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『私の昭和史』  ( 私の両親 )

2017-08-02 13:37:14 | 徒然の記

 白石正義氏著『私の昭和史』( 昭和63年刊 崙書房出版株式会社 )を、謹んで読み終えました。

 内容へ入る前に、氏はの経歴を紹介します。

  ・大正2年、愛媛県に生まれ、陸軍士官学校の第5期生だったが、

  ・本科1年の時 5・15事件に連座し、退学処分となり満州に追放

        ・関東軍情報部、関東軍特務機関要員となり、特殊会社「満州南海洋行」を設立

  ・昭和20年7月に情報部特命を受け、関東軍第二遊撃連隊に参加したところで、終戦となりソ連に抑留

  ・同志とともに捕虜収容所から脱走するが、朝鮮の領土内で捕らえられ連れ戻される。

  ・特務機関員の身分がソ連側に露見しなかったため、昭和24年一般の帰還兵として舞鶴港に上陸できた。

  著者である白石氏個人に強く引かれるものがあり、色々を調べましたが、著名人ではないらしくネットの情報は見つかりませんでした。

 5・15事件に連座し退学とありましたので、軍法会議で処罰された軍人を調べましたが、氏の名前はありませんでした。学生として参加し、正規の軍人でなく階級もなかったため、満州に追放されたのかと推察しました。

 氏は語っていませんが追放後の仕事は軍のスパイで、特殊会社「満州南海洋行」は恐らく関東軍が作り、氏が責任者だったのでないかと思われます。満州で何をしていたのか語られていませんが、特務機関の一員であれば当然だろうと考えました。

 敗戦後に帰国した氏は、愛媛県出身なのに千葉の流山市に住み、崙書房出版株式会社(ろんしょぼうしゅっぱん)を作ります。戦争ものの本を出版しているのかと思えば、そうではなくジャンルの違う本ばかりです。ネットの情報で探し当てた唯一の情報なので、そのまま紹介してみます。

  ・崙書房出版株式会社は、日本の出版社の一つで、

 ・創業当初は千葉県・茨城県に関する文献の復刻版を発行し、

 ・昭和52年から、地域に根差した題材を文庫本として発行するようになる

 ・歌集・句集などの自費出版も手がけている

 ・利根川を題材にした出版物の発行では、建設省から感謝状を送られている

 ・また、常総・房総の歴史に関する雑誌も、発行している。営業所が茨城県石岡市にある。

 つまり、自著の『私の昭和史』を除けば、出版物は戦争に無縁のものばかりです。この本を出した時氏は75才なので、存命なら114才ということになりますから、それはあり得ません。

 本の裏扉に書かれた略歴によりますと、当時の氏は社長という肩書きで、住所も電話番号も現在の会社と同じです。

  崙書房出版株式会社は今もありますが、社長は別人で、従業員四人という小さな会社です。会社のブログなのに、面白いことに設立年月日は不明と書かれています。
 
 白石氏は旧姓を津島というらしいのですが、なぜ故郷の愛媛に戻らず千葉を終の住処としたのか、不思議な気がします。
 
 大陸浪人崩れの人間の多くは敗戦後の日本で、右翼や、総会屋となったりして、政界の裏話や手柄話を本にし、大企業に売りつけたりしています。かって勤めていた私の会社はお得意先から頼まれ、そんな本を買わされていました。
 
 氏の本も、何となく得体の知れない雰囲気が漂うため、最初は胡散臭い人物だと誤解しました。しかし最後まで読み終えた時、別の印象になっていました。氏の経歴も、著作の内容も無関係なのに、何故か新渡戸稲造氏の『武士道』を思い浮かべました。
 
 武士道精神の中にある、慈愛、誠実、忍耐が、著作の底を流れ、清冽な流れに心を洗われる思いがいたしました。
 
 本の226ページに、「関東軍憲兵司令官・加藤伯二郎中将の思い出」という項があります。長くなりますが、紹介します。
 
  ・加藤伯二郎中将を知っている人は、まだ多少おられると思う。
 
  ・中将は、戦犯としてモスクワで処刑されたのか、あるいは病死されたのか。どこでどうなったかについては、不明のままである。
 
  ・私は、彼と会った最後の日本人ではなかろうかと思う。奇々しき因縁という他はない。監獄で、二十日間起居を共にした。
 
 氏が監獄と言っているのは、脱走後に朝鮮領土内で囚われ、連れ戻されたソ連の刑務所のことです。
 
  ・加藤中将は毎日、定刻の午前中に 2、3時間、取り調べのために、監視兵によって本部に連れ出されていた。
 
  ・いやしくも敗れたりとはいえ、日本陸軍の中将であり、取り調べに当たる相手も、かなり高い地位の者であることがそれとなく窺い知れた。
 
  ・私にこっそり耳打ちされる情報は、非常に的確で、的を射ていたと今でも思う。
 
 氏が、加藤中将の言葉を紹介します。
 
  ・俺は万一日本にいても、外地にいても、同じ身のはずである。
 
  ・必ず、戦犯として追求されるであろう。
 
  ・現に祖国日本にいても、めぼしい軍人、政治家の大部分がすでに捕らえられ、一箇所に集められているらしい。( その頃は巣鴨刑務所に、東条大将その他の戦犯が収監されている時であった。)
 
   ・ソ連は、天皇を戦犯としてどこまでも狙っているらしいが、彼ら戦犯連中が、一丸となって阻止するであろう。
 
  ・わが天皇制は、必ず存続するであろう。しかし、その姿は非常に変わるであろうが、これは仕方のないことである。
 
  ・これからの日本は、戦勝国の占領に甘んじなければならない。
 
  ・あらゆる権利を剥奪されるであろうが、その言語に絶する状態も、せいぜい4、5年くらいであろう。
 
  ・米ソ間に必ず不協和音が起こるであろう。蜜月時代が、そう長く続くはずがない。
 
  ・将来日本は軍備を放棄し、平和国家として再出発すれば、十年を待たずして元以上の日本国になるであろう。
 
  ・しかし俺は、そのような日本の姿は見られないであろう。年も年だし、ソ連が俺を見逃すはずもない。
 
  ・生きて祖国の土を踏むことのできないことは、覚悟している。
 
  ・しかしお前たち二人は、決して銃殺にはされないはずだ。今後決して、逃げ出そうというような不了見を起こすのではない。
 
  ・お前は、まだ三十代の半ばだ。どんなことがあっても、生きた体を祖国日本へ持って還るのだ。
 
  ・それはお前たちが教わってきた、軍人勅諭の中の一番大切な忠節である。
 
  ・すなわち、祖国再建のために死ぬことこそが、忠節なのだ。
 
 中将の言葉を紹介した後、白石氏が語ります。
 
  ・今なお私はこれらの言葉を、中将の尊い遺言として心の奥ふかくしまっている。
  ・その後私は収容所を2、3ヶ所転々とし、いろいろなことがあったが、祖国に還ることこそ先決と辛苦に隠忍自重し、幸運にも昭和24年の11月下旬に、無事舞鶴港へ帰還することができた。幸運であったと、言うほかない。
 
  ・それにつけても、夢にまで見た祖国日本の土を踏むことなく、今なおシベリアの各地はもちちろん、遠く中央アジアに至る広大な凍土の下に眠る友のことに、思いを馳せれば、目頭の熱くなるのを抑えることができない。
 
  ・おそらく私が生き続ける限り、このことは忘れることができないであろう。
 
 これが、本の最終ページを飾る言葉です。加藤中将にしましても、氏自身にしても、戦争のない平和な世の中を願っています。言語に絶する戦争の惨禍や、人間の苦しみを語っています。
 
 しかし同時に私たちが心に留めるべきは、彼らが祖国への憎しみや不満を語っていないことです。
 
 戦争の記憶を若い世代に伝えようと言い、反日・亡国の老人たちが、戦争の全てを憎しみと悪口で語りますが、そうでない人間がいたことも、同時に伝えなくてなりません。
 
 戦争賛美や軍国主義のためでなく、祖国である日本の歴史を正しく捉えるためです。つまり「両論併記」ということです。明日から当分の間白石氏の本と対座し、氏の心を汲み取り、紹介する作業をします。
 
 ソ連の国境に近いハイラルで生まれた私は、母と共に引き揚げてきました。ハイラルからの逃避行が、どんなに過酷なものであったかを氏の本が教えてくれました。
 
 ソ連の捕虜となりシベリアの炭鉱で働かされ、幸運にも帰還してきた私の父がどんな場所で過ごしていたのかも、氏の本で知りました。父も母も、ほとんど戦時中の思い出を語りませんでしたが、今はわかる気がしています。
 
 自分の子供を殺したり、満人に渡したり、考えられない辛苦をどうして母が語りたがるでしょうか。
 
 父も母も白石氏と同様に、国を恨んだり憎んだり、そんな言葉は口にしませんでした。日本のクオリティーペーパーと呼ばれ、日本の良識と自らを称した朝日新聞の読者だった私は、そんな両親を長い間「無知蒙昧の庶民」と心の隅で軽蔑していました。
 
 朝日新聞と決別し、自分の手で歴史の検証を始めた今、父や母に詫びる気持でいっぱいになります。

  「遠く中央アジアに至る、広大な凍土の下に眠る友のことに思いを馳せれば、目頭の熱くなるのを抑えることができない。」

  氏の言葉を噛み締めていますと、両親の顔と重なり涙がこぼれます。「自分の国を蔑まない、ごく普通の庶民。」・・私の両親はそうだったのです。

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