の判断で何事も決定できます。世界の先進工業国ばかりで、彼らこそがついこの間まで世界をかき回した強国でしたから、ASEAN諸国の慎重さと気遣いの大変さには最初から無縁です。

 ちょうど良い機会ですので、ASEANやEUのような地域経済共同体が、他にいくつあるのか調べてみました。

         加盟国     人口     GDP      GDP/人    貿易額(輸出+輸入) 

 ASEAN    10カ国     6億人    3兆億米ドル   4,500米ドル   2兆8千億米ドル

 E U               27カ国                4億人      15兆億米ドル      33,928米ドル  10兆5千億米ドル

 NAFTA            3カ国                  4億人       23兆億米ドル    49,653米ドル   5兆3千億米ドル

 MERCOSUR  6カ国      3億人    2兆億米ドル  6,482米ドル    5,630億米ドル

  ( 註1:NAFTA (北米自由貿易協定)  米国、カナダ、メキシコの3ヶ国  )
  ( 註2:MERCOSUR (南米共同市場)    ) ( 註3:令和2年の資料    )
 
 ASEANとEUの他にも、NAFTAとMERCOSURがありました。貿易額の大きさが共同体の順位を決めまので、それで見ると1位がEU、2位がNAFTAです。NAFTAはたった3ヶ国ですから、経済力の大きな米国がいることの意味がわかります。
 
 経済共同体にしても、安全保障にしても、ASEANが米国や中国、あるいは日本との関係を無視できない理由がここにあります。大東亜戦争以前は、タイを除けば他の国々は皆欧米諸国の植民地でした。弱い国がいくらたくさん集まっても、大国に太刀打ちできない現実を、これらの国々は嫌というほど知っています。
 
 平成3 ( 1991 ) 年クアラルンプールで開かれた、第二回アセアン拡大外相会議での、中山太郎外相とホスト側のアブドラ・マレーシア外相とのやりとりを、江畑氏が紹介しています。
 
 中山外相
 「アジア太平洋地域での共通の関心事について、率直に意見交換できる場が必要である。」「ASEAN拡大外相会議を、その場として活用してはどうか。」 
 
 アブドラ外相
 「ASEAN拡大外相会議を、安全保障の協議の場に格上げするつもりはない。」
 
 江畑氏の意見
 「外相会議では、経済協力だけを論じていられないことが、」「共通の認識となりつつあることは、否定できなかった。」「つまりASEANの政経分離路線を、変更せざるを得なくなってきたのである。」
 
    「孤立した文明国  」だと言ったのはハンチントン氏でしたが、これからの日本を考える上では、参考になる指摘です。孤立したと思っているのは戦後の日本人だけで、むしろハンチントン氏は、日本を「孤立した文明国」のままにしておきたい米国人の一人です。  

 次回は、その根拠となる説明を合わせていたします。まだ肌寒い「ねこ庭」ですが、新芽の蕾や、緑の若葉が目を楽しませてくれます。皆様のお越しを、お待ちします。

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 38 ( ASEANの拡大 )

2022-04-02 13:48:32 | 徒然の記

 久しぶりに江畑氏の著作へ戻ります。190ページ、「ASEAN」です。

 「東南アジア諸国の軍備近代化、あるいは増強は、」「必然的に、軍事的衝突の可能性を拡大することになる。」「このままいけば東南アジアが、基本的に不安定化するのは明白である。」

 前回までに教わったことを繰り返しますと、東南アジア諸国の背後には大国がいます。

 「クーデターを起こし、アウンサンスーチー氏を軟禁し続けているビルマ軍政府は、親中政権です。ベトナムは反中・親ロ政権で、カンボジアは途中で親中のロン・ノル政権ができましたが、今は親米政府です。」

 しかも各国が国内に、反政府武装勢力を抱えているのですから、それだけでも不安定です。本題に入る前に、東南アジアにある11の国について、国名、首都、人口を再確認します。 ( 人口は、令和2年現在  )

    1.  ブルネイ    ( バンダルスリムガワン )        44 (万人)

    2.  カンボジア   ( プノンペン )           1,672

    3.  インドネシア  ( ジャカルタ )         27,352

    4.  ラオス     ( ビエンチャン )         728

    5.  マレーシア   ( クアラルンプール )       3,237

    6.  ミャンマー   ( ネピドー )・・旧 ヤンゴン      5,441  

    7.  フィリピン   ( マニラ )             10,958

    8.  シンガポール  ( シンガポール )          569

    9.  タイ      ( バンコク )                               6,980

     10.  ベトナム    ( ハノイ  )                                   9,734

      11.  東チモール    ( ディリー )           132

 東南アジアの安定化のためには、軍事でなく、外交の力で関係国間の信頼を高めることが必要だと、氏が言います。

 「それは一国だけでできるものではなく、一国だけが突出することも好まれない。」「中国、インド、あるいは日本などの外部勢力の進出に対抗するため、」「結束することが求められる。」

 日本が外部勢力に入れて語られるのが意外ですが、戦前のことを思えば、そういう分類になるのでしょうか。

 「新たな集団安全保障機構を創設するのは、容易でないが、」「既存の組織を元にして、安全保障機構に発展させられれば、」「それは比較的に容易く実現できよう。」

 それがASEANだと、言います。ASEANは、1967 ( 昭和42 ) 年に、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンの5ヶ国で発足した、地域的経済協力機構でした。( 上記、青字で表示した国  )この時期の国際情勢を反映し、当初は反共連合的な性格でしたが、その後は各国の経済発展を助長する、経済協力機構の性格が強くなりました。

 「軍事機構にはしないという約束が、加盟国で確認され、」「特に非同盟主義を打ち出しているインドネトアが、その堅持を強く求めている。」

 東南アジア11ヶ国のうち、人口が一億人を超える大国は、インドネシアとフィリピンですから、インドネシアの意向は尊重されたと思います。政治や軍事に傾くと、必ず大国の介入を招きますから、経済に絞るというのは彼らの知恵でした。

 「それでもアセアン諸国間で、ベトナム軍や、駐留するソ連軍に関する軍事情報の交換や、」「ある程度の兵器導入共通化の、協力が行われてきた。」「平成2 ( 1990 ) 年からは、各国軍の参謀長間での非公式会議が持たれるようになった。」

 氏の説明を読んでいますと、軍事機構にしないという建前を崩さず、目の前の事態には現実的対応をするという、アセアン独特の「現実主義」を見ます。

 ・平成3 ( 1991 ) 年、マニラで初のASEAN安全保障協力会議を開催。

  米国、中国、ソ連、日本、オーストラリアの8ヶ国から、外務省、防衛省の専門家が個人資格で参加。

 ・第二回会議が、マレーシアのクアラルンプールで開催。

  米軍のフイリピン撤退の動きがあり、ASEANも地域安全保障に取り組むべしという意見が出た。

  この時点ではまだ、ベトナム、ラオスが参加していませんが、大きな市場が期待できるベトナムに対し、各国は個別に接触を始めていました。氏の説明によると一番熱心なのがタイで、これに影響され、インドネシアとマレーシア、シンガポールが民間レベルでの投資に動いていたと言います。

 次回は、ASEANの拡大について、氏の説明を続けて紹介します。

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