北海道新幹線に乗ってきました その6 青函連絡船摩周丸
函館駅を出て右手に行くと、青函連絡船記念館がある。最後に運行していた連絡船のひとつ、摩周丸が係留されていて、内部を見ることができる。
6-1 係留された摩周丸 2017.5.17
デッキに当たる高いところにある入り口で入館料を払って、中に入ると、当時の座席が復元されている。椅子は当時のものだが、位置は動かされているという。カーペットルームも同様。
6-2 復元された座席 2017.5.17
6-3 復元されたカーペットルーム 2017.5.17
6-4 操舵室 2017.5.17
残念ながら、航送甲板(貨車を積み込むためレールが敷いてある。)には入ることができない。浮き桟橋を通じて貨車が運び込まれた。現在は写真のように浮き桟橋とそのむこうのレールが撤去されている。せめてレールが船内につながっていたことが分かるように、岸壁側を整備してほしい。47年ほど前の同じ場所の写真を掲載しておく。撮影場所はまさに函館港に着岸しつつある連絡船の後尾であるが、船名は記録がない。浮き桟橋と接岸設備は複数個あったので、そのどれかも分からない。
6-5 左むこうからレールがあった場所 2017.5.17
6-6 ほぼ同じ場所 1970.6.18
船体は随分傷み、甲板には多数の鉄板のパッチが当てられている。船腹のサビも進行している。なお、青森側にも同様に八甲田丸が保存されている。
6-7 傷んだ船腹 2017.5.17
北海道旅行は今回が15回目だが、最初の1969年から6回目の1976年までは就職前で、一回(室蘭フェリーで帰った)を除いてすべて青函連絡船を用いた。だから11回乗船したことになる。7回目の1978年からの在職中は主に出張で訪れたから空路で千歳に着き、戻るのが常だった。退職後は北斗星や海峡線乗車を試みた。青函連絡の乗船の記録はいいかげんで、どの船にどの便で乗ったのかについてはほとんど記録されていない。
ホテルに帰って一休み。
(つづく)
函館駅を出て右手に行くと、青函連絡船記念館がある。最後に運行していた連絡船のひとつ、摩周丸が係留されていて、内部を見ることができる。
6-1 係留された摩周丸 2017.5.17
デッキに当たる高いところにある入り口で入館料を払って、中に入ると、当時の座席が復元されている。椅子は当時のものだが、位置は動かされているという。カーペットルームも同様。
6-2 復元された座席 2017.5.17
6-3 復元されたカーペットルーム 2017.5.17
6-4 操舵室 2017.5.17
残念ながら、航送甲板(貨車を積み込むためレールが敷いてある。)には入ることができない。浮き桟橋を通じて貨車が運び込まれた。現在は写真のように浮き桟橋とそのむこうのレールが撤去されている。せめてレールが船内につながっていたことが分かるように、岸壁側を整備してほしい。47年ほど前の同じ場所の写真を掲載しておく。撮影場所はまさに函館港に着岸しつつある連絡船の後尾であるが、船名は記録がない。浮き桟橋と接岸設備は複数個あったので、そのどれかも分からない。
6-5 左むこうからレールがあった場所 2017.5.17
6-6 ほぼ同じ場所 1970.6.18
船体は随分傷み、甲板には多数の鉄板のパッチが当てられている。船腹のサビも進行している。なお、青森側にも同様に八甲田丸が保存されている。
6-7 傷んだ船腹 2017.5.17
北海道旅行は今回が15回目だが、最初の1969年から6回目の1976年までは就職前で、一回(室蘭フェリーで帰った)を除いてすべて青函連絡船を用いた。だから11回乗船したことになる。7回目の1978年からの在職中は主に出張で訪れたから空路で千歳に着き、戻るのが常だった。退職後は北斗星や海峡線乗車を試みた。青函連絡の乗船の記録はいいかげんで、どの船にどの便で乗ったのかについてはほとんど記録されていない。
ホテルに帰って一休み。
(つづく)