A-6 かつて特急「北アルプス」がJR高山本線と富山地方鉄道立山線を直通していた富山。(富山県)
上記の特急は、高山から富山に向かい、そこで富山地方鉄道に乗り入れて立山まで運行していた。富山駅まで高山本線で到着した列車は、連絡線で富山鉄道に入った。私は2006年にここを見たが通ったことはない。この場所は、北陸新幹線の開通とそれに伴う駅の改築に伴って2010年に廃止された。
旅69 富山駅東のデッドセクション 2006.6.26
旅70 上の写真の一部(拡大)
この写真は、北陸新幹線の建設前に撮影したもので、右の電柱に「切換」という標識がある。向こうから来るのは北陸本線(当時)の新潟方面に向かう貨物列車。手前の鉄橋を渡る線路は富山地方鉄道でその間に連絡線があった。残念ながら撮影時にこの写真の重要性を認識していなかったから、位置関係などがわかりにくい。
私はこの連絡線を通ったことはない。
通過列車
1990年3月10日「北アルプス」の運転経路短縮でこの連絡線の定期旅客列車は無くなった。
関係年表
あいの風富山鉄道 1908年11月16日 北陸本線富山・魚津間開業・富山駅が現在の位置に移転開業
電鉄富山駅 1914年12月6日 富山軽便鉄道富山駅として開業。その後位置を移動。
JR・富山地方鉄道連絡線 設置年不明.2010年4月18日廃止
私の国鉄北陸本線乗車(富山付近) 1965年7月29日
私の富山地方鉄道本線乗車 2006年6月26日
A-7 大曽根の連絡線(参考)
かつて名古屋北東部の中央本線大曽根駅で、名鉄瀬戸線との間に連絡線があって、貨車の移動をしていた。当時は中央本線が築堤上、名鉄が地平だったから勾配がずいぶんあった。私の通学コースにあったから、凸型の電気機関車が貨車の入れ替えをしていたのを記憶している。
旅71 1968年頃の大曽根駅付近 1971年発行の2万5000分の一地形図「名古屋北部」を基に作成
上の地図は当時の大曽根付近の地形図。黒線が中央本線で、後に少しかさ上げされた。オレンジ線は名鉄瀬戸線で、当時地平にあったのを立体化して、オレンジ色の破線の位置に変更した。中央の六差路が当時渋滞することで有名だった。瀬戸線の踏切をなくし、真西に向かうE道路をなくし、さらにAからDに抜ける国道19号を灰色の破線に変更した結果、現在はあまり渋滞しない。基にした地形図には大きな誤りがあって、青線の路面電車はDから来る大曽根線は六差路に入る所の東大曽根停留所で終点であって、そこからガードの下には路線がなかった。国鉄ガードの東にある矢田町四丁目からB方向に「循環北線」、次の曲がり角の矢田町十丁目からは「循環東線」(運転系統は一連のもの)という線が運行していた。ガード下を通せなかったのは、このガードの高さが低かったためで、道路はそこで掘り下げられていた。
ガードは二つが連続していて、掘り下げられた主要道路の南に、もう一つのガードがあった。こちらは掘り下げられていなかったが幅の狭いものだった。現在はJR大曽根駅に北口ができて、そういった痕跡はほとんどない。この連絡線は旅客列車が通ったわけではないから、ここで挙げるのは適切ではない。ちょっと懐かしかったので。
ずいぶん後になって、木曽福島駅で「251」という電気機関車を見かけた。これが大曽根で働いていた機関車だったのだろうか? 251は瀬戸線に1966年に配属されたが、1969年には北恵那鉄道に譲渡された。1978年9月に廃車となり、静態保存されていたそうだが後に解体された。
旅72 恵那駅 1973.6.11
ここまで異なる鉄道会社の連絡線7か所について記した。営業距離は設定されていないが、地図上で計測した結果としては最大でも300メートルほど(松田・鵜沼)で、どれも駅構内と言ってもいいような位置に設置されている。総計距離は1000メートル以下であろうか。
これらの連絡線の地形図上での扱いを調べてみた。見たのは主に国土地理院の電子地図で、鉄道記号の区別のある最大縮尺の画面でこれら連絡線の表記を比較した。
A-1 栗橋 連絡線の表示なし
A-2 松田 連絡線は私鉄の記号で表記
A-3 田原町 私鉄同士だが、福井鉄道は路面電車の細線で表記されている。連絡線部分はえちぜん鉄道と同じやや太い線で表記されている。
A-4 大月 連絡線の表示なし。現在も定期列車が走っているのに。
A-5 鵜沼 廃止直前の地形図では私鉄記号で表示。ただしもっと古い図で混乱がある。
A-6 富山 連絡線の表示なし。古い地形図にも見当たらない。
A-7 大曽根 古い地形図には細線で記入されているものがあるが、位置はちょっとおかしい。
上記の特急は、高山から富山に向かい、そこで富山地方鉄道に乗り入れて立山まで運行していた。富山駅まで高山本線で到着した列車は、連絡線で富山鉄道に入った。私は2006年にここを見たが通ったことはない。この場所は、北陸新幹線の開通とそれに伴う駅の改築に伴って2010年に廃止された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/78/b6b068cff25632b7d9c83e431f904b36.jpg)
旅69 富山駅東のデッドセクション 2006.6.26
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/93/319c1173e05ec3b45bd6da91ea9a9ebd.jpg)
旅70 上の写真の一部(拡大)
この写真は、北陸新幹線の建設前に撮影したもので、右の電柱に「切換」という標識がある。向こうから来るのは北陸本線(当時)の新潟方面に向かう貨物列車。手前の鉄橋を渡る線路は富山地方鉄道でその間に連絡線があった。残念ながら撮影時にこの写真の重要性を認識していなかったから、位置関係などがわかりにくい。
私はこの連絡線を通ったことはない。
通過列車
1990年3月10日「北アルプス」の運転経路短縮でこの連絡線の定期旅客列車は無くなった。
関係年表
あいの風富山鉄道 1908年11月16日 北陸本線富山・魚津間開業・富山駅が現在の位置に移転開業
電鉄富山駅 1914年12月6日 富山軽便鉄道富山駅として開業。その後位置を移動。
JR・富山地方鉄道連絡線 設置年不明.2010年4月18日廃止
私の国鉄北陸本線乗車(富山付近) 1965年7月29日
私の富山地方鉄道本線乗車 2006年6月26日
A-7 大曽根の連絡線(参考)
かつて名古屋北東部の中央本線大曽根駅で、名鉄瀬戸線との間に連絡線があって、貨車の移動をしていた。当時は中央本線が築堤上、名鉄が地平だったから勾配がずいぶんあった。私の通学コースにあったから、凸型の電気機関車が貨車の入れ替えをしていたのを記憶している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/3e/5061a07b8ee6021a5fc454ae9695a14a.jpg)
旅71 1968年頃の大曽根駅付近 1971年発行の2万5000分の一地形図「名古屋北部」を基に作成
上の地図は当時の大曽根付近の地形図。黒線が中央本線で、後に少しかさ上げされた。オレンジ線は名鉄瀬戸線で、当時地平にあったのを立体化して、オレンジ色の破線の位置に変更した。中央の六差路が当時渋滞することで有名だった。瀬戸線の踏切をなくし、真西に向かうE道路をなくし、さらにAからDに抜ける国道19号を灰色の破線に変更した結果、現在はあまり渋滞しない。基にした地形図には大きな誤りがあって、青線の路面電車はDから来る大曽根線は六差路に入る所の東大曽根停留所で終点であって、そこからガードの下には路線がなかった。国鉄ガードの東にある矢田町四丁目からB方向に「循環北線」、次の曲がり角の矢田町十丁目からは「循環東線」(運転系統は一連のもの)という線が運行していた。ガード下を通せなかったのは、このガードの高さが低かったためで、道路はそこで掘り下げられていた。
ガードは二つが連続していて、掘り下げられた主要道路の南に、もう一つのガードがあった。こちらは掘り下げられていなかったが幅の狭いものだった。現在はJR大曽根駅に北口ができて、そういった痕跡はほとんどない。この連絡線は旅客列車が通ったわけではないから、ここで挙げるのは適切ではない。ちょっと懐かしかったので。
ずいぶん後になって、木曽福島駅で「251」という電気機関車を見かけた。これが大曽根で働いていた機関車だったのだろうか? 251は瀬戸線に1966年に配属されたが、1969年には北恵那鉄道に譲渡された。1978年9月に廃車となり、静態保存されていたそうだが後に解体された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/de/3b2643490b2480069194df3bce772081.jpg)
旅72 恵那駅 1973.6.11
ここまで異なる鉄道会社の連絡線7か所について記した。営業距離は設定されていないが、地図上で計測した結果としては最大でも300メートルほど(松田・鵜沼)で、どれも駅構内と言ってもいいような位置に設置されている。総計距離は1000メートル以下であろうか。
これらの連絡線の地形図上での扱いを調べてみた。見たのは主に国土地理院の電子地図で、鉄道記号の区別のある最大縮尺の画面でこれら連絡線の表記を比較した。
A-1 栗橋 連絡線の表示なし
A-2 松田 連絡線は私鉄の記号で表記
A-3 田原町 私鉄同士だが、福井鉄道は路面電車の細線で表記されている。連絡線部分はえちぜん鉄道と同じやや太い線で表記されている。
A-4 大月 連絡線の表示なし。現在も定期列車が走っているのに。
A-5 鵜沼 廃止直前の地形図では私鉄記号で表示。ただしもっと古い図で混乱がある。
A-6 富山 連絡線の表示なし。古い地形図にも見当たらない。
A-7 大曽根 古い地形図には細線で記入されているものがあるが、位置はちょっとおかしい。
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