私が小学校に入る前に住んでいたところを訪ねている。
母が4年ほど前に亡くなった時に、母の住所の変遷がまとめてある。それによるとこのころの住所は「知多郡旭村大字日長播磨160-2」だった。現在は「知多市日長播磨160」というのがあるから。これに対応するのは間違いない。
私がこの日に歩いたところの道路は1959年の地形図でもほとんど変化がない。周りで違っているのは、1 日長駅付近よりも北の海が大幅に埋め立てられたこと。2 その辺りの旧海岸線に沿って広い自動車道が通り、南方へ日長駅を迂回して内陸側に向かうようになったこと。3 日長駅から東に行ったところの日長川の手前に小学校(旭村立旭北小学校:1952年から旭町立、1971年東方の丘の上に移転)があったこと。父はその小学校に勤めていたが、名古屋に異動した。
6 日長字播磨の住居表示 2023.8.18 以下も特記以外は同日
7 住所が一致する建物
このうちたぶん向こう側のブロック塀の家がそれにあたる。なお、写真右下にカメラのストラップが写り込んでしまった。このブロックは明らかに新しい。私の当時の記憶は幼少のことで方位が不確かだがこのブロックの左端あたりに玄関があり、中に入るとその右側(ブロックの右端付近)の家の中に井戸のある台所があった....ような気がする。そのころの写真は数枚しかなく、景色が写り込んだのはない。
8 玄関で撮った写真 1950.8
合致するものは何もない。しかし道路との位置関係は悪くない。道路の反対側の数十メートル北に「大龍寺」というお寺があるから、そこを訪ねればなにかわかったかもしれない。結局、記憶にある「紅葉谷」が存在することだけがわかった。
9 紅葉谷 入り口
ここで見たベニカミキリはよほど印象が強かったらしい。そんなに珍しい種類ではなく、何度か見かけた。竹に害を与えるのだそうだ。下の写真はそれを示すようなもので、切り倒した竹にとまっている。
10 ベニカミキリ 2011.5.29 北九州市内
駅までの帰り道は、先ほどと違って迷うこともなかったが、とにかく暑かった。
11 常滑線日長駅 常滑方面(下り)を見る。
うっかりして、下り線ホームに入る自動改札を通ってしまう。上りホームへ入るのは道路・踏切を渡った反対側にあるのだ。無人駅だから改札内のインターホーンでどこかに連絡して、通してもらった。なお、常滑線の大野町までについてはすでに1920年に複線化していた。現在日長駅は各停しか止まらないから急行や空港特急が通過していく。だいぶん待って太田川までの各停に乗車。太田川駅は河和線との分岐駅で、2011年に高架化された時に大規模な改装工事が行われた。2階に上下線の2面4線ホーム、高い3階に1面2線のめんどうな構造。つまり、名古屋方面に(河和方面も)行く時には、2階からの時と3階からの電車がある。ここは特急電車も停車するから便数は多い。
12 太田川駅案内板
使ったことのない上のホームの電車を待ってそこから金山へ。この日は栄泊。いつもの名古屋駅付近はホテルが混んでいたので敬遠した。
翌日同窓会に出席。年寄りばかりだから、病気の話が多い。
13 同窓会 お顔は画像処理しました 2023.8.19
二次会まで出て、無事帰宅。帰りは普通車指定席。前回のように列車の遅れが出ることはなかった。写真は帰途の夕焼け。上空は強風のようだ。
14 夕日に輝く、崩れた積乱雲 岡山付近 2023.8.19
名古屋の件 おわり。
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