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古い本 その11 Kellogg 1936

2020年06月10日 | 化石
古い本 その11 Kellogg 1936

 今回は初めての単行本についての記事。Kellogg の「A Review of the Archaeoceti」(原鯨類のレビュー)1936で、カーネギーから発行された366ページ、37図版の大著である。古書店に発注して入手したもので、ずいぶん高かったような記憶がある。もとの所有者に関する蔵書印や書き込みなどは全くないが、厚紙の表紙をつけた本製本がされている。一方で登録印などはないから、本を大切にする研究者などの所有だったのだろうか。現在も古本のカタログにあるからそんなに稀な本でもなさそう。84年前の論文。

9-1 製本された Kellogg 1936

 原鯨類をネットでは「げんくじらるい」と読んでいるが、私は「げんげいるい」と読む。「ひげくじらるい」「はくじらるい」と対応するものだから訓読みでもいいのかもしれないが、「原」は音読み「げん」であるからそれに合わせたいと思っている。おおざっぱに言えば、鯨類の中からヒゲ鯨類と歯クジラ類を引いたものが原鯨類であるから、現代的な分類群名としては不適当なんだろう。
 鯨類化石の中で最も古い属名は、Basilosaurus (Harlan, 1834) で、原鯨類に属し、もちろんこのレビューにも詳しく記述されている。Basilosaurusはその名でわかるように鯨類としてではなく爬虫類という考えで記録された。論文は「Notice of Fossil Bones found in the Tertiary of the State of Louisiana」(ルイジアナ州の第三紀層から発見された化石骨についての知見)という7ページのもの。1832年10月19日に講演を行った記録として1834年発行のAmerican Philosophical Society のTransactionに掲載されている。さらに、1835年のGeological Society of Pennsylvania のTransactionに「Description of the Remains of the “Basilosaurus” a Large Fossil marine Animal, recently discovered in the Horizontal Limestone of Alabama」という論文も書いている。それで、Kelloggの論文に書いてあるのだが、Harlanはルイジアナ州産の標本をもとに属名を提唱したが、模式種は書かなかったとしている。たしかに1834年の論文の最後に「Basilosaurusと名付ける」としているが、種名は書いてない。そして文中では多くの爬虫類(中生代の)と比較していて、哺乳類だと考えていないようだ。二番目の論文では分類群に触れていない。のちにHarlanはイギリスでBasilosaurusに関する講演を行ったが、その折にOwenのところに標本を持っていったようだ。Owenはそれが鯨であると確信してその標本をもとに新属・新種名Zeuglodon cetoides を記載した(1839年)。その論文は「Observations on the Basilosaurus of Dr. Harlan (Zeuglodon cetoides, Owen)」(Harlan博士のBasilosaurus (Zeuglodon cetoides, Owen) の観察)。Kelloggの扱いでは、属名はBasilosaurusに先取されるので、この種類はBasilosaurus cetoides (Owen 1839)となるというのだが…。HarlanのBasilosaurusの属名は果たして有効名だろうか?彼は二つの論文でリンネの二名法を使っていないから無効名ではないのだろうか?? Basilosaurusの模式種がB. cetoides であるというのも変な話である。B. cetoidesの命名はOwenで、「鯨っぽい」という意味ということも何かねじれている。ちょっとややこしくなってしまったのでまた考えておこう。
 では、目次をざっと見よう。最初に発見史などがあって、原鯨類の分類に入る。まず出てくるのがBasilosaurus cetoides (Owen)で、60ページを費やしている。
そのあと、22ページのProzeuglodon isis (Andrews)、数ページのPlatyosphys paulsonii (Brandt)、約70ページのZygorhiza属3種、約50ページのDorudon属7種。数ページのKekenodon onamata Hecter (目次の種名に誤綴がある)、等々と続いている。
 まず注目するのは、文中の化石スケッチのすばらしさである。

9-2  Kellogg 1936 Fig. 10. B. cetoides 頚椎(左が前)

 上の図は頚椎と第一胸椎(Kelloggは1st dorsal vert.としている)だが、ガラス板に皮膜を作ってそれを掻き取るスクライブ技法であろう。その表現技術は高くて表面の凹凸が表現されている。

9-3  Kellogg 1936 Fig. 10. (一部の拡大)

 上の図は第一頸椎から第四頸椎の中ごろまでを拡大したものだが、表面の凹凸や、その方向性などが分かる。しかしよく見るとその部分を描いている線の数は非常に少ない。例えば第二頸椎の脊椎棘の後ろ半分に縦の浅い溝があるが、そこを描いている線は6本ぐらいにすぎない。それだけで、この溝が途中でややくびれていることや、溝の底や両側の縁が尖っていないことなどが見て取れる。
 この論文は、原鯨類の情報を詳しくまとめているから、引用されている図も多い。例えばFig. 31a のZygorhiza kochii の頭蓋は教科書などでよく見かける。

9-4  Kellogg 1936 Fig. 31a. Zygorhiza kochii 頭蓋

 この頭の図がよく引用される理由の一つには、図中に歯の記号が入っていることがあろう。哺乳類の基本的歯数(4−1−4−3)が踏襲されていることがよくわかるのだ。他にも肘関節の可動性など、原鯨類の特徴がよくわかる図がたくさんある。
 図版1はで、これまた教科書でよく見るもの。写真図版はコロタイプらしい。
 この論文で初めて巻末に参考文献のリストがある。ここまでの論文では参考文献は下の欄外に記してあるのが普通であるが、初めてアルファベット順に著者を並べ、その下に年代順に文献が記してある。この方法は現在の参考文献の書き方に近い。しかし、この本が単行本であるから特にこういう整った形であるようだ。挿図のリストが巻頭にあることなどもその表れだろう。Kelloggの参考文献の書き方を調べてみると、古い形式(欄外に注記)が1932年まで。新しい形式(巻末のリスト)が1928年から1966年までであった。このように、この論文は現在の論文形式とほとんど同じになっている。特に種名の下に「シノニムリスト」が付けてあるから、過去の論文との取り扱いの変遷がよくわかる。
 図版は1から32まである。第1図は折り込み、横長で線画の復元図。

9-5 Kellogg 1936 Pl. 1. Basilosaurus とZygorhyza の全身復元図

 これを見ると、Basilosaurusがいかに変な鯨かが分かる。長い体を上下にくねらせて泳いだという。原鯨類の代表的な形とはとてもいえない。第2図以後は化石写真で方式はコロタイプ。写真のできは今ひとつ。

9-6 Kellogg 1936 Pl. 5(一部). Basilosaurus cetoides 第2仙椎

9-7 Kellogg 1936 Fig. 16. Basilosaurus cetoides 第2仙椎のスケッチ

 上の図は仙椎!の写真とそのスケッチで、椎体の前後長は38.5センチというから巨大。「仙椎」ということなので、骨盤との関節があるのだろう。現在の鯨類では骨盤は脊椎骨と接触しないから「仙椎」を認識できない。だから腰椎と仙椎を一緒にして「胴椎」と呼ぶ。それより前の「胸椎」は肋骨との関節がある。後の「尾椎」では腹側にV字骨との関節があるから腹側の頭尾方向の稜が左右2本になる。最も長い脊椎骨は40.5センチで、第1仙椎と第8胴椎の二つ。この辺りの38センチぐらいある脊椎骨だけでも15個ある。Kelloggの復元図では全長は約17メートルあったという。
 Basilosaurusが体を背腹方向にくねらせて泳ぐというが、それにしては神経棘やV字骨が発達していないように見えるのはなぜだろう。それはさておき、大航海時代から伝説のある「シーサーペント」の目撃に、「頭の後に幾つかの背中が水面上に並ぶ」というのがあって、背腹にくねらせたらそうなるかもしれない。1845年ごろ、あやしげな興行師アルベルト・コッホが「長さ35メートルの巨大化石爬虫類」としてニューヨークで見世物にした骨格の一部に(一部だけ)Basilosaurusの化石が入っていたというのも、何かの因縁か。シーサーペントのことは、最近の本「未確認動物UMAを科学する」2016 によった。
 今回の本の著者Remington Kellogg (1892−1969)はアメリカの国立博物館に勤務した鯨化石研究の第一人者。博士論文の「The History of Whales」(1928)は現在も鯨化石研究者のバイブルである。博物館のポストは生物学であり、IWC国際捕鯨委員会の座長だった(1952−1954)こともある。

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