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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の使った切符 その4 1966年夏から1967年初夏

2015年07月25日 | 鉄道
私の使った切符 その4 1966年夏から1967年初夏

このころ、休みになると入部していたグリークラブや、高校の音楽部同窓会などの合宿が連続して忙しかった。その折の切符を紹介する。

4-1 合宿で使った切符 1966~1967年

★1966.8.21 茅野から辰野(ともに中央本線)ゆき乗車券
高校の音楽部同窓会の夏の夜行プラス一泊旅行で使った。本体の切符は名古屋(中央本線西)塩尻(中央本線東)辰野(飯田線)豊橋(東海道本線)名古屋 という循環径路で、辰野~茅野間の往復を別購入した。行きはたぶん車内補充券だったのだろう。帰途は茅野駅で辰野まで購入して、本券で名古屋まで行ったから、この乗車券が手元に残った。旅行内容は、白樺湖畔でキャンプ、蓼科山登山などで、女性も参加してにぎやかだった。

4-2 蓼科山頂上で。1966.8.23

 帰途を飯田線回りにしたのは、私の発案だったのだろうか?循環切符にすることによって、長距離効果が出て安くなったのだろうか?距離を計算すると、飯田線回り名古屋・名古屋間461.1キロ、名古屋・茅野間片道217.7キロ。単純にこれを幹線扱い(飯田線は地交線だが1984年までは料金体系は差がなかった)で、現在の料金表で、循環なら8,150円(辰野・茅野間の往復を含めて)、往復なら7,140円で、かえって高い切符で行ってきたことになる。正確には、当時の料金表が分からないと比較できないし、一部の線路の付け替えなどで距離が異なっていることや、学割の関係もあろうが値段の上下は変らないだろう。
★1967.1.5 名古屋から100kmまでの急行券
 この頃、グリークラブを創設し、最初の合宿を河内長野で行った。先日(4月)創部50周年を祝う式典をしたが、48年半しか経っておらず、ちょっとフライイング。

4-3 合宿場の天野山ユースホステル前で。1967.1.6

 そこへ向かったときの急行券。ではどんな径路で河内長野(南海・近鉄)へ行ったのかというと、名古屋から関西本線急行で天王寺へ、天王寺から南海電車天王寺支線✝で天下茶屋へ、そして天下茶屋から南海電車高野線で河内長野へ、というコース。天下茶屋支線は1984年に一部、1993年に全部廃止された。なお、名古屋から関西本線で100kmを超えるのは伊賀上野駅あたり。当時関西本線には急行がいくつも走っていた。関西本線は現在不便になったのでこのコースは普通使わない。現在なら近鉄名古屋線・大阪線で大和八木経由、南大阪線に乗りかえていくんだろうか。それとも大阪線で終点近くまで行って南海電車に乗るか?
★1967.4.6 丸亀から30円区間の乗車券
 新学期に入ってグリークラブの合宿が牛窓町(現瀬戸内市)の本蓮寺で行われた。

4-4 合宿場の牛窓本蓮寺前で。1967.4.7

 往路は邑久駅(赤穂線)で下車してバスに乗った記憶がある。帰途の記憶が無いが、丸亀の切符があるから、まっすぐに帰らず四国に渡ったことが分かる。丸亀で何をしたのか?讃岐富士を見たかったという記憶がある。丸亀から徳島に動いて、小松島から和歌山にフェリーで渡ったような気がするが、別のときだったかも知れない。まっすぐに帰らない習慣はこのころからあったのか。