爽快な秋空が消え、昨夜から雨になりました。雨を降らせる灰色の空が、どこまでも続いています。
国民の望まない戦後最低の内閣を、自由民主党の議員たちが作った現在に相応しい天気です。異常な「総裁選」が産んだ「異常な内閣」は、どのように考えても理解できない自由民主党の愚行です。
10月5日に、5年前の平成31年の過去記事を紹介したのは、「戦後史の大河の流れ」を認識できなかった時の「ねこ庭」が、安倍首相をどのように批判していたかを伝えるためでした。
安倍首相も酷い法律を沢山作っていたから、船出早々の石破内閣に落胆するのは早いと、息子たちと「ねこ庭」を訪れる方々に伝えたかったのです。
安倍首相は「戦後史の大河」の中で9年をかけ、米国の意向と戦いながら志の途中で命を失いました。石破首相は就任後 4~5日で、米国の圧力もないのに、自ら国民を失望させる言動をやめる気配がありません。
苦闘し妥協もした安倍首相の足跡を辿れば、石破氏への怒りが小さくなると考えましたが、日が過ぎるにつれ「陰鬱な曇天の内閣」が日本中を暗くします。この最低、最悪の亡国内閣を作ったのが、自由民主党の3人の長老と半分の議員たちという事実が、国民の気持を沈ませます。
「戦後レジームからの脱却」(「アメリカの属国からの脱却」)の旗を掲げていた安倍氏を支えた、菅元首相と岸田元首相の「弔辞」を、「ねこ庭」を訪問される方々に紹介しました。
史上最低の石破内閣を作ったのは、弔辞を読んだこの二人で、就任以来、国際社会で通用しない「寝言」を言う人物を総裁にしたのも、この二人でした。
信じられないのは石破氏の「寝言」より、政治音痴の首相を「総裁選挙」で誕生させた、菅、岸田両氏の行動だったのではないでしょうか。
何がここまで二人の元首相を変貌させてしまったのか、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、私の考えを述べます。
先日述べた意見と同じですが、反日内閣の成立を目にした今は、いっそうの確信を持って話せます。
それでも氏は、令和3年6月18日に共通投票所制度の創設等「国民投票法」の改正をし、憲法改正のための国会発議を目前とする段階にまで持っていきました。
前回も述べましたがこの時アメリカは、長年計画していた何度目かの「日本弱体化政策」の実行に踏み切りました。青山氏も西田氏も語れませんし、学者も評論家も説明しませんので、再度この流れを「ねこ庭」で整理します。
・ 令和3年6月 ・・「国民投票法」改正
・ 令和4年7月 ・・ 安倍首相暗殺
・ 令和4年7月 ・・「 統一教会問題」キャンペーン開始
第一ステップが安倍首相の暗殺で、第二ステップが安部派の殲滅です。このための「統一教会問題」と「裏金問題」キャンペーンは、アメリカに協力する国内の「トロイの木馬」たちが実行しています。
「トロイの木馬」は、石破氏のいう「アジア版NATO」のような実態のない空論でなく、現実の組織です。スペースがなくなりましたので続きは次回にしますので、石破内閣を認めない人は、次回の「ねこ庭」へお越しください。