岐阜県御嵩町番上洞から発見されたGomphotherium annectens (Matsumoto)標本は、中新世の化石象頭部として例外的によく保存されたものである。ホロタイプは頭蓋だが、その後同一個体とされた下顎を重ねるとこの動物の姿がかなりよくわかる。ただし、頭蓋にはかなり欠けているところがあるし、上下方向に変形もしている。そういったことについて調べてみた。まず注目したのは下顎、とくにの門歯の形。
643 番上洞の下顎 京都大学蔵 1972年ごろ撮影
写真のように、先端から数センチのあたりに側方からの切れ込みがある。門歯がすり減るからには、何かがそこに当たっていたのだろう。考えられるのは上顎の門歯であるが、もちろんこの個体の上顎の化石はその部分が失われている。この類のマストドンでは、下顎の切歯が二本並び、それを挟み込むように上顎の両側の切歯が交差する。
番上洞の下顎の右切歯は発掘時になかった。槇山は「可なり破損してゐたが復舊すると立派な標本となり...」と記しているし、下顎の後ろの方の破断面が新しいから、発掘時にはもう少し破片があったのだろう。ところが、2004年にこの失われていた右の門歯を保存していた方がいたことが報告された。
○ 川合康司, 2004. 可児郡御嵩町より新たに確認されたゾウ化石について. 美濃加茂市市民ミュージアム紀要、第3集;1−3, 1 plate
発掘場所の番上洞は、下顎発見のころには農業用の客土の採取地として村(上之郷村)の共有地になっていたから多くの地元の方が立ち入っておられた。標本は1935年頃に佐賀さんという方が見つけて、保管されていた。
644 川合, 2004. Plate (一部)
図は、上が背側、下が腹側で、原図には断面形が示されている。標本の割れ口は下顎とよく合ったとのことだから、図の写真を下顎に重ねると下のようになる。対称性を考えて切れ込みよりも先は左だけにある、と考えた。
645 下顎の復元の試み
もちろん、照明の方向も異なるし、右門歯のみている方向も多少違うだろうからこれらを実際に合わせてみる必要がある。この程度の左右の非対称は当然ありうることだ。
さらにこの切れ込みが、数多くある(主にヨーロッ・北アメリカの)近縁種の標本に見られるのか調べてみた。Gomphotherium angustidensの標本は、単独の歯なら化石ショーでも販売されているぐらいだから、数多くあり、学術報告はあまりなさそうである。いつもお世話になるOsbornの「Proboscidea」は、文献などのデータはあてになるが、標本はある程度のスケッチがあるだけで、むしろ線画が多い。図示(線画・写真)されたG. angustidensの下顎標本では、門歯先端まで保存されている標本はなく、G. (Genomastodon) osborni というちょっと違う種類の下顎があるが、先端に切れ込みはなく、番上洞標本の右側とよく似た形のものが見られる。この種類の原記載はBarbourによるもので、下記の文献である。
○ Barbour, Erwin Hickley, 1916. A new longirostral Mastodon from Nebraska, Tetrabelodon osborni, sp. nov. American Journal of Science, ser. 4, vol. 41: 522-529, text-figs. 1-4. (Nebraska州からの新種の顎の長いマストドン、Tetrabelodon osborni)
産出した地層の年代はこの文献では鮮新世(最近の論文では中新世中期になっている)。完全な下顎とともに頭骨や関節状態の骨格も発見されているという。この論文ではTetrabelodon osborni Barbour という名前で出てくる。地質年代と、第3大臼歯の稜数が多いことを見るとG. angustidensよりも少し進化型だろう。まず上から見た写真を見ると非常によく似ているから、下顎の使い方も類似していたと思う。
646 Barbour, 1916. Fig. 2. Tetrabelodon osborni Barbour 下顎背側
この図は、原本のものを180度回転して、G. annectens標本と合わせた。スケールは次の図に入れた。
647 Barbour, 1916. Fig. 1. Tetrabelodon osborni Barbour 下顎左側
この写真はディジタルファイルから取り込んだが、今後の側面図の方向をできるだけ統一するために、臼歯の咬合面が水平になるように変更した。サイズは原本では「10分の1」としているが、ディジタル化や、ここでの取り込みで計算が難しい。文中に計測値があって、「関節顆から牙の先端まで:1522mm」
となっている。これを上の写真では斜めの径と考えて、スケールを新たに作って加えた。
これを見ると、G. annectensと比べてG. osborniは下顎先端部がずっと下方に向いていることや、下顎体がかなり華奢なものであることがわかる。この角度について、次の論文では7種類ほどのGomphotheriumの下顎骨を比較しているが、その角度の測定は標本の保存によって根元の角度だったり先端までの角度を測ったり多少恣意的になっているようだが、約6度(Gomphotherium inopinatum)から約31度(G. steinheimense: ドイツ。Mühldorf)までの広いばらつきがある。この論文ではG. annectens ではこの角度を約17度としている。
○ Wang Shi-Qi, 2014. Gomphotherium inopinatum, a basal Gomphotherium species from the Linxia Basin, China, and other Chinese members of the Genus. Vertebrata PalAsiatica, vol. 52, no. 2: 183-200. (中国、Linxua(臨夏)盆地からの原始的Gomphotherium のG. inopinatumとこの属の中国の種類)
G. annectensで、破損している下顎関節部の形は大体想像がつく。ただ、関節頭の位置はもう少し低いだろう。